
Indie Sleaze”が呼び戻した、汚れた快楽の時代
文:mmr|テーマ:「完璧なポップ」への倦怠。その反動として、いま再び“不完全さの美学”が世界を席巻している事象について
スマートフォン時代が作り出した「完璧なポップ」への倦怠。その反動として、いま再び“不完全さの美学”が世界を席巻している。Charli XCX『brat』が象徴したのは、ただの流行ではなく、文化的な「再野生化」だった。
ポップカルチャーはついに“清潔すぎる美学”に飽きた。
チャーリーXCXのアルバム『brat』が夏のチャートを席巻し、
世界中のクラブに新しい風を吹き込んだとき、
私たちは再び気づかされたのだ——
音楽はもっとラフで、もっと即興的で、もっと“不完全”でいいのだと。
1. Indie Sleazeの再燃と「粗さ」の快感
1-1. Y2Kノスタルジアの奥に潜むもの
2020年代半ば、Y2Kリバイバルはファッションから音楽、インターネット文化にまで波及した。
その中で“Indie Sleaze”という言葉が再び脚光を浴びる。
2000年代前半、デジカメのフラッシュに照らされたパーティ、
メイクが崩れたままのミューズたち、
MySpaceの画質に宿る曖昧なロマンティシズム。
そこにあったのは、整っていないからこその真実だった。
そして2024年、再びその“粗さ”が現代の退屈を破壊した。
完璧なフィルターを拒む態度こそが、新しい美学となったのだ。
1-2. ファッションが示した兆し
Saint LaurentやHeaven by Marc Jacobsが打ち出した
「夜のざらつき」や「使い古された輝き」は、
やがて音楽の世界にも感染していった。
Balenciagaのショーが放つ不気味な退廃の中に、
“完璧ではないことの美”がうごめいていた。
その感覚をポップに昇華したのが、チャーリーXCXの『brat』だった。
2. 『brat』が語った“不完全さ”の力
2-1. 無造作のリアリティ
『brat』を聴くと、最初に感じるのは“未完成”の心地よさだ。
ボーカルは粗く、ミックスにはノイズが残り、リリックは衝動的に吐き出される。
だが、そこには他のポップスにはない「生」の質感がある。
それは、完璧さを重ねてきた時代の対極にある“人間の手触り”だ。
2-2. 完璧な世界へのアンチテーゼ
スマートフォンとSNSが作り出したのは、「常に正解であること」への強迫観念だった。
画像は整えられ、声は補正され、失敗は即座に削除される。
だが、チャーリーXCXはその圧力を笑い飛ばすように、
あえて不揃いなサウンドを世界に投げつけた。
『brat』の成功は、ポップの歴史における
“完璧信仰からの離脱”を象徴している。
3. 不完全の波紋 ─ TrashyからOrganicへ
3-1. Keshaと「Joyride」の寓話
Keshaの「Joyride」は、2000年代のユーロダンスを
あえてチープに蘇らせた。
キラキラとしたシンセの奥で、汗と化粧が混じるような生々しさが光る。
それは“過剰に管理された美”の世界に対するカーニバル的反逆だった。
チャーリーXCXとケシャ、このふたりの動きが示したのは、
完璧よりも「開放」の時代の到来だった。
3-2. ローファイ・ルネサンス
クラブカルチャーの底では、
安価なマイクや中古機材を使ったDIY的表現が再び熱を帯びている。
BerlinやLondonのクラブでは、
ビートを外し、歪ませ、壊すことが“流儀”になりつつある。
そこにあるのは、音の純度よりも感情の即発性。
完璧ではないことが、むしろ“誠実さ”として響く。
4. SNS時代の終わりと“揺らぎ”の復権
4-1. 映えないことの自由
InstagramやTikTokが支配した「整った自己表現」の時代が、
ゆっくりと終わりを迎えている。
今、若い世代は“映える”より“揺らぐ”ことを望んでいる。
ピントの甘い写真、ノイズの多い録音、未編集の動画。
それらの中にこそ、リアルな自分の証拠を見いだしているのだ。
4-2. オンラインからオフラインへの脱出
「The Aesthetics of Imperfection」は、
単なる美学ではなく、生き方のリセットでもある。
SNS上の人格構築に疲れ、再び“身体”へと回帰する人々。
クラブの湿気、ライブハウスの轟音、
その中にある不完全でありながら確かな実感。
音楽は再び、デジタルではなく“人間の現場”に戻ろうとしている。
5. 美の転換点 ─ 「整う」から「崩れる」へ
5-1. 不完全を肯定する勇気
ミニマリズムや整頓の思想が支配したここ10年、
私たちは「欠けているもの」を恐れてきた。
だが今、欠けていることこそが創造の余白になっている。
音のノイズ、画像のブレ、言葉の詰まり。
それらを削除するのではなく、作品の一部として受け入れる。
そこに新しい時代の感性が宿る。
5-2. ポップの“再野生化”
『brat』以降、アーティストたちはマイクを手放し、
スマートフォンで即興的に録音し、
未完成のまま曲をアップロードするようになった。
そこに共通しているのは、“衝動のままに残す”という態度だ。
ポップが再び野性を取り戻しつつある。
それは、AIが生み出す無機的な完璧さとは正反対の、
「人間のリズム」に戻る試みでもある。
6. 不完全の未来 ─ 新しいリアリティへ
私たちは、ようやく“完璧であること”の呪縛から解き放たれようとしている。
アルゴリズムが整えた世界の外で、
エラーや歪み、曖昧さが再び輝きを取り戻す。
それは退行ではなく進化だ。
音楽が持つ即興性や、アートが持つ偶発性、
そして人間が持つ不安定さを肯定するという進化。
「The Aesthetics of Imperfection」とは、
要するに“生きることそのもの”の美学である。
壊れてもいい。揺らいでもいい。
完璧ではない音、完璧ではない私たちが、
もう一度この世界を鳴らし直す時が来た。
付録:The Aesthetics of Imperfection 2025 Playlist
― 不完全の美学を鳴らす4人のアーティスト ―
Artist/Album / Track | Year | Description | リンク |
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Charli XCX/brat | 2024 | ざらついたクラブ・ビートと即興的なヴォーカルで、“完璧”を拒む21世紀の反抗。 | Amazon |
Kesha/Joyride | 2024 | Trashy Eurodanceを再生産し、“汚れた快楽”を祝福するカムバック作。 | Amazon |
Yaeji/With A Hammer | 2023 | 韓国語と英語を往復しながら、内省と怒りをビートに変えるポストクラブの傑作。 | Amazon |
Ethel Cain/Preacher’s Daughter | 2022 | アメリカーナの崩壊と自己救済を描く、現代ゴシック・ポップの最高峰。 | Amazon |