なぜ人は「下手な音楽」を好きになるのか?
文:mmr|テーマ:”「下手」「単純」「壊れている」音楽は、なぜ人を惹きつけるのか。Punk、Noise、Outsider Music、Lo-Fi、Vaporwaveを通して、完成度とは別の音楽的価値を探る
「いい音楽」の基準は、最初から存在したわけではない
音楽について話すとき、私たちは無意識のうちに「上手い」「下手」という言葉を使う。
歌が正確である。
演奏が速い。
リズムが安定している。
音程が合っている。
録音がクリアである。
ミックスがきれいである。
楽器の音が分離している。
ノイズが少ない。
こうした条件を満たすほど、「良い音楽」に近づくように感じる。
もちろん、それ自体は間違っていない。
高度な演奏技術には高度な技術が必要だし、録音技術が進歩すれば、それまで聞き取れなかった細部まで記録できる。
しかし、音楽史を少し長く眺めると、不思議な現象が繰り返し起きていることに気づく。
技術的に未熟な演奏が評価される。
音程の不安定な歌が魅力になる。
録音の失敗が作品の特徴になる。
単純すぎるリズムが新しい音楽の基礎になる。
ノイズそのものが音楽になる。
古い音源を劣化させることで新しい作品が生まれる。
そして、ときには「完成させないこと」そのものが表現になる。
これは音楽が技術を否定しているという話ではない。
むしろ逆だ。
技術が発達したからこそ、人間は「技術的に正しい音」と「魅力的な音」が同じではないことに気づくようになった。
録音技術は音楽から多くの欠点を取り除いた。
しかし、その結果として、欠点そのものが目立つようになった。
テープのヒス。
アンプのハム。
部屋の反響。
レコードのノイズ。
声の揺れ。
演奏のズレ。
テープの劣化。
デジタルのグリッチ。
こうしたものは、かつてなら取り除くべき「問題」だった。
ところが20世紀後半以降、一部の音楽家たちは、その問題を消すのではなく残すようになった。
Punkでは技術不足がDIY精神と結びついた。
Noiseでは「音楽に使える音」の範囲そのものが拡張された。
Outsider Musicでは、既存の音楽教育や業界から離れた人々の独自の表現が注目された。
Lo-Fiでは録音の制約が音色そのものになった。
Vaporwaveでは、既存音源の加工や劣化、ループ、ピッチ操作が作品の中心になった。
ここには一つの共通点がある。
「正しく作ること」と「面白く聞こえること」は、同じではない。
音楽史は、上手くなる歴史であると同時に、何を「上手い」と呼ぶのかを何度も作り直してきた歴史でもある。
まず「下手」という言葉を疑ってみる
「下手」という言葉は便利だ。
しかし、音楽について考えるときにはかなり危険な言葉でもある。
なぜなら、何をもって下手とするのかによって意味が変わるからだ。
クラシック音楽のオーケストラ奏者にとって、テンポを維持できないことは問題になる。
しかし、Noiseの演奏でテンポが崩れることは、必ずしも問題ではない。
ジャズでは、演奏者が一瞬だけリズムを後ろに置くことで独特のグルーヴが生まれることがある。
Punkでは、複雑なコード進行よりも、数個のコードを高速で繰り返すことが音楽の特徴になる。
Outsider Musicでは、専門的な発声法を知らないことが、結果として独特の声を生み出すことがある。
つまり「下手」は絶対的な尺度ではない。
ある音楽のルールを基準にすれば間違いでも、別の音楽のルールでは特徴になる。
ここで重要なのは、音楽には複数の評価軸があるということだ。
演奏技術。
作曲技術。
音色。
独創性。
身体性。
録音。
アイデア。
文化的背景。
感情的な説得力。
そして「その音楽でしか聞けないもの」が存在するかどうか。
高度な技術を持つ人間は、ある音を意図的に作れる。
しかし、技術を持っていない人間が偶然作った音は、別の意味で再現しにくいことがある。
だから「下手な音楽」が面白くなる。
それは下手だからではない。
その音が、別の方法では作りにくいからだ。
Punkの初期録音を考えてみれば分かりやすい。
1970年代のPunkは、既存のロック音楽が高度化していく流れの中で登場した。
プログレッシブ・ロックやハードロックでは、長い演奏、複雑な構成、高度な技術が重要な価値になっていた。
そこに、短い曲、単純なコード、速いテンポ、粗い演奏を持つPunkが登場する。
このときPunkが単に「技術の低いロック」だったと考えると、本質を見失う。
Punkは「高度な演奏ができなければ音楽を始められない」という前提そのものに疑問を投げかけた。
誰でも演奏できる。
誰でもバンドを作れる。
誰でもレコードを作れる。
誰でも自分たちの情報を発信できる。
