Red House Painters / Low を中心とした「音数の少なさが生む重力」再考
文:mmr|テーマ:音楽的特徴、録音手法、機材、映像との親和性、90年代から現代までの変遷について
Slowcore(スロウコア)/Sadcore(サッドコア)は、1990年代のアメリカを中心に形成された「極端にテンポを落としたオルタナティヴ・ロック」の潮流である。激しさや歪みをエネルギー源としたグランジ/オルタナティヴの対極に位置し、ミニマルで静謐、内省的で沈潜するサウンドを特徴とする。
代表的なバンドには Red House Painters(1989〜)、Low(1993〜)、Codeine(1989〜1994)、Idaho(1992〜)、Galaxie 500(1987〜1991) などが挙げられる。
1. Slowcore / Sadcore の定義
Slowcore という語は 1990年代前半以降にメディアや批評家によって使用され、明確な「発案者」は存在しない。Sadcore も同様であり、アーティスト自身はこのラベルを拒否する場合が多い。
しかし共通する特徴は以下の通りである。
■ 音楽的特徴(事実ベース)
- テンポが遅い(BPM 50〜80 前後)
- ボーカルが抑制的・淡々としている
- ギターはクリーン中心、リバーブ・エコーを多用
- 音数が極端に少なく、曲のダイナミクスは緩やか
- 歌詞は内省、孤独、記憶、日常を主題としがち
- ドラムはブラシ・軽いタッチ・シンプルなパターン
このサウンドは「静かさ」を通じて逆に感情を浮かび上がらせる構造を持つ。
2. Slowcore の源流
■ Dream Pop / Shoegaze の「静」の部分
1980年代後半の Galaxie 500 は、ゆったりしたテンポ、ドリーミーなギター、感情を抑えたボーカルで Slowcore の先駆けとされる。
■ Grunge の対極としての静謐さ
1991年 Nirvana「Nevermind」に象徴されるオルタナ爆発の中で、「あえて音量を上げない」 という姿勢が逆説的なオルタナティヴ性として浮上した。
■ アメリカ中西部インディの美学
ミネソタ、オハイオ、カリフォルニアなど地方都市の小規模レーベルを中心に、素朴な録音環境=Lo-Fi 美学が Slowcore と結びついていく。
3. 主要アーティストと代表作
■ Red House Painters
- 結成:1989年(サンフランシスコ)
- 実質的に Mark Kozelek のプロジェクト。
- 長尺曲、深いリバーブ、ナラティブな歌詞で Slowcore を象徴する存在。
代表作
- Red House Painters I (1993)
- Red House Painters II (1993)
- Ocean Beach (1995)
特筆点:
楽曲「Katy Song」「Funhouse」などは、静謐さと長さ(6〜10分)によって「音の間の伸び」が感情を増幅させる構造を持つ。
■ Low
- 結成:1993年(ミネソタ州ダルース)
- Alan Sparhawk と Mimi Parker を中心とするスリーピース。
特徴
- Mimi Parker のミニマルなドラム(ブラシ主体)
- Alan との男女ハーモニー
- “slow, quiet” をバンドコンセプトとして明言
代表作
- I Could Live in Hope (1994)
- Things We Lost in the Fire (2001)
- C’mon (2011)
■ Codeine
- 結成:1989年(ニューヨーク)
- Slowcore の代名詞的バンド。
- よりロック寄りのアプローチで、低速化した Sonic Youth とも形容される。
代表作
- Frigid Stars (1990)
- The White Birch (1994)
■ Idaho
- 結成:1992年(ロサンゼルス)
- 4弦ギター(通常より2本少ない)を使用する独自の音色が特徴。
代表作
- This Way Out (1994)
- Hearts of Palm (2000)
4. Slowcore の音作り:機材と録音手法
■ ギター
- Fender Telecaster / Stratocaster
- Gibson Les Paul
- アンプは Fender Twin Reverb、Vox、Mesa/Boogie などクリーン志向
■ エフェクト
- リバーブ(Plate, Hall)
- ディレイ(Analog Delay / Digital Delay)
- Tremolo
- Chorus(必要最低限)
音数は少ないが「残響」がサウンドの骨格を構成する。
■ ドラム
- ブラシ
- ソフトマレット
- タム/スネアを抑えたミニマル構成
- 極端にシンプルなパターン
例:
| Kick — | Snare —– | Hat - |
テンポより「余白の長さ」のコントロールが重要となる。
■ 録音方式
- 自宅録音(Lo-Fi)〜アナログテープ録音が多い
- コンプレッション少なめ
- ルームリバーブを自然に収音
- マイクを近づけず音の「距離感」を確保
Slowcore は 録音の「間」や「空気感」そのものが楽器となる。
5. スロウネスが生む心理的効果
音楽心理学的には、テンポが遅い・情報量が少ない音楽は以下を促す。
- 内省(セルフリフレクション)
- 情緒的沈静
- 時間意識の伸長(曲が長く感じる)
そのため映画・写真・映像作品で Slowcore が多用される場合、「止まった時間」を表現する際に極めて強い相性を発揮する。
6. 映像文化との親和性
Slowcore は以下のような映像演出で特に相性が良い。
- 廃墟・海辺・夕暮れなどの静的映像
- ロングショット
- 極端に少ないカット割
- モノクロ、低彩度、フィルムライク
実際に Red House Painters や Low の楽曲は多数の映画・個人映像作品で使用され、
YouTube では 「Slowcore edit」「Sadcore atmosphere」 などの映像ジャンルが形成されている。
7. 2000年代以降の Slowcore
■ 継承アーティスト例
- Duster(1996〜)再評価
- Cigarettes After Sex(2012〜)
- Grouper(Liz Harris)
- Bedhead / The New Year
これらは Slowcore の「静的な感情表現」を継承しつつ、Ambient、Dream Pop、Drone と融合している。
8. 時代別の Slowcore 年表
9. Slowcore スタイルの概念図
(極端に遅い)"] --> C["Emotional Depth
(内省・静的感情)"] B["Sparse Arrangement
(音数少なさ)"] --> C D["Reverb / Distance
(残響・距離感)"] --> C C --> E["Slowcore / Sadcore
Core Aesthetic"]
10. まとめ
Slowcore / Sadcore は、90年代アメリカインディの中で生まれた「音の静かさ」に価値を置いたジャンルである。テンポの遅さ、音数の少なさ、遠い残響、内省的な歌詞。これらは激しい音楽の対極として誕生したが、現在では映像文化や SNS で再び脚光を浴びている。
「音が少ない」という制約が、むしろ 聴く者を深く沈め、世界の輪郭をよりはっきり浮かび上がらせる。
Slowcore は、感情の最小単位を静かに描き出す、特異な音楽である。