1. 序章:宇宙のディスコが生まれた場所
文:mmr|テーマ:異次元的ミックス、速度の操作、民族音楽と電子音の融合が築いた唯一無二のサウンド哲学を辿る
1970年代末、北イタリアのガルダ湖畔。
観光客のためのリゾート地にすぎなかったこの場所が、後に「Cosmic Sound」という名の音響現象の中心地になるとは誰も思っていなかった。
その中心人物がDaniele Baldelli(ダニエレ・バルデッリ)。
彼は、単なるDJではなく、「音の速度と空間を再構築する建築家」として語られる存在となった。
当時のディスコ・シーンは、アメリカ発のソウルやハウスに代表される4/4リズムが主流。
だがBaldelliは、そこに民族音楽・電子音・プログレ・ロック・アフリカン・ドラム・クラウトロックまでを織り交ぜ、
BPMを自在に変化させる「コズミック・テンポ」という概念を提示した。
「私はジャンルを信じない。信じるのは“音の流れ”だけだ。」
― Daniele Baldelli
2. Cosmic Soundとは何か ― 定義不能の音響体験
Cosmic Sound(コズミック・サウンド)は、「宇宙的ディスコ」と訳されることが多い。
だが、それは単にSF的なサウンドデザインを意味するのではない。
むしろ、時間と重力を歪めるようなDJプレイそのものを指す。
特徴的要素
-
テンポの流動性:
45回転のレコードを33回転で再生し、さらにピッチを±8%以上調整。
これにより、同じトラックがまるで未知の惑星からの信号のように聴こえる。 -
異文化混交:
ジャーマン・クラウトロック(Can, Neu!)とアフリカ音楽、電子アンビエント、伊産シンセ・ディスコを混合。
まるで地球外のジュークボックス。 -
リチュアル(儀式)性:
Cosmic Clubでは、照明もミラーボールも抑え、代わりにスモークとプロジェクターが空間を支配。
聴衆は踊るというよりも、音に“没入”する体験をしていた。
3. Baldelliのプレイ哲学 ― 「速度」への意識革命
Daniele Baldelliが真に革新的だったのは、速度(tempo)を音楽的要素として扱ったことである。
彼は語る。
「音楽のジャンルを混ぜることは簡単だ。
しかし、それらをひとつの速度で“宇宙化”することは、技術ではなく感性の問題なんだ。」
彼のミックスでは、BPM 110のファンクからBPM 85のアフロ・パーカッションへ、さらにスローダウンしたシンセ・アンビエントへと
なめらかに転移する。そこには「曲の境界」すら感じられない。
まるで一晩を通して、宇宙船が軌道を下りたり上がったりするような感覚が生まれる。
4. 音の素材学 ― Cosmicにおけるサウンドソースの再配置
Baldelliは、楽曲を「素材」として扱うDJの先駆けだった。
ターンテーブル上で、録音された音を再び「作曲」するという意識が強かった。
| 用いたソース | 具体例 |
|---|---|
| クラウトロック | Kraftwerk, Can, Ash Ra Tempel |
| 伊産電子音楽 | Claudio Gizzi, Tullio De Piscopo |
| アフロ/民族音 | Manu Dibango, Fela Kuti |
| 宇宙テーマ | Space, Rockets, Cerrone |
| サウンドトラック | Morricone, Carpenter, Goblin |
この多文化的混合こそ、後のBalearic SoundやLeftfield Disco、さらにダウンテンポ、Nu Discoの原型となった。
5. Cosmic Clubの内部構造 ― 建築としての音場
場所:
北イタリア、ガルダ湖畔の「Discoteca Cosmic」(1979–1984)
特徴:
- 天井が低く、反響が独特
- フロアにはスモーク+レーザー照射
- BaldelliのDJブースは高台に設置され、観客の上から音を浴びせる構造
- 光よりも“闇”が支配する空間
このクラブでは、「踊ること」よりも「漂うこと」が重視された。
来場者たちは、音の中でトリップし、時間の感覚を失う。
Cosmicとは、「夜の中の瞑想」だったのである。
6. Baldelliの技術 ― アナログの魔術
彼の使用機材には、他のディスコDJとは明らかに異なる特徴がある。
- Technics SL-1200(2台)+Revoxテープデッキ
- Roland Space Echo RE-201
- Eko Multitone EQ
- Reel-to-Reelテープによるサンプルループ
これらを用いて、彼は生演奏的な“リズムの呼吸”を作り出した。
テープのリピートを利用して、同じ音を微妙にズラして再配置する。
これが後のサンプラー音楽の前史となったとも言える。
7. 継承と変異 ― CosmicからBalearicへ
1980年代後半、IbizaのDJ AlfredoやJosé PadillaがBaldelliのCosmic哲学を受け継ぐ。
それが「Balearic Beat」と呼ばれる潮流へと発展し、後にUKクラブカルチャーを根底から変える。
| 系譜 | 代表人物 |
|---|---|
| Cosmic(伊北部) | Daniele Baldelli, Beppe Loda |
| Balearic(Ibiza) | DJ Alfredo, José Padilla |
| UK Chillout/Nu Disco | Andrew Weatherall, The Orb, Prins Thomas |
この流れは、単なる「音楽ジャンル」ではなく、
音を“時間的に流す感覚”の国際的伝播だった。
8. 時代年表:Cosmic SoundとBaldelliの軌跡
9.図版:Cosmic Soundの構造モデル
10. 結語:宇宙の速度で踊るために
Cosmic Soundは、ディスコの歴史の中で最も定義不可能な領域だ。 そこでは、ジャンル・国・速度・文化が溶け合い、“音の哲学”が浮かび上がる。 Daniele Baldelliは、その哲学を「宇宙への翻訳」として提示した。
今日のDJたち――特にゆったりとしたテンポや異文化的素材を扱うアーティスト(Harvey、Tornado Wallace、Young Marcoなど)――の中には、 確かにそのDNAが息づいている。
「Cosmicとは、宇宙ではなく“内なる宇宙”を探すことなんだ。」 ― Daniele Baldelli
ディスコグラフィ
-
Baldelli, Daniele. Cosmic: The Original. Expanded Music, 1990.
-
Cosmic Disco? Cosmic Rock! (Compilation, Eskimo Recordings, 2013)