この思想は音楽そのものだけではなく、レコード、フライヤー、ファンジン、ライブハウス、独立レーベルなどを含む文化全体に広がった。
ワシントンD.C.のPunk/Hardcoreシーンでは、ファンジンがバンドと観客を結ぶ重要なメディアになった。Smithsonianも、1970年代後半からD.C.のPunkシーンでファンジンが発展し、ライブ会場、レコード店、口コミなどを通じて流通していたことを記録している。
ここで「下手」は、単なる技術不足ではなくなる。
それは参加するためのハードルを下げる装置になる。
「上手くなってから始める」のではなく、「始めることで自分たちの音楽を作る」という発想が、20世紀後半の音楽文化を大きく変えた。
Punkは「下手でもいい」と言ったのではない
Punkを「下手な音楽」と説明すると、かなり重要な部分を取り逃がす。
Punkは単純な音楽だった。
しかし単純であることと、無目的であることは違う。
Ramonesの短い曲。
Sex Pistolsの攻撃的なサウンド。
The Clashの政治性。
初期のUK Punkに見られる荒々しい演奏。
こうした音楽には、それぞれ異なる背景がある。
Punkが重要だったのは、音楽的な複雑さを削ることによって、別のものを前面に出したことだ。
速度。
音量。
身体性。
態度。
直接性。
そして参加性。
曲が短ければ、演奏する側も聴く側も構造を把握しやすい。
コードが少なければ、演奏を始めるまでのハードルが下がる。
ファンジンを作れば、既存メディアを通さずに情報を伝えられる。
フライヤーを作れば、自分たちでライブを宣伝できる。
小さなレーベルを作れば、既存の産業構造とは別の流通経路を作れる。
この意味でPunkは、音楽ジャンルであると同時に制作環境の再設計でもあった。
Smithsonianの資料にあるD.C.のPunk文化は、そのことを非常によく示している。バンドに所属していなくても、ファンジンを作ったり、ディストリビューションをしたり、レーベルを運営したり、カセットや7インチを制作したりするなど、シーンに参加する方法が複数存在したという証言が残っている。
つまりPunkの本当の革命は、「下手でもいい」ということではない。
「音楽を作るために、巨大なシステムを必要としない」ということだった。
そして、その考え方は後のLo-Fiやインターネット音楽にもつながっていく。
Noiseは「音楽ではない音」を音楽にした
Punkよりさらに極端な場所に進むと、Noiseがある。
Noise Musicでは、メロディ、ハーモニー、リズムといった伝統的な音楽要素だけでは説明できない作品が大量に存在する。
フィードバック。
電子ノイズ。
金属音。
機械音。
歪み。
ハム。
テープ。
極端な音量。
反復。
長時間の持続音。
こうした音が作品の中心になる。
Noiseの歴史を理解するためには、20世紀初頭まで戻る必要がある。
未来派の画家・作曲家ルイージ・ルッソロは1913年、「The Art of Noises」で、工業社会の騒音を音楽的素材として扱う考え方を示した。
これは後のNoise Musicそのものではない。
しかし、音楽の素材を楽器音だけに限定しない考え方を理解するうえで重要な先駆的発想だった。
20世紀を通して録音技術と電子技術が発展すると、音楽家はさらに多くの音を扱えるようになった。
マイクは環境音を拾える。
テープは音をコピーできる。
編集によって時間を切り刻める。
電子機器は人間の楽器とは違う波形を作れる。
アンプは小さな信号を巨大な音にできる。
フィードバックはシステム自身を音源に変える。
ここで重要なのは、「ノイズ」が単なる不快音ではなくなったことだ。
Noiseでは、音の物理的な質感そのものが作品になる。
音程が存在しない。
あるいは音程が認識しにくい。
リズムが安定しない。
あるいはリズムという概念そのものが後退する。
それでも音楽として成立する。
なぜなら、聴く対象が「メロディ」から「音そのもの」へ移るからだ。
これは絵画にも似ている。
写実的な絵画では「何が描かれているか」が重要になる。
しかし抽象絵画では、色、線、形、質感そのものが作品になる。
Noiseも同じように、音を「何かを表現する材料」から「それ自体が観察対象」へ変えていく。
そのとき、「きれいな音」と「汚い音」の区別は急速に弱くなる。
Noiseが示したのは、音楽には「美しい音を並べる」という以外にも、音を聴かせる方法があるということだった。
「壊れている音」は、本当に壊れているのか
ここで面白い問題が出てくる。
音楽機材は、本来、正しく動くことを目的に作られている。
アンプは信号を増幅する。
スピーカーは信号を音に変換する。
テープレコーダーは音を記録する。
