なぜ私たちは“おすすめ”に疲れたのか
文:mmr|テーマ:アルゴリズムが「あなたの好きなもの」を先回りして選ぶ時代に、人々がレコード店や古本屋、ライブ、口コミ、ローカルコミュニティなどを通じて、予測できない「偶然の発見」を求め始めている理由を探る
「おすすめ」が賢くなり続けている。
音楽を聴けば、次に好きそうな曲が出てくる。
映画を見れば、次に気に入りそうな作品が並ぶ。
本を買えば、似た本が表示される。
動画を一本見れば、その続きを無限に用意してくれる。
自分が何を好きなのかを説明しなくてもいい。
過去に何を聴いたか。
何を最後まで見たか。
何を飛ばしたか。
何に「いいね」を押したか。
何を保存したか。
そうした行動からシステムが好みを推測する。
Netflixは視聴履歴、評価、似た嗜好を持つ利用者、作品情報などを推薦に利用すると説明している。TikTokも「いいね」「シェア」「コメント」「視聴完了」「スキップ」などの反応やコンテンツ情報などを推薦に利用している。Spotifyも個人の視聴履歴や行動などを使って推薦を個別化している。
これは便利だ。
そして実際、非常に強力だ。
Spotifyは2025年、2015年に始まったDiscover Weeklyについて、累計1000億回以上の楽曲再生と、毎週5600万件以上の新しいアーティスト発見につながっていると発表した。
つまり、アルゴリズムは「発見」を壊しただけの存在ではない。
むしろ大量の作品の中から、これまでなら見つけられなかった音楽を発見させる装置にもなっている。
問題は、その先にある。
アルゴリズムが、
「あなたはこれが好きです」
と言い続けるとき、
人間はいつまで、
「自分が何を好きなのか分からない状態」
を楽しめるのだろうか。
そこに、2020年代後半の奇妙な反動がある。
アルゴリズムに反対するためではない。
アルゴリズムから完全に逃げたいわけでもない。
ただ、
「自分では選ばなかったものに出会いたい」
という欲求が消えていないのである。
選択肢が増えるほど、発見は難しくなる
インターネット以前の音楽発見には、物理的な制限があった。
レコード店に行く。
棚を見る。
ジャケットを見る。
裏面のクレジットを見る。
店員に聞く。
友人に聞く。
雑誌を読む。
ラジオを聴く。
ライブに行く。
そこで知らない音楽に出会う。
重要なのは、そこに「知らないもの」が大量に存在していたことだ。
しかも、その未知のものを効率よく排除する方法がなかった。
レコード店に入って、
「自分が過去に聴いた音楽と90%似ているものだけ表示してください」
とはできない。
棚はそんなに親切ではない。
中古盤ならなおさらだ。
隣に何が置かれているか。
前の客が何を戻したか。
店員がどこに置いたか。
たまたま目に入ったジャケットが何だったか。
そうした偶然が検索システムの代わりになった。
これは不便でもあった。
しかし、不便だからこそ、予想できないものが入り込んだ。
現代の推薦システム研究では、この問題は「serendipity」という言葉で研究されてきた。
単に新しいだけではない。
利用者にとって予想外でありながら、意味のある発見であること。
2016年の研究レビューでは、推薦システムにおけるセレンディピティは、既知の好みに近いだけではなく、意外性や新規性を含むものとして扱われている。2025年の研究でも、推薦におけるセレンディピティはフィルターバブルを破るための重要な研究課題として扱われている。
ここで重要なのは、
「アルゴリズムは偶然を作れない」
という単純な話ではない。
むしろ、アルゴリズムは偶然らしいものまで設計できる。
問題は、その偶然が、
「あなたの過去から計算された偶然」
だということだ。
この循環は非常に効率的だ。
そして、その効率の高さこそが、別の種類の発見を見えにくくする可能性を持っている。
発見には、「まだ自分の好みとして説明できないもの」が入り込む余地も必要になる。
「あなた向け」は、音楽の見え方を変えた
音楽ストリーミングが変えたのは、音楽を聴く方法だけではない。
音楽の「入口」そのものだった。
CDショップでは、まず商品を見る。
アーティスト名を見る。
