Steve Hillage — ギターはどこまで宇宙になれるのか?
文:mmr|テーマ:Steve Hillageの音楽的軌跡を、Uriel、Arzachel、Khan、Gongでの活動からソロ作品、Rainbow Dome Musick、System 7、The Orbとの交流までたどる。ギターの音響表現と電子音楽の接点を探る
ロックギターと聞いて、どんな音を思い浮かべるだろうか。
歪んだアンプから飛び出す鋭いリフ。ブルースを基礎にしたソロ。あるいは、バンドの演奏を前へ押し出す力強いコード。
しかし、ギターにはもうひとつの可能性がある。
音を伸ばし、反響させ、重ね合わせ、演奏している場所そのものを感じさせること。ひとつの音を複数の時間に存在させ、楽器の輪郭を曖昧にしながら、聴き手を別の空間へ連れていくことだ。
英国のギタリスト、Steve Hillageは、その可能性を長い時間をかけて探求してきた音楽家である。
彼のキャリアは、1960年代後半の英国アンダーグラウンド・ロックから始まった。UrielやArzachel、Khanを経て、フランスを拠点としたサイケデリック集団Gongに参加。そこで独特のグリッサンド・ギターとエコーを発展させ、1970年代には『Fish Rising』『L』『Motivation Radio』『Green』といったソロ作品を発表した。
そして1970年代末、ギターを中心としたロックバンドの活動から距離を置き、音楽制作や電子楽器、コンピューターへと関心を広げていく。
1990年代には、パートナーであるMiquette GiraudyとSystem 7を結成。アンビエントとテクノ、トランス、サイケデリックなギターサウンドを結びつけ、クラブミュージックの世界へと活動の範囲を広げた。
ここで興味深いのは、彼が過去の音楽を捨てて新しいジャンルに移動したわけではないということだ。
Gongで生み出した音響的な実験も、ソロ時代の空間的なサウンドも、System 7の電子的なリズムも、ひとつの関心からつながっている。
それは、音をどのように変化させ、どのような空間を作り出すことができるのか、という問いである。
Steve Hillageの音楽を理解するには、彼を単なるプログレッシブ・ロックのギタリストとして捉えるだけでは足りない。
彼はギターを演奏する人であると同時に、ギターの音を素材として扱い、録音技術や電子楽器を使いながら、音楽の形そのものを組み替えてきた人物なのだ。
そのキャリアを追うと、1970年代のサイケデリック・ロックと1990年代のテクノが、意外なほど近い場所に存在していたことが見えてくる。
1. ロンドンで始まった音楽への関心
Steve Hillageは1951年8月2日、イングランドのロンドン、チンフォードで生まれた。
彼が音楽に関心を持ち始めた1960年代は、英国のポピュラー音楽が大きく変化していた時代だった。
ビートルズやローリング・ストーンズの成功によって、英国のロックは国際的な存在感を獲得していた。ブルースを基礎にしたギター音楽が発展する一方、スタジオ録音の技術や電子楽器を取り入れた新しい音楽も生まれていた。
Hillageにとって、重要な出会いのひとつがギターだった。
彼は10代の頃からギターに取り組み、ブルースやロックの演奏家に関心を寄せていた。後年のインタビューでは、Jimi Hendrixを特に大きな影響源として挙げている。また、Eric Clapton、Jeff Beck、Peter Green、B.B. Kingらの演奏にも関心を持っていた。
ただし、Hillageの音楽的な関心は、ギターの速さや技巧だけに向けられていたわけではない。
彼がHendrixから受け取ったものは、演奏技術だけではなく、音を通じて聴き手にエネルギーを伝えるという感覚だった。
Hendrixはギターを単に旋律やコードを奏でる楽器として扱わなかった。フィードバック、歪み、音量、アンプの特性を利用し、ギターから通常では考えられない音を引き出した。
Hillageもまた、そうした発想に惹かれていく。
もうひとつ興味深いのは、彼がギタリスト以外の音楽家にも関心を持っていたことだ。
特にJohn Coltraneのサックス演奏から影響を受けたことを語っている。Coltraneの旋律をギターで解釈しようとした経験は、後のHillageの旋律感覚にも関係している。
ブルースの語法だけに依存せず、モードや旋律の展開を重視する姿勢は、彼のソロ作品やGongでの演奏にもつながっていく。
ギターを弾くことは、既存のロックの形式を再現することではなかった。
音楽の中にある別の可能性を探すことだったのである。
Urielという最初のバンド
1967年、HillageはベーシストのMont Campbell、キーボード奏者のDave Stewart、ドラマーのClive BrooksとともにUrielを結成した。
この時期のHillageは、後に広く知られるサイケデリックなギタースタイルを完成させていたわけではない。
しかし、Urielの活動は、彼が複雑な音楽構造や実験的な演奏に関わる最初の重要な経験となった。
メンバーたちは、一般的なポップソングの形式だけでなく、変拍子や複雑なコード進行にも関心を持っていた。
Dave Stewartとの関係は特に重要だった。