レコードプレーヤーは溝を読み取る。
デジタル機器はデータを正確に処理する。
しかし、音楽家はその「正しく動く」という前提を利用して、逆方向へ進むことがある。
アンプを過剰に入力すれば歪む。
テープを何度も録音すれば劣化する。
古いテープは磁性体が弱くなる。
レコードにはスクラッチが入る。
デジタルデータが破損すればグリッチが生まれる。
つまり、機材の「失敗」が新しい音になる。
これは録音技術の歴史において非常に重要な考え方だ。
録音技術が進歩するにつれて、音楽家は「音を正確に保存する」だけではなく、「記録媒体そのものを音源として扱う」ようになった。
William Basinskiの作品は、その極端な例としてよく知られている。
Basinskiは1980年代に作ったテープループを後にデジタル化しようとした。
その過程で古い磁気テープの劣化が進み、繰り返し再生するうちにテープの磁性体が剥がれ、音そのものが変化していった。
その現象を作品としてまとめたものが、後の「The Disintegration Loops」につながった。
ここで重要なのは、「劣化したから良かった」という単純な話ではない。
もしテープが完全に壊れて音が消えていたら、作品にはならなかった。
作品になったのは、劣化が音楽として知覚できる程度の変化を生み、その変化を作者が作品として扱ったからだ。
つまり「壊れた音」そのものに価値があるのではない。
壊れ方を聴く方法が発見されたのである。
失敗が芸術になる瞬間は、失敗そのものではなく、そこに存在する変化を誰かが「聴く対象」として認識した瞬間に生まれる。
Outsider Musicが問い直した「音楽家」の定義
Outsider Musicという言葉も、「上手い/下手」という問題を考えるうえで重要だ。
ただし、この言葉は非常に広く使われるため、すべての非専門的な音楽をOutsider Musicと呼べるわけではない。
Outsider Artという考え方は、既存の美術制度や教育の外側で作られた作品を扱う歴史を持っている。
Smithsonianの資料でも、Outsider Artは公式文化の境界の外で作られた作品を扱う広い概念として説明され、自学自習の作家や制度の外側にいた作家たちが重要な対象となっている。
音楽でも似た問題が起きる。
音楽学校で教育を受けていない。
楽譜を読めない。
一般的な楽器演奏法を知らない。
録音技術を知らない。
既存のジャンルのルールを知らない。
こうした条件は、一見すると欠点に見える。
しかし、同時に別の可能性を作る。
既存のルールを知らないから、既存のルールから外れることを恐れない。
普通なら避ける音程を使う。
奇妙なテンポを選ぶ。
不自然な反復を続ける。
独特な発声をする。
一般的には「間違い」とされる演奏をそのまま残す。
ここで重要なのは、Outsider Musicを「純粋な才能」としてロマン化しすぎないことだ。
専門的な訓練がないこと自体が芸術的価値になるわけではない。
また、精神疾患や社会的孤立などを理由に作品を分類することも慎重でなければならない。
評価すべきなのは、その作品が実際にどのような音を持っているかだ。
そして、その音が既存の音楽とは異なる聴取体験を生み出すかどうかである。
Outsider Musicが重要なのは、「音楽家とは誰なのか」という境界を広げた点にある。
音楽大学を卒業していなくても音楽家になれる。
プロのスタジオを持っていなくても作品を作れる。
正確な演奏ができなくても、録音を残せる。
そして、結果として、その人にしか作れない音が残ることがある。
Outsider Musicの価値は「下手だから特別」なのではなく、既存の音楽制度では生まれにくかった音が記録されることにある。
Lo-Fiは「低品質」ではなく「別の品質」だった
Lo-Fiという言葉は非常に面白い。
Low Fidelity。
つまり高忠実度ではない。
音質が悪い。
ノイズがある。
帯域が狭い。
歪んでいる。
録音環境が整っていない。
しかし、ここでも「低品質」という言葉だけでは説明できない。
家庭用カセットレコーダー。
4トラック・レコーダー。
安価なマイク。
小さなミキサー。
中古機材。
こうした環境は、プロのスタジオと比べれば制約が多かった。
しかし、その制約が制作方法を変えた。
大きなスタジオでは、録音前に演奏を完成させる必要がある。
しかし、家庭録音では一人で多重録音できる。
ギターを録音する。
ボーカルを録音する。
ドラムマシンを追加する。
キーボードを重ねる。
もう一度録音する。
そして、テープの制約の中で作品を組み立てる。
この環境では、録音機材そのものが作曲の一部になる。
さらに、録音の失敗も作品に残る。