レーベル名を見る。
ジャンルを見る。
値段を見る。
ジャケットを見る。
そして買う。
ストリーミングでは、音楽を再生する前に、サービス側が入口を作る。
「あなたのために」
「おすすめ」
「新しい音楽」
「あなたが好きかもしれない曲」
「似たアーティスト」
こうした言葉が、聴く前の画面を構成する。
SpotifyはDiscover Weeklyを2015年に開始した。
毎週更新される個人向けプレイリストという仕組みは、音楽発見を「探す行為」から「届けられる行為」へ変えた。Spotify自身も、Discover Weeklyを過去の視聴履歴などをもとにした新しい音楽との出会いのための機能として説明している。
ここには大きな変化がある。
昔は、
「何を聴こう?」
と考えた。
今は、
「何かおすすめは?」
と考える。
この二つは似ているようで違う。
前者では、自分が探索の主体になる。
後者では、探索をサービスに委ねる。
もちろん、Discover Weeklyのようなシステムは、巨大な音楽カタログの中から人間が一人では探し切れない作品を提示できる。
だから「アルゴリズム=悪」という構図にはならない。
Spotify自身も、推薦では親しみやすさ、類似性、発見をどうバランスさせるかを研究している。推薦研究そのものが、ユーザーに似たものだけを返せばよいとは考えていない。
むしろ面白いのは、
アルゴリズム側も「偶然」を必要としていることだ。
つまり、
人間がアルゴリズムに反発する前に、
アルゴリズム自身が「似すぎること」を問題として研究してきた。
「もっと違うものを聴きたい」という欲求は、アルゴリズム時代になって突然生まれたものではない。
便利すぎる推薦が生む、小さな疲労
「あなた向け」という言葉は、最初は魅力的だった。
自分の趣味を理解してくれる。
時間を節約できる。
大量の情報から選んでくれる。
知らない作品を紹介してくれる。
しかし、推薦が生活のあらゆる場所に入り込むと、別の感覚が生まれる。
またおすすめされている。
また似たものが出てくる。
また自分の過去の行動が反映されている。
その状態では、
「自分が何かを選んでいる」
という感覚が少しずつ薄くなる。
これは「アルゴリズムが人間の自由を奪った」という単純な話ではない。
推薦システムには、利用者の選択を助けるという明確な役割がある。
問題は、選択を助けることと、選択肢そのものを形作ることが同じ画面で起きることだ。
Netflixも、推薦対象を利用者の視聴履歴、評価、似た利用者、作品情報などから予測すると説明している。TikTokも、利用者の反応などから興味を予測し、コンテンツをランキングしている。
つまり、私たちが見ている「世界」は、巨大なカタログそのものではない。
カタログの中から、
「あなたが見そうなもの」
が前面に出た世界だ。
それは快適だ。
しかし、快適な世界では、迷子になりにくい。
そして迷子にならないということは、
知らない場所に入り込む機会も減るということでもある。
迷子になることは、情報社会では非効率でも、文化の発見においては重要な経験になる。
レコード店は「検索できない」ことが価値になる
レコード店には検索窓がない。
もちろん、店によってはデータベースがある。
しかし、棚そのものはアルゴリズムではない。
同じアーティストの作品が並んでいても、その横には別のジャンルの作品がある。
中古盤なら、在庫は毎日変わる。
昨日あった作品が今日にはない。
誰かが買ったからだ。
その代わり、別の誰かが何かを持ち込む。
だから棚は固定された推薦リストではない。
時間によって変化する。
人によって変化する。
店員によって変化する。
客によっても変化する。
そして、棚の並びには完全な意味がない。
この「意味のなさ」が重要になる。
アルゴリズムは、基本的に何らかの関連性を作る。
この作品を聴いたから、次はこれ。
この映画を見たから、次はこれ。
この本を買ったから、次はこれ。
しかしレコード店では、
「なぜこれが隣にあるのか分からない」
という状態が普通に起きる。
その分からなさが、発見の入口になる。