Stewartは後にEggやHatfield and the Northなどで活動し、英国のカンタベリー周辺の音楽シーンを代表するキーボード奏者のひとりとなる。
Hillage自身も、この時期からCaravanやSoft Machineなどの音楽に関心を持っていた。
大学とカンタベリーの音楽環境
1968年、Hillageは大学へ進むため、Urielを離れる。
彼が進学したのはケント大学カンタベリー校だった。
この移動が、後の音楽活動に大きな影響を与えることになる。
カンタベリーでは、ジャズ、ロック、即興演奏、実験音楽などが交差する独特の音楽環境が形成されていた。
CaravanやSoft Machineをはじめとする音楽家たちは、ロックの形式にジャズの要素や複雑なリズムを取り入れ、新しい音楽を作っていた。
Hillageはこの環境で、演奏家たちとの交流を深めていく。
彼が後年のインタビューで振り返っているように、カンタベリーの音楽には、高度な音楽的構造とユーモア、そして独特の英国的な感覚が共存していた。
それは、単に難しい演奏を追求する音楽ではなかった。
複雑な音楽を、自由で柔軟な発想によって扱う文化だった。
この環境は、後にHillageがGongへ参加する際にも重要な役割を果たす。
ロンドンで吸収したブルースやサイケデリック・ロックの感覚と、カンタベリーで出会った複雑な音楽構造が、彼の初期の音楽的基盤を形作っていった。
2. ArzachelとKhan — プログレッシブ・ロックへの接近
大学へ進んだ後も、Hillageは音楽活動を続けていた。
1969年には、Urielの元メンバーたちと再び録音を行い、Arzachel名義のアルバムを制作する。
この作品は、英国のアンダーグラウンド・サイケデリック・ロックを理解するうえで興味深い記録となっている。
Arzachelの録音
Arzachelのアルバムは1969年に発表された。
メンバーはSteve Hillage、Mont Campbell、Dave Stewart、Clive Brooks。
作品には、当時のサイケデリック・ロックに見られる長い演奏、オルガン、ギターの即興的な展開が含まれている。
Hillageにとって、この録音は後の活動を予告するものでもあった。
ギターを中心とした演奏に、キーボードやリズムセクションが複雑に絡み合う構造。楽曲の枠組みを保ちながら、即興的な演奏によって展開を変えていく方法。
こうした要素は、後のKhanやGongの活動にもつながっていく。
Arzachelは長期間活動したバンドではない。しかし、その存在はHillageの初期キャリアを理解するうえで欠かせない。
Khanの結成
1971年頃、HillageはDave Stewartらとの音楽的なつながりを背景に、Khanの活動を始める。
Khanは、カンタベリー周辺の音楽家たちとの関係を持ちながら、より明確なプログレッシブ・ロックの方向へ進んだグループだった。
Hillageはギターとボーカルを担当し、バンドの音楽的な中心を担った。
この時期の彼は、後のGongで見せる浮遊感の強い音響表現だけでなく、楽曲を構成するギタリストとしての側面も強く持っていた。
『Space Shanty』
1972年、Khanは唯一のスタジオアルバム『Space Shanty』を発表する。
的なプログレッシブ・ロックの構造を持ちながら、カンタベリー周辺の音楽家らしい柔軟な展開が特徴となっている。
アルバムでは、Hillageのギターが楽曲の中心に置かれている。
キーボードとの対話、複雑なリズム、長い演奏の展開。こうした要素が組み合わさり、単純なハードロックとは異なる音楽を作り出している。
Khanの活動は長く続かなかった。
しかし、Hillageがソロアーティストとして活動する前に、作曲、編曲、バンド運営、演奏の方向性を考える経験を積んだ重要な時期だった。
### Kevin Ayersとの活動
Khanの後、HillageはKevin Ayersのバンドに参加する。
AyersはSoft Machineの創設メンバーのひとりであり、英国のアンダーグラウンド音楽において重要な存在だった。
HillageはAyersのツアーに参加し、フランスでの活動を経験する。
この時期に、彼はGongとの接点を持つようになる。
GongはDaevid Allenを中心に形成されたグループであり、音楽だけでなく、独自の物語や思想、ユーモアを含む表現を展開していた。
Hillageは以前からGongのメンバーと交流があり、Kevin Ayersとのツアーを通じて、その関係が深まっていく。
ここから、彼の音楽は大きく変化する。
> Khanで培った複雑な演奏構造に、Gongの自由な即興性とサイケデリックな世界観が加わることになる。
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## 3. Gong — ギターが音楽の風景を作り始める
1970年代前半、HillageはGongに参加する。
Gongは1968年、Daevid Allenを中心にパリで形成されたグループだった。
