はじめに
文:mmr|テーマ:彼女の育ちやバックグラウンド、作品とサウンドの変遷、そして Buchla を通じた「音の哲学」について
電子音楽やモジュラー・シンセの世界において、シンセは往々にして「機械」の象徴として扱われがちだ。しかし、彼女の音はそうした既成概念を覆す。「モジュラー・シンセのケーブルやツマミの奥に、まるで“生き物”や“有機の息吹”を感じる」ような、温かくて豊かな響きだ。
使用機材として、ヴィンテージあるいはモジュラー系、特に Buchla 系モジュラーを選ぶことで、彼女は単なる合成音ではなく、「偶発性」「不安定さ」「手作業性」、あるいは「電気の振動と身体との共振」を通じて、“音の生態系”を立ち上げる。
そして声、生楽器、フィールド録音、自然や身体性――それらを丁寧に編み込みながら、モジュラーを「冷たい機械」から「生きた音の器」へと昇華させる。その姿勢に、モジュラーや Buchla 系シンセを愛する人々は強く惹かれるだろう。
Orcas Island — 自然とホームスクールの環境
彼女の出身地はアメリカ北西部、ワシントン州の Orcas Island。幼少期はこの島でホームスクールを受けながら、豊かな自然と静けさの中で育った。
島の風、木々の間を渡る風の揺らぎ、鳥のさえずり、水辺のさざめき……こうした自然の感覚や環境音が、彼女の耳と身体に染み込んで育った。
同時に、幼少からピアノやギターなど伝統楽器に触れ、作曲を試みるなど、音感や音楽への感覚を育んでいた。この「自然 × 伝統楽器 × 自主的な学び」の環境が、後のモジュラーへの転換の土台となる。
こうした経験は、後に電子/モジュラー音楽へと進む彼女に、「自然性」「空間性」「身体性」という軸をもたらすことになる。
音楽教育、そして Buchla との出会い
成長した彼女は、米国の音楽教育機関で作曲とサウンド理論を学び、その傍らフォーク系のデュオでギターや声、ピアノを用いた活動を行っていた。
しかし、学生時代の枠を出た後、故郷に戻ることで思わぬ変化が訪れる――隣人から貸与された Buchla 100 との出会いだ。モジュラー・シンセを初めて手にしたとき、彼女はそれを「薄っぺらい道具」ではなく、「共演者」「生き物」「電気の身体」として捉えた。
Buchla の不安定さ、パッチングの手作業、予測不能な音のズレ――そうした偶発性や不安定性を通じて、彼女はシンセから「生きた音」「振動」「空間」「身体性」を引き出すことを選んだ。
この転換こそが、以後の作品すべての基盤となる。
初期作品群と “Tides” — モジュラーへの序章
彼女の初期作品群には、自主制作によるフォークや実験的なトラックが含まれていた。しかし、本格的にモジュラー/電子音楽と向き合ったのは、Buchla Music Easel を使った録音からである。
この録音は後に作品として発表され、《Tides: Music for Meditation and Yoga》という形をとった。風鈴、木々のざわめき、鳥の声、水音、小さな自然のノイズ――そうした環境音/フィールド録音を、モジュラーによる電子波形と融合させた作品だ。
この段階ではまだ大きな旋風を巻き起こしたわけではない。しかし、「モジュラー+自然音/環境音+空間性」という方向性はすでに鮮明であり、彼女の音楽の根底にある感覚が浮かび上がっていた。
“EARS” — 多層性と拡張された音の宇宙
本格的な転機となったのは、2016 年リリースのアルバム EARS である。この作品では、Buchla を中心にすえつつ、木管楽器、アフリカの親指ピアノ(mbira)、声、フィールド録音など、多様な音資源を混ぜ合わせ、多層構造のサウンドを構築した。
電子音の冷たさと、有機楽器の柔らかさ、声の揺らぎ、自然のノイズ――これらが絡み合い、“未来のジャングル(futuristic jungle)” のような、幻想的かつ生き生きとしたサウンドが生まれた。
この作品により、彼女は単なるモジュラーの実験者から、「モジュラーを使って有機世界を描く画家」として、多くのリスナーと批評家から注目を集めた。
“The Kid” — ライフサイクルを描く音の旅
2017年に発表されたアルバム The Kid は、彼女がこれまで手がけてきた音の実験を土台にしつつ、さらに「物語性/人間性」を強く打ち出した作品だ。
本作は「誕生から死に至るライフサイクル」をテーマとし、モジュラー、オーケストラ、民族楽器、パーカッション、声など、多彩な音の要素が折り重なり、ドラマティックで感情に訴えかける構成となっている。
生まれたてのあどけなさ、成長のうねり、成熟と混迷、終焉の静けさ――それらを電子音と有機音、身体と空間を媒介に描くことで、聴き手は音の中に一つの「人生」を感じ取る。
