序章:音の「残響」から生まれた革命
文:mmr|テーマ:ジャマイカのサウンドシステム文化から、Lee “Scratch” Perry、King Tubby、さらにUKダブや現代電子音楽への継承まで
1970年代初頭、ジャマイカ・キングストンのサウンドシステム文化の只中で、
録音済みの楽曲を再構築するという前代未聞の手法が生まれた。
その名は――ダブ(DUB)。
既存の曲からヴォーカルを抜き、リズムとベースだけを残し、
エコーやリバーブを駆使して空間そのものを演奏する。
その革新は、単なる「リミックス」ではなく、音楽の再定義だった。
このダブ的発想は、のちにヒップホップ、テクノ、アンビエント、ノイズ、
さらには現代のリミックス文化にまで影響を及ぼすことになる。
本稿では、その発生源から今日までをたどりながら、
「音響を再構築する思想」としてのダブを読み解く。
第1章:キングストンの夜 ― サウンドシステム文化の胎動
1950年代後半から60年代初頭、ジャマイカでは街角のサウンドシステム(移動式DJ装置)が
人々の娯楽の中心となっていた。巨大なスピーカーから流れるスカ、ロックステディ、レゲエ。
それを競い合うのが、サウンドクルーと呼ばれるDJ集団である。
録音スタジオでは、人気曲のB面(Version)としてインストゥルメンタル・トラックを収録し、
DJがマイクでトースティング(MCの語り)を乗せて観客を煽った。
これこそが後のラップ/ヒップホップ文化の原型でもある。
当時の録音技師たちは、このVersionを単なる副産物ではなく、
音響的な実験場として活用しはじめた。
その中でも最もラディカルだったのが、King Tubby(キング・タビー)である。
第2章:King Tubby ― ミキサー卓の錬金術師
King Tubby(本名:Osbourne Ruddock)は電気技師出身。
彼の手にかかると、ミキサー卓はまるで楽器のように奏でられた。
彼はフェーダーを即興的に操り、
リバーブとディレイを空間的に配置し、
曲をリアルタイムで再構築するライブ・ダブ・ミックスを創出した。
「私は曲の中に“空間”を作る。そこに魂が響くのさ。」
― King Tubby
彼の作品は、リズムの反復の中に時間の伸縮を感じさせる。
残響と残響のあいだに聴こえる“無音”こそが、彼の音楽の核心だった。
Tubbyのスタジオからは、後にPrince Jammy(後のKing Jammy)、
Scientist、Errol Thompsonなどが輩出し、
彼らが70年代のジャマイカ音楽の裏方を支える。
第3章:Lee “Scratch” Perry ― カオスと創造のブラック・アーク
Tubbyが「精密な実験室」なら、
Lee “Scratch” PerryのBlack Ark Studioは「魔法の実験場」だった。
テープ・エコー、バケツの水、煙、そして即興の叫び。
Perryは音を自然と超自然の間に置き、
レゲエに神話的・宇宙的な次元を与えた。
「機械の中に精霊が住んでいるんだ。
俺はその声を聴いてミックスするだけさ。」
― Lee “Scratch” Perry
彼の代表作、The Upsetters『Super Ape』(1976)は、
低音の重力とリバーブの霧が交錯する“サウンドのジャングル”である。
Black Arkは1979年に火災で消失するが、
その伝説はUKをはじめとする世界各地に波及していった。
第4章:UKダブ ― ディアスポラと音響の再構築
1970年代後半、ジャマイカから移住した人々によって、
ダブの思想はロンドン、ブリストル、バーミンガムへと伝播する。
その流れの中で、Adrian Sherwood率いるOn-U Soundが登場。
彼はPerryの混沌とTubbyの精緻さを融合させ、
より産業的でアブストラクトな「UKダブ」を築き上げた。
African Head Charge, Dub Syndicate, New Age Steppersなどの作品は、
ジャマイカのスピリチュアルなルーツと、ヨーロッパのポストパンク精神が交錯する場となる。
同時期、Mad ProfessorのAriwa Studioもロンドン南部に誕生。
彼の『Dub Me Crazy』シリーズは、テクノロジーとファンタジーを往来する音響冒険であった。
第5章:テクノ、アンビエント、そして現代の“DUB的思考”
1990年代以降、ダブの影響はテクノ、アンビエント、ドラムンベース、
さらにはヒップホップのリミックス文化にも浸透する。
ベルリンではBasic Channel(Moritz von Oswald & Mark Ernestus)が登場。
彼らはリズムの粒子を空間処理し、ダブ・テクノを確立。
その後継としてDeepchord, Rhythm & Sound, Echospaceなどが続く。
アンビエント分野でもThe Orb, Bill Laswell, Kode9, Burialらが
ダブ的空間を探求し続けた。
Burialの『Untrue』(2007)は、
まさにポスト・デジタル時代の孤独なダブと言える。
第6章:ダブの哲学 ― 「欠落」と「再生成」
ダブの本質は、単にエフェクトをかけることではない。
音を削ることによって、新しい空間を生むことにある。
それは、欠落の美学であり、再生産の思想だ。
- 音の“余白”に意味を与える。
- 技術を“即興的表現”として用いる。
- 再生産の過程で“オリジナル”を再定義する。
こうしたダブ的思考は、現代のAI音楽生成やリミックス文化にも通底する。
音を「編集」し「再構成」することそのものが、
21世紀の創造行為の根幹となっている。
年表:ダブ進化の軌跡
図解:ダブ的思考の構造
結語:すべての音は再び混ざり合う
ダブは、音楽のジャンルではなく方法論であり、 時間と空間の再構築装置である。 ジャマイカの路上から始まったその革命は、 いまも世界中のクラブ、ラボ、そしてあなたのイヤホンの中で続いている。
「すべての音は、どこかへ帰っていく。」 ― ダブの精神
参考ディスコグラフィー
| アーティスト | 代表作 | 年 | リンク |
|---|---|---|---|
| King Tubby | Dub from the Roots | 1974 | Amazon |
| Lee “Scratch” Perry | Super Ape | 1976 | Amazon |
| Scientist | Scientist Rids the World of the Evil Curse of the Vampires | 1981 | Amazon |
| Basic Channel | BCD | 1993 | Amazon |
| Burial | Untrue | 2007 | Amazon |