Record Store Dayは2007年に米国で始まり、最初の公式イベントは2008年4月19日に開催された。その後、独立系レコード店を中心に世界へ広がった。日本でも2026年現在、350店を超えるレコード店が参加していると公式サイトは説明している。
ここで祝われているのは、単なる「レコードという物」だけではない。
店そのものだ。
店員。
客。
アーティスト。
レーベル。
地域。
イベント。
つまり、レコード店は販売場所であると同時に、人間同士が音楽について接触する場所でもある。
ここには推薦エンジンとは違う循環がある。
データではなく、人間が次の発見を生む。
レコード店の価値は、すべてを検索できることではなく、検索できないものが残っていることにもある。
中古CDは「過去のアルゴリズム」ではない
中古CDも同じだ。
新品のストリーミングでは、現在の人気や個人の履歴が発見を導きやすい。
中古市場では、過去が現在に突然現れる。
2000年代のCD。
1990年代の輸入盤。
廃盤になった作品。
一時期だけ流通した自主制作盤。
誰かのコレクションから出てきた作品。
そこには、
「今おすすめされる理由」
がない。
それでも存在する。
むしろ、その「理由のなさ」が重要になる。
中古盤を買うとき、購入者はしばしば作品そのものだけでなく、
「なぜこの店にこれがあるのか」
という謎も買っている。
誰が持っていたのか。
なぜ売ったのか。
なぜ今ここにあるのか。
なぜ自分が今日見つけたのか。
こうした問いには、アルゴリズムが答えを出す必要がない。
答えがないからこそ、記憶になる。
そして文化的な発見には、
情報量よりも記憶に残る経路が重要になる場合がある。
ストリーミングでは、
「この曲はおすすめされた」
という経路が残る。
中古CDでは、
「この店で偶然見つけた」
という経路が残る。
二つは同じ作品を見つけるという結果だけを見れば似ている。
しかし、発見の物語が違う。
同じ音楽でも、「どうやって見つけたか」が、その音楽の意味を変えることがある。
古本屋には、音楽と同じ問題がある
この現象は音楽だけではない。
古本屋にも起きる。
Amazonのようなオンライン書店では、過去の購入や閲覧などを利用した推薦によって、本を探しやすくできる。
一方、古本屋では、
「こんな本があるとは思わなかった」
という出来事が起きる。
棚の隅にある。
別の本の隣にある。
表紙だけが見える。
タイトルだけが目に入る。
作者を知らない。
出版社を知らない。
それでも手に取る。
そして読み始める。
このとき、読者は「自分の好みの延長線上」にある本だけを探しているわけではない。
むしろ、自分の検索語では出てこないものに遭遇している。
これは音楽とよく似ている。
レコード店で、
「ambient experimental Japanese 1980s」
と検索できないのと同じように、
古本屋では、
「自分がまだ知らないが、将来好きになる可能性が高い本」
という検索はできない。
だから棚が必要になる。
棚は、人間にとって巨大な未整理データベースだ。
しかし完全なデータベースではない。
欠落がある。
重複がある。
偶然がある。
偏りがある。
そして、それを人間が歩いて見る。
二つは優劣ではない。
ただ、異なる発見の仕組みを持っている。
検索は「探していたもの」を見つけるのに強く、棚は「探していなかったもの」を見つける余地を残す。
ライブには、推薦できないものがある
ライブもまた、アンチ・アルゴリズム的な空間になり得る。
オンラインでは、好きなアーティストを検索できる。
関連アーティストを見る。
プレイリストを見る。
おすすめを見る。
しかしライブでは、
「誰が隣にいるか」
が分からない。
「誰が同じ場所に来るか」
も分からない。
そして、会場で鳴っている音は、その瞬間にしか存在しない。
ライブには、
時間。
場所。
身体。
音量。
照明。
観客。
演者。
空間。
という複数の変数がある。
同じセットリストを別の日に演奏しても、完全に同じ体験にはならない。
これは推薦システムが苦手とする種類の情報だ。
なぜなら、ライブの価値は「何が好きか」だけでは説明できないからだ。
会場に入る。