テープのヒス。
部屋の反響。
マイクの歪み。
音量の不均衡。
バックグラウンドノイズ。
これらは、プロのスタジオなら修正される可能性が高い。
しかし家庭録音では、それらがそのまま残る。
ここで重要なのは、Lo-Fiが「高品質録音を作れなかった結果」だけではないことだ。
Lo-Fiには意図的な美学も存在する。
録音の粗さが親密さを生む。
声が近く感じられる。
演奏している部屋の存在が分かる。
完成品というより「誰かの生活の中で作られたもの」に聞こえる。
その結果、録音の欠点が作品の個性になる。
PunkのDIY文化とも、この考え方は接続している。
Punkが「誰でもバンドを始められる」という制作上の民主化を進めたなら、家庭録音は「誰でも録音できる」という技術上の民主化を進めた。
さらにデジタル技術が普及すると、その流れは加速した。
高価なスタジオを借りなくても、コンピューターだけで多くの録音・編集・加工ができるようになった。
音楽制作の入口が、ますます小さくなった。
Lo-Fiが面白いのは、音質を落とすことではなく、録音環境そのものを音楽の一部に変えたところにある。
「間違い」が個性になる瞬間
では、なぜ人間は音楽の間違いに魅力を感じることがあるのだろうか。
ここには心理学的な要素がある。
音楽を聴いているとき、人間は次に何が来るかをある程度予測している。
次の拍。
次のコード。
次の音。
フレーズの終わり。
曲の展開。
その予測が外れると、私たちは「驚き」を経験する。
音楽認知研究では、音楽的期待と予測誤差が快楽と関連することが研究されている。
2019年の研究では、音楽的な予測誤差が報酬系の一部である側坐核の活動と関連することが示された。
さらに、和音の予測可能性と驚きの組み合わせが音楽の快感に関係するという研究もある。
ここで重要なのは、「予測を裏切れば裏切るほど良い」という話ではないことだ。
完全にランダムな音楽は、必ずしも面白いとは限らない。
ある程度のパターンが必要になる。
規則があるから、そこからのズレが分かる。
リズムがあるから、そこから外れる瞬間が分かる。
音程の関係があるから、異なる音程が目立つ。
つまり、魅力的な「間違い」には、その前に「正しいと思わせる構造」が存在することが多い。
これはPunkにもNoiseにもLo-Fiにも応用できる。
Punkはロックの構造を知ったうえで、それを単純化した。
Noiseは音楽と非音楽の境界を知ったうえで、その境界を押し広げた。
Lo-Fiは高品質録音という基準を知ったうえで、その基準から離れた。
Vaporwaveは既存のポップ音楽や商業音楽の記憶を利用して、それを変形した。
「悪い音」が面白いのではない。
「悪い」と認識できる基準があるからこそ、そのズレが意味を持つ。
魅力的な違和感には、違和感を認識するための基準が必要になる。
単純な音楽が、なぜ何度も戻ってくるのか
もう一つの重要な要素が「単純さ」だ。
単純な音楽は、しばしば低い評価を受ける。
コードが少ない。
メロディが単純。
歌詞が繰り返される。
リズムパターンが変わらない。
曲が短い。
しかし、単純さには強力な機能がある。
記憶しやすい。
身体で感じやすい。
反復を認識しやすい。
予測しやすい。
そして、その中に小さな変化があると、それを強く感じられる。
一定のビートが続いていると、わずかなズレでも目立つ。
同じコードが繰り返されると、突然のコード変更が強く感じられる。
同じフレーズが続けば、最後の一音の変化が大きな意味を持つ。
つまり、単純さは情報量を減らすだけではない。
変化の意味を増幅する。
音楽心理学の研究でも、予測可能性と不確実性のバランスが音楽の好みに関係することが示されている。過度に予測可能でも、過度に無秩序でもなく、その間に学習や発見が起こる領域が重要になるという考え方だ。
Punkの短い曲が強いのも、そのためだ。
同じコードを何度も鳴らす。
同じリズムを繰り返す。
しかし、そこに声、速度、音量、ギターの歪み、演奏者の身体性が加わる。
結果として、構造は単純でも体験は単純ではない。
ここには重要な逆説がある。
音楽は「情報を増やす」ことで複雑になるだけではない。
情報を削ることで、一つ一つの変化を目立たせることもできる。
単純な音楽は情報が少ないのではなく、少ない材料に大きな意味を集中させることができる。
Vaporwaveは「古い音」を壊して新しくした
そして2010年代になると、「壊す」という考え方がデジタル環境の中で別の形を取る。
Vaporwaveである。
Vaporwaveは、1980年代や1990年代の商業音楽、Smooth Jazz、Easy Listening、Muzakなどを加工し、スローダウン、ループ、ピッチ変更、編集、エフェクトなどを組み合わせるスタイルとして発展した。