この作品によって、彼女は “電子音楽=冷たい機械音” という偏見を超え、「電子音楽でも、人間の物語や感情、記憶を描ける」ということを示した。
“The Mosaic of Transformation” — 電気への礼賛、身体性の探求
2017年以降、数年をかけて成熟したサウンドは、2020年のアルバム The Mosaic of Transformation において、さらに新たな地平へと到達する。
この作品で彼女は、モジュラー・シンセを「振動の媒介装置」「身体の延長」「電気と身体の交感点」として捉えている。制作にあたっては、日々の動きや呼吸、身体的感覚とともに電気を通す――すなわち、モジュラーを単に鳴らすのではなく、その振動を身体で“感じる”ことを意図したという。
結果としてこの作品には、構造や形式よりもむしろ「波動」「揺らぎ」「空間感覚」「身体感覚」が優先されたサウンドが広がる。ドローン的静けさ、うねるパッド、ささやきのような声、包み込むようなシンセの層――それらが、有機と電子、身体と電気、時間と空間を横断して共鳴する。
この試みは、モジュラー/アナログ・シンセを、単なる音源ではなく「身体と世界をつなぐインターフェース」として提示した、非常に詩的で瞑想的な作品である。
音の哲学 — モジュラー ⇔ 自然 ⇔ 身体
彼女の作品や歩みを通して見えてくる、ひとつの一貫した哲学がある。
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電子音と自然/環境音/身体性の融合
Buchla の電子波形と、森のざわめき、水の音、風、声、生楽器――これらを混ぜ合わせることで、「電子=人工」「自然=有機」という二項対立を超え、新しい「有機的電子音=生きた響き」を生み出す。 -
偶発性/不安定性の肯定
Buchla の持つ不安定さ、パッチングの手作業性、制御できないズレや揺らぎ――それらを“欠点”としてではなく、むしろ「創造の余白」「思わぬ化学変化」「音の偶然性」として歓迎する。 -
身体感覚と振動の体験
音を「耳で聴くもの」ではなく、「身体で感じるもの」「振動として経験するもの」として立ち上げる。声・呼吸・動き・振動──それらとシンセの電気振動をつなげ、聴覚だけでなく身体全体を使った知覚へと音楽を拡張する。 -
時間性・空間性・記憶の重層
ドローン、うねり、パッド、フィールド録音──それらで時間を延長し、空間を厚くし、記憶や感情、自然とのつながりを音として構築する。
この哲学は、モジュラー・シンセを単なる音源やツールとしてではなく、「身体・自然・感覚・振動・時間」をつなぐ装置として再定義するものだ。電子音楽における新しいあり方を模索する者にとって、彼女の音はひとつの道標である。
サウンド変遷 — 時系列とサウンドの軌跡
以下は、彼女の主な作品を軸に、「電子性/実験性 ⇔ 有機性/身体性/空間性」の間を行き来しながら変遷してきたサウンドの軌跡。
(自主初期作)"] A14["Tides
(環境音 + モジュラー)"] A15["Euclid
(初公式作)"] B16["EARS
(電子+有機+声/木管など融合)"] C17["The Kid
(ライフサイクルの物語性)"] D20["The Mosaic of Transformation
(振動・身体性・空間音)"] E22["Let's Turn It Into Sound
(さらなる実験/拡張)"] A12 --> A14 --> A15 --> B16 --> C17 --> D20 --> E22
このように、彼女の音は単線的な進化ではなく、モジュラー/電子 ⇔ 自然/身体 ⇔ 実験/構成 ―― という三つの軸を往還しながら、複合的に広がりと深化を続けてきた。
結び — Buchla を愛する者へのメッセージ
Kaitlyn Aurelia Smith の歩みは、決して技術的実験を目的とした「スキルの見せびらかし」ではない。彼女が目指しているのは、モジュラー・シンセという“技術装置”を通じて、「身体・自然・電気・時間・空間」を織り交ぜた、豊かで詩的な「感覚の世界」を立ち上げることだ。
もしあなたが Buchla やモジュラー・シンセを、単なる機材としてではなく、“生きた音の器”“振動の身体”“偶然と必然のあわい”として愛するなら、彼女の作品はそのまま、あなたの探求にとってのひとつの道標となるだろう。
電子音楽/モジュラー/アナログ・シンセという “場” によって、身体感覚や自然、時間や空間、記憶や感情──それらを再発見する可能性が、ここにはある。
――本稿が、あなたの Buchla や電子音楽への愛に、新たな光をあてる一助となれば幸いである。