知らない人の隣に立つ。
前の客が盛り上がっている。
誰かが途中で帰る。
知らないバンドを見る。
そのバンドを目当てに来たわけではなかった。
それでも気に入る。
ライブの発見は、作品の推薦だけではなく、
「人間が同じ場所に集まること」
から生まれる。
これは音楽発見の古い仕組みでありながら、現在でも消えていない。
ライブは、音楽を推薦するのではなく、音楽と人間が同じ時間に存在する状況そのものを作る。
口コミは、最も古い推薦システムの一つだった
友人に、
「これ聴いてみて」
と言われる。
この一言は、非常に強い。
そこにはアルゴリズムにはない情報が含まれている。
その人が何を好きなのか。
自分との関係。
その人がなぜその作品を薦めたのか。
以前どんな音楽について話したか。
その人が実際にその作品を聴いていること。
つまり、口コミには「データ」だけではなく「関係」がある。
Spotifyなどの推薦システムも、利用者の行動や似た嗜好を持つ他の利用者の行動を使って推薦を作る。
しかし、人間同士の口コミでは、
「誰が薦めたか」
そのものが情報になる。
だから、
「この曲いいよ」
と、
「あなたならこれ好きだと思う」
では意味が違う。
後者には、相手による解釈が入っている。
人間は、
「この人は自分のことを分かっている」
と感じることがある。
逆に、
「この人なら自分が普段聴かないものも教えてくれる」
という関係もある。
後者は特に重要だ。
なぜなら、
自分の好みを超える推薦
だからだ。
アルゴリズムは過去の行動から関連性を推測する。
人間は相手との関係から意味を推測する。
この差は小さく見えて、かなり大きい。
口コミの強さは、推薦の正確さではなく、「誰かが自分に何かを渡してくれた」という関係性にある。
ローカルコミュニティは、アルゴリズムの外側にある
さらに面白いのが、ローカルコミュニティだ。
小さなライブハウス。
DJイベント。
レコードショップ。
中古CD店。
古本屋。
小さなギャラリー。
自主制作のフリーペーパー。
地域のイベント。
そこでは、情報が完全にはデジタル化されていない。
Instagramに投稿される。
TikTokに動画が上がる。
Google検索にも出てくる。
それでも、すべての情報がアルゴリズムによって同じように可視化されるわけではない。
むしろローカルな文化では、
「誰かが教えてくれた」
という経路が依然として重要になる。
「今週ここでイベントがあるよ」
「この店に面白い中古盤が入った」
「このバンド、次のライブがいい」
「この古本屋に変な本が入っている」
こうした情報は、ネット上に存在することと、実際に自分へ届くことが同じではない。
そこでコミュニティが役割を持つ。
この循環には、巨大なランキングシステムが必要ない。
むしろ規模が小さいから成立する。
誰が何を好きなのか。
誰がどこにいるのか。
どのイベントに行ったのか。
どの店に通っているのか。
そうした情報が、ネットワークの中を移動する。
小さなコミュニティでは、「発見」はコンテンツの問題ではなく、人と人の距離の問題になる。
Bandcampは「アルゴリズムだけではない音楽のインターネット」を作った
音楽のデジタル化は、必ずしも巨大なストリーミングサービスだけを意味しない。
Bandcampは2008年に設立され、アーティストとファンの直接的な関係を重視してきた。
Bandcamp自身は、デジタル作品だけでなく、レコード、カセット、CD、Tシャツなどを扱い、2026年にもDiscoverを音楽やマーチャンダイズを探すための機能として提供している。
ここが面白い。
Bandcampはオンラインサービスだ。
つまり、物理的なレコード店ではない。
しかし、その構造は巨大な「あなた向けフィード」とは少し違う。
アーティスト。
レーベル。
ジャンル。
タグ。
ファン。
作品ページ。
レビュー。
購入。
フォロー。
コミュニティ。
こうした複数の入口がある。
Bandcamp自身も、サービスをアーティストとファンの直接的な関係を作る場として説明している。
つまり、
「オンラインだからアルゴリズム的」
というわけではない。
重要なのは、