その象徴的作品の一つが、Macintosh Plus名義のRamona Xavierによる2011年の「Floral Shoppe」だ。
AllMusicは「Floral Shoppe」を、インターネット発のVaporwaveを代表する作品として位置づけ、1980年代R&B、Smooth Jazz、Soft Rockなどの素材を加工したサウンドや、特徴的なビジュアルをこの作品の重要な要素として説明している。
Vaporwaveが面白いのは、昔の音楽を単純に復刻していないことだ。
むしろ、過去の音楽を「壊して」いる。
速度を落とす。
同じ部分を繰り返す。
音程を変える。
一部だけを取り出す。
不自然な位置で切る。
長く引き伸ばす。
音の意味を変える。
元の曲を知っていれば、その違和感が分かる。
知らなければ、最初から奇妙な電子音楽に聞こえる。
ここでも重要なのは「基準」だ。
元の音楽が存在するからこそ、加工後の音が異様に聞こえる。
そして、その異様さが作品になる。
Vaporwaveには、消費社会、グローバリゼーション、テクノロジー、企業文化、ノスタルジアなどを扱う批評的側面が指摘されている。AllMusicも、消費主義や資本主義への懐疑、グローバリゼーションなどをVaporwaveの背景として説明している。
ここでは「音の劣化」が単なる音質ではなく、文化的な意味になる。
古い商業音楽。
古いコンピューター。
日本語の文字。
企業的なビジュアル。
ショッピングモール。
エレベーター音楽。
それらを切り刻み、遅くし、ループさせる。
すると、過去の未来像が現在から見た奇妙な記憶に変わる。
PitchforkもVaporwaveを、2010年代前半にインターネットを中心に広がったミクロジャンルとして扱い、技術への憧れ、ノスタルジア、デジタル文化、消費社会などの複数の要素が混ざった現象として説明している。
Vaporwaveは、古い音楽を保存するのではなく、古い音楽が記憶の中でどう変形するかを作品にした。
PunkからVaporwaveまでを一本につなぐ
ここまで見ると、Punk、Noise、Outsider Music、Lo-Fi、Vaporwaveはまったく違う音楽に見える。
実際、歴史的背景も制作方法も違う。
しかし、共通する考え方がある。
それは「完成された音だけが音楽ではない」ということだ。
Punkは、演奏技術の不足を制作参加への入口に変えた。
Noiseは、音楽の外側にあった音を素材にした。
Outsider Musicは、制度の外側から生まれた音楽を記録した。
Lo-Fiは、録音環境の制約を音色に変えた。
Vaporwaveは、既存音源の加工やデジタル文化そのものを作品化した。
この流れを図にすると、こうなる。
技術の制約"] --> B["DIY
自分で作る"] B --> C["Noise
音の境界を広げる"] C --> D["Outsider Music
制度の外側"] D --> E["Lo-Fi
録音環境を音にする"] E --> F["Digital DIY
制作環境の小型化"] F --> G["Vaporwave
既存音源を再加工"] G --> H["新しい音楽価値
欠点・劣化・違和感の再評価"]
この図を「ジャンルの系譜」として見るのは正確ではない。
Punkが直接Vaporwaveを生んだわけではない。
しかし、「既存の完成度から離れることで新しい表現を作る」という発想が、異なる時代に繰り返し現れていることは確かだ。
さらに、制作環境の変化がこの傾向を後押ししている。
1970年代。
安価なカセットや小規模なレーベル。
1980年代。
4トラック録音やホームレコーディング。
1990年代。
デジタル録音とサンプラー。
2000年代。
コンピューターによる個人制作。
2010年代。
BandcampやSoundCloudなどのインターネット配信。
こうして、音楽を作るために必要な設備は小さくなっていった。
そして、制作環境が小さくなるほど、「完成度を上げるための巨大なシステム」が必須ではなくなった。
音楽制作の民主化は、より多くの人が「完璧ではない音」を世の中に残せる環境を作った。
「壊す」ことは、実は高度な作曲方法でもある
ここで一つ注意が必要だ。
「悪い音が良い」という考え方を単純化すると、何でもありになってしまう。
適当に演奏すればPunkになるわけではない。
ノイズを出せばNoiseになるわけでもない。
音質を悪くすればLo-Fiになるわけではない。
古い音源を遅くすればVaporwaveになるわけでもない。
なぜなら、作品として成立するためには、音の選択が必要だからだ。
Noiseにも構造がある。
Lo-Fiにもミックスの判断がある。
Vaporwaveにもサンプルの選択がある。
Punkにも曲の長さ、テンポ、コード、歌詞、演奏の判断がある。
「下手にする」こと自体が目的になった瞬間、表現としての強度は弱くなる。
だから、本当に面白い作品では、「偶然」と「意図」が共存している。
偶然起きたノイズを残す。
偶然できた歪みを利用する。
演奏のズレを修正しない。
壊れたテープを使う。
しかし、その中から何を残すかは作者が決める。
William Basinskiの作品でも、テープの劣化自体は意図して起きたものではなかった。しかし、その変化を繰り返し扱い、作品として構成したことによって音楽になった。
ここには、現代音楽全体に通じる重要な考え方がある。
作曲とは、音を「作る」ことだけではない。
音を「選ぶ」ことでもある。
録音すること。
残すこと。
切ること。
繰り返すこと。
無視すること。
偶然を採用すること。
これらも作曲行為になる。
「完璧な音を作る」ことと「意味のある音を選ぶ」ことは、まったく別の技術である。
年表:音楽はいつから「欠点」を使い始めたのか
| 年代 | 出来事 | 「欠点」との関係 |
|---|---|---|
| 1913 | ルイージ・ルッソロが「The Art of Noises」を発表 | 都市の騒音を音楽的素材として考える |
| 1940s–60s | テープ録音・編集技術が広く発展 | 録音そのものを創作素材として扱える環境が拡大 |
| 1960s | ロックや実験音楽で歪み・フィードバックなどが拡大 | 機材の限界や異常な音が表現に利用される |
| 1970s | Punkが英国・米国などで発展 | 高度な演奏技術を前提としないDIY文化が拡大 |
| 1970s–80s | カセットや小規模録音環境が普及 | 個人が低予算で録音・複製できるようになる |
| 1980s | 4トラックなどのホームレコーディング環境が発展 | 家庭環境そのものが録音サウンドに影響 |
| 1980s–90s | Outsider Musicへの関心が拡大 | 制度外・独学の音楽家の作品が評価対象になる |
| 1990s | デジタル録音・サンプリング環境が拡大 | 音のコピー、加工、編集が個人制作でも容易になる |
| 2000s | PCベースの音楽制作が一般化 | スタジオ以外での制作がさらに容易になる |
| 2001–02 | William Basinskiの「The Disintegration Loops」 | 劣化するテープそのものが作品の構造になる |
| 2010s | Vaporwaveがインターネットを中心に拡大 | 既存音源の加工、劣化、反復が新しい美学になる |
| 2010s–20s | 配信・SNS・デジタル制作環境が拡大 | 個人が制作から発表まで完結しやすくなる |
この歴史を一直線の進歩として見る必要はない。
むしろ、音楽家たちが時代ごとに「何を欠点と呼ぶのか」を問い直してきた歴史として見る方が面白い。
五つの「悪い音」は、実は五種類の自由だった
ここで、Punk、Noise、Outsider Music、Lo-Fi、Vaporwaveをもう一度整理してみよう。
| 音楽文化 | 一般的に「欠点」と見なされるもの | そこから生まれた価値 |
|---|---|---|
| Punk | 演奏の粗さ、単純さ | 直接性、DIY、参加性 |
| Noise | 不協和、騒音、過剰な音 | 音そのものの探究 |
| Outsider Music | 非専門的な演奏、独特な構造 | 個人的な表現 |
| Lo-Fi | ノイズ、歪み、狭い帯域 | 親密さ、質感、環境性 |
| Vaporwave | 劣化、反復、ピッチ変更、サンプル加工 | ノスタルジア、批評、デジタル美学 |
この表を見ると、「悪い音」というものが一つではないことが分かる。
演奏が悪い。
音質が悪い。
構造が悪い。
素材が悪い。
録音が悪い。
あるいは、そもそも「音楽として扱うべきではない音」を使っている。
それぞれ違う。
だから「Bad Music」という言葉は、実はかなり便利な入口になる。
なぜなら、それを使うと「何をもって悪いと言っているのか」という質問が生まれるからだ。
そして、その質問を続けていくと、音楽の価値観そのものが見えてくる。
「悪い音楽」という言葉は、音楽についての評価ではなく、私たち自身の評価基準を調べるための質問になる。
「良い音」は、時代によって変わる
録音技術の歴史を見ると、この問題はさらに明確になる。
かつては、録音のノイズを減らすことが技術的な目標だった。