誰が発見を仲介するのか
という問題だ。
巨大な推薦エンジンだけが仲介者なのか。
アーティストなのか。
レーベルなのか。
ファンなのか。
ジャンルコミュニティなのか。
店員なのか。
それとも自分自身なのか。
インターネット上にも、アルゴリズムだけに依存しない発見の構造を作ることはできる。
TikTokは、アンチ・アルゴリズムの反対側にある
ここで一つ重要な矛盾がある。
「アンチ・アルゴリズム」を語ると、
TikTokのようなプラットフォームを無視したくなる。
しかし、それは事実とは合わない。
TikTokは極めて強力な音楽発見の場所になっている。
TikTokとLuminateによる2025年のMusic Impact Reportでは、2024年にBillboard Global 200へ入った楽曲の84%が、TikTokで先にバイラルになっていたと報告されている。これはTikTok側が公表した調査結果であり、プラットフォーム自身による説明である。
つまり、アルゴリズムによる発見が音楽文化を破壊しているという単純な構図にはならない。
TikTokの推薦システムは、ユーザーの反応やコンテンツ情報などを利用して、個人ごとに異なるフィードを構成する。
そして、その仕組みから新しい音楽が広がる。
これは非常に現代的な現象だ。
なぜなら、
アルゴリズムが偶然を消す
のではなく、
アルゴリズムそのものが新しい偶然を作っている
からだ。
しかし、その偶然にも特徴がある。
巨大なプラットフォーム上で発生する。
大量のユーザーの反応によって増幅される。
視聴時間や反応などのシグナルによってランキングされる。
つまり、
「偶然に見えるが、ランキングの中で生まれる偶然」
である。
これは昔のレコード店とは違う。
しかし、発見を生むという点では似ている。
違うのは、
「誰が偶然を作るのか」
という部分だ。
レコード店では、
店員、客、棚、在庫、地域。
TikTokでは、
ユーザー、クリエイター、コンテンツ、ランキング、推薦システム。
どちらにも偶然がある。
ただし、その偶然の構造が違う。
2020年代の問題は、アルゴリズムを消すことではなく、どんな種類の偶然をアルゴリズムが作っているのかを理解することにある。
「アンチ・アルゴリズム」は、技術否定ではない
だから、アンチ・アルゴリズムという言葉を、
「AIが嫌い」
「Spotifyを使わない」
「TikTokを見ない」
「アナログ最高」
という意味にしてしまうと、話が小さくなる。
本当に重要なのは、
発見の方法を一つにしないこと
だ。
アルゴリズムから発見する。
店から発見する。
友人から発見する。
ライブから発見する。
ラジオから発見する。
本から発見する。
地域から発見する。
自分の失敗から発見する。
そして、何も探していないときに発見する。
この最後のものが特に重要だ。
なぜなら、
「何も探していない」
という状態は、推薦システムの目的とは相性が悪いからだ。
推薦システムは、基本的に何かを提示する。
ユーザーは何かを見る。
何かを聴く。
何かを選ぶ。
何かを保存する。
しかし、人間の文化的な発見には、
何も選ばない時間
も含まれている。
店を歩く。
本棚を見る。
ライブハウスの外で話す。
知らない人のDJを聴く。
レコードを一枚だけ買う。
家に帰る。
しばらく忘れる。
数週間後に聴く。
突然好きになる。
この時間は、最適化できない。
少なくとも、
「最適な発見」
という言葉だけでは説明できない。
文化には、効率的な発見だけでなく、効率の悪い発見も必要になる。
「自分の好み」が固定されるとはどういうことか
アルゴリズムは、人間の好みを発見する。
同時に、人間の好みをデータとして扱う。
ここには重要な違いがある。
人間は、
「自分はアンビエントが好き」
と言うことができる。
しかし、実際には、
昨日は好きだった。
今日は興味がない。
突然ノイズが好きになる。
ジャズを聴き始める。
その後、アフロビートに行く。
数年後、昔聴かなかったポップスを聴く。
好みは変わる。
しかも、変化には理由がないこともある。
恋人から教えてもらった。
映画で流れていた。
旅行中に店で聴いた。