テープヒスを減らす。
歪みを減らす。
周波数特性を広げる。
S/N比を改善する。
ステレオ分離を向上させる。
デジタル録音では、さらに高い精度が追求された。
ところが、ある時点から、音楽家は逆方向に進み始める。
テープの質感を再現する。
レコードのノイズを加える。
ビット数を落とす。
サンプリングレートを下げる。
音をクリップさせる。
古い機材を使う。
こうした行為は、技術的には「後退」に見える。
しかし、芸術的には必ずしも後退ではない。
なぜなら、技術的な品質と文化的な意味は違うからだ。
高解像度の写真が、必ずしも古いフィルム写真より感情的に強いわけではない。
最新のシンセサイザーが、必ずしも古いアナログ機材より面白い音を作るわけではない。
完全な録音が、必ずしも部屋の空気まで伝えるわけではない。
ここで起きているのは、「品質」の再定義だ。
音の正確さ。
音の存在感。
音の古さ。
音の親密さ。
音の物理性。
音の記憶性。
それぞれ違う品質である。
Vaporwaveが象徴的なのは、最新のデジタル環境を使って、古いデジタル文化の記憶を再構成したことだ。
最新技術で古い技術の痕跡を作る。
これは単純なレトロ趣味ではない。
技術が変わったからこそ、昔の音の欠点が新しい意味を持つようになった。
技術が進歩すると、過去には欠点だったものが、未来から見ると「時代の音」に変わることがある。
なぜ「完璧」より「人間らしい」音が残るのか
もう一つ、重要なのが人間の存在感だ。
完全に編集された音源では、演奏者のミスがほとんど聞こえないことがある。
しかし、少しだけタイミングがずれている。
呼吸が聞こえる。
指が弦に触れる。
声が揺れる。
アンプが鳴っている。
部屋の反響がある。
こうした情報は、音楽そのものとは直接関係がないように見える。
しかし、聴き手はそこから「誰かがここで演奏した」という情報を受け取る。
録音は音だけを保存しているわけではない。
録音された空間も保存している。
演奏者の身体も保存している。
機材の状態も保存している。
その時代の録音技術も保存している。
だからLo-Fiのノイズは、単なるノイズではない。
それは「どこかで誰かが録音した」という痕跡になる。
Punkの荒い演奏も同じだ。
演奏の完璧さよりも、演奏者の身体が音の前面に出てくる。
Noiseでは、機材の振動やフィードバックそのものが身体的な体験になる。
Outsider Musicでは、専門的な技術よりも個人の独特な発声や演奏が中心になる。
こうして考えると、「欠点」は人間の存在を示す情報でもある。
もちろん、すべてのリスナーがそうした音を好むわけではない。
音楽の好みには大きな個人差がある。
しかし、なぜ一部の人々が完璧ではない録音に強く惹かれるのかを考えると、そこには音の背後にある「制作の痕跡」が関係している可能性がある。
完璧な録音は音だけを聞かせることができるが、少し壊れた録音は、その音がどこから来たのかまで聞かせることがある。
「Bad Music」は、反対語ではない
ここまで来ると、最初の問いに戻ることができる。
なぜBad MusicはGoodになり得るのか。
答えは、「悪い音そのものが良いから」ではない。
もっと単純な話だ。
音楽の価値は、一つの尺度では測れないからだ。
演奏技術が高い。
録音品質が高い。
構造が複雑。
音数が多い。
音程が正確。
これらは一つの価値だ。
しかし、それだけではない。
独創的。
直接的。
個人的。
身体的。
奇妙。
記憶に残る。
文化的に重要。
その時代を象徴している。
他の作品にはない。
こうした価値も存在する。
そして、これらの価値が、ときどき「技術的な欠点」と同じ場所に現れる。
だからPunkは面白い。
だからNoiseは面白い。
だからOutsider Musicは面白い。
だからLo-Fiは面白い。
だからVaporwaveは面白い。
彼らは「悪い音」を作ったのではない。
それまで音楽の価値として見られていなかったものを、価値のあるものとして提示した。
その結果、聴き手の耳の方が変わった。
最初はただのノイズだったものが、質感に聞こえる。
最初はただの下手な演奏だったものが、個性に聞こえる。
最初はただの低音質録音だったものが、時代の記憶に聞こえる。
最初はただの古いサンプルだったものが、文化批評に聞こえる。
音楽の革命は、いつも新しい音を発明することだけではない。
すでに存在していた音を、新しい方法で聴かせることでも起きる。
「良い音楽」とは、必ずしも「正しい音楽」ではない。ときには、私たちが今まで間違いだと思っていたものを、もう一度聴き直させる音楽こそが強い。
そして「壊れた音」は、また戻ってくる
音楽史には、奇妙な循環がある。
新しい技術が登場する。
音がきれいになる。
録音が正確になる。
編集が簡単になる。
そしてしばらくすると、音楽家が昔の欠点を探し始める。
テープの音。
レコードのノイズ。
古いドラムマシン。
カセットの歪み。
VHSの映像。
低解像度の画像。
古いコンピューターの音。
そして、そこに新しい意味を与える。
これは単なる懐古ではない。
技術が変わったことで、過去の欠点を客観的に聞けるようになったからだ。
昔は「仕方なく入っていたノイズ」だった。
今では「ノイズを選んで入れる」ことができる。
昔は「録音機材が悪かった」。
今では「悪い録音を再現する」ことができる。
昔は「テープが劣化した」。
今では「テープの劣化をサウンドデザインとして使える」。
つまり、技術が進歩した結果、人間は「不完全さを意図的に選ぶ」という奇妙な自由を手に入れた。
これは音楽だけではない。
フィルム写真。
ヴィンテージデザイン。
古着。
アナログ機器。
カセット。
レコード。
古いゲーム機。
低解像度の映像。
現代の文化では、過去の技術的制約そのものが美学になることがある。
そして音楽は、その現象が特に早く、そして強く現れた場所の一つだった。
完璧な技術が普及したとき、人間は初めて「不完全さを選ぶ自由」を持てるようになる。
最後に残るのは「上手い音」ではなく「忘れられない音」
音楽を「上手いか下手か」だけで評価すると、歴史のかなりの部分を見失う。
Punkは、技術的な完成度よりも参加することの可能性を広げた。
Noiseは、音楽の素材そのものを拡張した。
Outsider Musicは、音楽家という存在の境界を問い直した。
Lo-Fiは、録音環境を音楽の一部にした。
Vaporwaveは、既存の音を壊し、再配置し、デジタル時代の記憶として提示した。
そして、そのすべてに共通しているのは、「音楽とは何か」という問いを、作品の中でやり直していることだ。
上手い音。
きれいな音。
正確な音。
完成された音。
それらは素晴らしい。
しかし、それだけが音楽ではない。
人間は、予測できないものにも惹かれる。
少しの違和感に気づく。
繰り返しの中の変化を探す。
音の質感を記憶する。
録音された場所を想像する。
古い音から時代を感じる。
そして、自分が知っている「良い音」のルールを、一度壊してみる。
そのとき初めて、今まで「悪い」と呼んでいた音の中に、別の価値が見えてくる。
音楽史は、完成度の上昇だけでは説明できない。
それは同時に、欠点、偶然、失敗、ノイズ、劣化、単純さ、違和感を、何度も音楽へ取り戻してきた歴史でもある。
そしておそらく、これからもそうだろう。
新しい技術が音を完璧にすればするほど、人間はまたどこかに「壊れた音」を探し始める。
なぜなら、人間が音楽に求めているものは、正確さだけではないからだ。
そこには、驚きがある。
そこには、身体がある。
そこには、偶然がある。
そこには、記憶がある。
そして何より、そこには「誰かがこの音を選んだ」という痕跡がある。
良い音楽とは、欠点のない音楽ではない。聴き終わったあとも、なぜか頭の中に残り続ける音楽である。
まとめ:Bad MusicがGood Musicになるまで
この循環は、PunkからNoise、Outsider Music、Lo-Fi、Vaporwaveまで、形を変えながら何度も現れてきた。
そして、そのたびに音楽の「普通」は少しずつ変わった。
今日では普通に聞こえる歪みも、かつては異常だった。
普通に聞こえるサンプリングも、かつては新しかった。
家庭録音も、インターネット配信も、今では当たり前になった。
音楽の歴史において、「普通」は固定されたものではない。
誰かが普通から外れた音を作る。
誰かがそれを面白いと思う。
別の人が真似する。
やがて、その音が新しい普通になる。
だから、「Bad Music」という言葉は、最後には少し奇妙に聞こえてくる。
本当に悪い音楽があるのではなく、まだ価値を発見されていない音がある。
もちろん、すべての失敗が芸術になるわけではない。
すべてのノイズが音楽になるわけでもない。
すべての下手な演奏に価値があるわけでもない。
しかし、音楽史を振り返れば、かつて欠点とされたものの中から、新しい価値が何度も発見されてきた。
そして一度その価値が発見されると、私たちは以前とは違う耳で音を聴くようになる。
だから次に「これは下手だ」と思う音を聴いたとき、少しだけ立ち止まってみてもいい。
本当に下手なのか。
それとも、自分がまだその音を聴くためのルールを知らないだけなのか。
音楽の歴史を変えるのは、いつも最も上手く演奏された音とは限らない。ときには、誰も音楽だと思っていなかった音を、最初に「聴いてみよう」とした人間が歴史を変える。