ライブで偶然聴いた。
中古CDで買った。
友人に借りた。
古い雑誌で名前を見た。
こうした出来事は、本人の長期的な嗜好データには簡単に収まらない。
推薦システムはもちろん変化する好みを扱える。
研究でも、過去の行動だけでなく、発見や多様性をどう推薦へ組み込むかが重要な課題になっている。Spotifyの研究でも、親しみ、類似性、発見を同時に扱うことが明示的なテーマになっている。
それでも、人間が自分自身の好みを予測できない瞬間は残る。
そこが重要だ。
「自分が何を好きか」を自分でも知らない瞬間があるからこそ、文化は変化する。
2026年の「偶然」は、昔とは違う
2026年には、アルゴリズムはさらに高度になっている。
Spotifyでは、従来の推薦だけでなく、生成AIを利用した推薦技術も研究されている。
2026年8月にSpotify Researchが公表した研究では、LLMを利用した生成的推薦システムによって、非習慣的なポッドキャスト視聴や新しい番組の発見を増やす実験結果が報告されている。
つまり、推薦システムは、
「あなたが好きそうなもの」
だけではなく、
「あなたが普段とは違うものを試しそうな状況」
まで扱おうとしている。
2026年にはSpotifyが推薦インプレッションそのものの価値を因果推論で評価し、自然発生的に見つかるコンテンツへの推薦表示を減らしながら全体の推薦消費を維持する研究も公開している。
ここには大きな転換がある。
推薦システムは、単純な「おすすめ機械」ではなくなっている。
何を見せるか。
いつ見せるか。
どれだけ見せるか。
すでに見つける可能性があるものを見せる必要があるか。
まだ見つけていないものを見せるべきか。
こうした問題まで扱っている。
つまり、
アルゴリズム側も、
「発見とは何か」
を研究している。
だからこそ、人間側の問いも変わる。
「アルゴリズムをなくすべきか」
ではない。
「アルゴリズムが作る発見以外に、どんな発見があるのか」
である。
アルゴリズムが進化するほど、「アルゴリズムの外側にある発見」の価値を考える必要も大きくなる。
アンチ・アルゴリズムの年表
1990年代 — 推薦システムの実用化
インターネット上の商品や情報を、利用者の過去の行動や他者との類似性から推薦する考え方が発展していった。
大量の情報から利用者が選択しやすくすることが大きな目的だった。
2006年 — Netflix Prize
Netflixは2006年、映画評価予測の精度向上を競うNetflix Prizeを開始した。
推薦精度を機械学習によって改善することが、大規模な公開競争のテーマになった。
2007年 — Record Store Dayの始まり
米国のレコード店関係者が独立系レコード店の文化を祝うイベントを構想。
翌2008年に最初の公式イベントが開催された。
2008年 — Bandcamp設立
Bandcampが設立され、アーティストとファンの直接的な関係を軸にしたオンライン音楽販売・コミュニティが発展していった。
2015年 — Spotify Discover Weekly
SpotifyがDiscover Weeklyを開始。
個人の視聴履歴などをもとに、毎週新しい音楽を提示する仕組みが広く利用されるようになった。
2016年 — セレンディピティ研究の体系化
推薦システム研究の中で、関連性だけではなく、新規性や意外性を持つ「serendipitous recommendation」が重要な研究テーマとして整理された。
2020年代前半 — 短尺動画による音楽発見
TikTokなどの短尺動画プラットフォームが、音楽発見と楽曲の拡散に大きな影響を持つようになった。
2025年にTikTokが公表したLuminateとの調査では、2024年にBillboard Global 200入りした楽曲の84%がTikTokで先にバイラルになっていたとされた。
2025年 — セレンディピティが再び研究対象に
推薦システムにおけるセレンディピティの要因を分析する研究が発表され、フィルターバブルを超える予想外の発見が引き続き研究課題になっている。
2026年 — 生成AI推薦
生成AIを利用した推薦システムの研究が進み、Spotify Researchでは非習慣的なコンテンツや新しい番組の発見を増やす実験結果が報告された。
30年近くの歴史を見ると、推薦技術の発展と「偶然の発見」への関心は、対立する一本の線ではなく、互いに影響しながら進んできたことが分かる。
アルゴリズムとアンチ・アルゴリズムは敵ではない
ここまで来ると、
「アルゴリズムか、レコード店か」
という二択が成立しないことが分かる。
実際には、
アルゴリズムで知る。
↓
レコード店で買う。
↓
友人に話す。
↓
ライブに行く。
↓
別のバンドを見る。
↓
Bandcampで調べる。
↓
中古CDを買う。
↓
またストリーミングで聴く。
という循環が可能だからだ。
現代の音楽文化は、すでに複数の発見システムが重なった状態にある。
ここでは、
オンライン対オフライン
という区別も意味を失っていく。
オンラインで知ったバンドをライブで見る。
ライブで知ったバンドをBandcampで買う。
Bandcampで知ったアーティストの中古CDを探す。
レコード店で知った音楽をストリーミングで聴く。
SNSで見たイベントへ行く。
イベントで知った人をSNSでフォローする。
文化はこのように往復する。
だから、
アンチ・アルゴリズム
とは、
アルゴリズムの拒否ではない。
むしろ、
「発見を一つのシステムに独占させない」
という考え方に近い。
未来の音楽発見は、アルゴリズムを捨てることではなく、アルゴリズム以外の入口を残すことによって豊かになる。
「偶然」は、文化のインフラになる
文化の歴史を振り返ると、偶然は何度も登場する。
誰かがラジオで曲を聴いた。
誰かが中古レコードを買った。
誰かが雑誌の記事を読んだ。
誰かが友人からカセットを借りた。
誰かがライブハウスへ行った。
誰かが古本屋で本を見つけた。
誰かが旅行先の店に入った。
こうした経験は、巨大な文化産業の中心ではない。
しかし、サブカルチャーはしばしばこうした小さな経路から広がってきた。
音楽だけではない。
ファッション。
映画。
文学。
アート。
クラブカルチャー。
漫画。
写真。
すべてに似た構造がある。
人間が、
「知らないものを見る場所」
を必要としてきた。
インターネットはその場所を一度巨大化した。
そしてアルゴリズムは、その巨大化した情報を整理した。
しかし整理が進めば進むほど、
「整理されていないものを見る場所」
の価値が見えてくる。
それがレコード店かもしれない。
中古CD店かもしれない。
古本屋かもしれない。
ライブハウスかもしれない。
地域の小さなイベントかもしれない。
友人の家かもしれない。
あるいは、偶然クリックした誰かの投稿かもしれない。
文化が生き続けるためには、「まだ整理されていないもの」に出会える場所が必要になる。
The Anti-Algorithm Is a Desire for Uncertainty
「アンチ・アルゴリズム」という言葉は、少し大げさに聞こえる。
実際、人々はアルゴリズムを使い続ける。
音楽を聴く。
動画を見る。
本を探す。
ニュースを見る。
商品を探す。
地図を使う。
そして推薦を利用する。
だから、
「人々がアルゴリズムを捨て始めた」
とは言えない。
むしろ現在起きているのは、
アルゴリズムがあることを前提にした上で、
「それだけでは足りない」
と感じることだ。
アルゴリズムは効率を与える。
レコード店は迷子になる時間を与える。
アルゴリズムは関連性を与える。
友人は関係性を与える。
アルゴリズムは大量の選択肢を処理する。
中古市場は予測できない在庫を持つ。
アルゴリズムは過去の行動から未来を推測する。
ライブは、その場でしか起きない出来事を作る。
アルゴリズムは「あなた」を中心にする。
コミュニティは「私たち」を作る。
この違いは、
技術対人間
という古い物語ではない。
どちらも必要だからだ。
2026年の問題は、
「どちらを選ぶか」
ではなく、
「どれだけ多くの発見経路を持てるか」
になっている。
Spotifyのようなサービスが発見機能を高度化し続ける一方で、Record Store Dayのような物理空間を祝う文化も続き、Bandcampのようなオンライン上の直接的な音楽コミュニティも存在している。
そして、その三つは必ずしも矛盾しない。
むしろ、
アルゴリズムで見つける。
人間に教えてもらう。
偶然店で見つける。
ライブで出会う。
もう一度オンラインで探す。
その繰り返しこそが、現代の文化になっている。
アンチ・アルゴリズムとは、未来を予測する技術への反抗ではなく、予測できない未来を残しておきたいという欲求なのかもしれない。
それでも、人は偶然を探している
私たちは、以前よりも多くのものを知ることができる。
以前よりも速く検索できる。
以前よりも正確に好みを推測してもらえる。
以前よりも簡単に新しい音楽を聴ける。
それでも、
レコード店に入る。
中古CDを見る。
古本屋を歩く。
ライブに行く。
友人に「何かいいのない?」と聞く。
知らない街の小さな店に入る。
その理由は、
情報が足りないからではない。
むしろ逆だ。
情報が多すぎるからこそ、
「自分が選んでいないもの」
に出会いたくなる。
そこには、少しだけ不安がある。
外れるかもしれない。
つまらないかもしれない。
お金を無駄にするかもしれない。
ライブが期待外れかもしれない。
知らない本を買って読まないかもしれない。
でも、その可能性があるから、
当たったときの記憶が強くなる。
「これを好きになるとは思わなかった」
という経験は、
「おすすめされたので聴きました」
とは少し違う。
そこには、自分自身の発見がある。
そして文化において、
「自分で見つけた」
という感覚は非常に強い。
それは所有ではない。
発見の物語を所有することだ。
だから、アルゴリズム時代にレコード店が残ることは矛盾ではない。
中古CDが残ることも矛盾ではない。
古本屋が残ることも矛盾ではない。
ライブが残ることも矛盾ではない。
口コミが残ることも矛盾ではない。
むしろ、
「すべてを予測できる時代だからこそ、予測できない場所が必要になる」
と考えれば、一つの流れとして見えてくる。
人間は、何を好きになるかだけではなく、どうやってそれを好きになったのかも覚えている。
The Future Is Not Anti-Algorithm
未来が、
「アルゴリズム以前に戻る」
とは考えにくい。
推薦技術はさらに進む。
音楽発見もさらに個人化される。
生成AIは、検索語では表現できなかった曖昧な要求まで扱うようになる。
「90年代の深夜のラジオみたいなもの」
「雨の日に知らない街を歩いている感じ」
「今まで聴いたことがないけど、たぶん自分が好きなもの」
そんな曖昧な要求まで、推薦システムが扱うようになる可能性がある。
だとすれば、
アルゴリズムはさらに人間の曖昧さへ近づいていく。
しかし、それでも残るものがある。
店員の一言。
友人の一言。
隣の棚。
知らないバンド。
たまたま見たポスター。
知らない街のライブ。
中古CDの一枚。
古本屋の棚。
誰かが家で流していた音楽。
そうしたものは、
「あなたのデータ」から完全には導けない。
なぜなら、
発見とは、
自分がすでに持っている情報の組み合わせだけではないからだ。
発見とは、
自分の外側から何かが入ってくることでもある。
アルゴリズムは、その入口を作ることができる。
しかし、人間は別の入口も作る。
店。
街。
友人。
コミュニティ。
ライブ。
棚。
偶然。
そして、
何も探していない時間。
だから、
The Rise of the Anti-Algorithm
とは、
アルゴリズムの終わりの話ではない。
むしろ、
アルゴリズムが完成に近づくほど、
人間が「不完全な発見」を必要とするようになる
という話だ。
完璧な推薦は、
自分が好きなものを見つけるには強い。
しかし、
自分がまだ好きではないものを好きになる瞬間を、
完全に予測することは難しい。
そのためには、
少し外れる必要がある。
少し迷う必要がある。
少し無駄をする必要がある。
少し間違える必要がある。
そして、ときには、
誰かに余計なものを渡してもらう必要がある。
未来の発見は、アルゴリズムの中だけにあるのではなく、アルゴリズムから少し外れた場所にも残り続ける。