AllenはSoft Machineを離れた後、独自のサイケデリックな音楽世界を作り始めた。Gongの活動には、音楽、演劇的な表現、幻想的な物語、ユーモア、精神世界への関心が含まれていた。
一般的なロックバンドとは異なり、Gongは固定されたジャンルや形式に収まることを重視していなかった。
その自由な音楽性は、Hillageの演奏スタイルと非常に相性がよかった。
### Daevid Allenとの出会い
Hillageにとって、Allenは単なるバンドリーダーではなかった。
後年のインタビューでHillageは、Gongで過ごした約3年間を、自分の音楽形成における決定的な時期として振り返っている。
Allenは音楽と精神性を結びつけることに強い関心を持っていた。
Gongの作品には、独自の神話的な物語が存在する。
その中心となるのが、Radio Gnome Invisibleという世界観だった。
この物語には、宇宙的な存在や幻想的な人物、奇妙な出来事が登場する。
しかし、それは単に歌詞の内容だけで成立しているものではなかった。
音楽の構造や楽器の音色、演奏の展開そのものが、物語の世界を作り出していた。
Hillageのギターは、この表現に重要な役割を果たす。
### エコーを使ったギターの再構築
Hillageの演奏を特徴づける要素のひとつが、エコーとディレイである。
彼は1969年頃、大学にいた時期からWatkins Copicatなどのエコー装置を使用していた。
その後、Echoplexなども活用するようになる。
通常、ギターのエコーは演奏した音を少し遅らせて再生するための効果として使われる。
しかしHillageは、これを単なる装飾として扱わなかった。
音を繰り返すことによって、複数の旋律が同時に進行しているような感覚を作り出したのである。
彼自身は後年、この効果を中世の合唱音楽に見られるカノンのようなものとして説明している。
ひとつの旋律が時間差で繰り返されることで、音楽の中に新しい構造が生まれる。
演奏者が一度しか弾いていないフレーズが、録音装置によって複数の声を持つ。
ここでギターは、単独の旋律を演奏する楽器から、複数の音を組み立てる装置へと変化する。
この考え方は、後のSystem 7におけるループやシーケンスの使用にも通じている。
### Glissando Guitarの誕生と発展
Gong時代のHillageを象徴するもうひとつの音が、Glissando Guitarである。
これは、ギターの弦を金属製の棒などで滑らせ、連続的に変化する音程を生み出す奏法だ。
通常のギター演奏では、フレットによって音程が区切られている。
しかし、弦を滑らせることで、その境界を曖昧にできる。
音はひとつの音程から別の音程へ移動し、まるで声や管楽器のように変化する。
Hillageは、エコーやフィルターなどを組み合わせることで、この音をさらに発展させた。
彼の説明によれば、金属棒を使って弦を擦り、開放弦や倍音を利用しながら音を組み立てる。
こうして作られる音は、通常のギターソロとはまったく異なる。
音の輪郭がはっきりしないまま、長く伸びていく。
音程が変化しているのに、どこで変わったのかが明確ではない。
この浮遊感がGongの音楽に独特の空間を与えた。
### Radio Gnome Invisible三部作
Gongの代表的な作品群として知られるのが、Radio Gnome Invisible三部作である。
- 『Flying Teapot』(1973)
- 『Angel's Egg』(1973)
- 『You』(1974)
これらの作品は、Gongの音楽的な世界観が最も明確に表れた時期を代表している。
『Flying Teapot』では、幻想的な物語とサイケデリックな演奏が結びついている。
『Angel's Egg』では、音楽的な構成と物語の世界がさらに広がり、Gong独自の宇宙観が展開される。
『You』は三部作の最終作であり、Hillageのギター表現が大きく活躍する作品となった。
この時期のGongでは、Hillageだけでなく、Daevid Allen、Gilli Smyth、Tim Blake、Didier Malherbe、Mike Howlett、Pierre Moerlenら、多様な個性を持つ音楽家たちが関わっていた。
それぞれの演奏スタイルが異なるからこそ、Gongの音楽には独特の広がりが生まれた。
### 『You』とHillageの音楽的転換
『You』はHillageにとって、Gongでの活動を象徴する作品のひとつとなった。
ギターのエコー、グリッサンド、長い即興演奏、シンセサイザーの音響が組み合わさり、音楽の中に広大な空間を作り出している。
ここで重要なのは、HillageがGongの音楽に単にギターソロを加えていたわけではないという点だ。
彼の音は、バンド全体の音響設計の一部になっていた。
ギターの音が空間を作り、シンセサイザーがその空間を広げ、リズムが演奏全体を支える。
その関係は、後のアンビエントや電子音楽にも通じる。
### Gongからの離脱
1975年、Daevid AllenがGongの中心的な活動から離れる。
Hillageは、Gongというグループの存在をAllenの創造的な構想と強く結びつけて考えていた。
1983年のインタビューでも、Allenが離れた時点で自分にとってのGongは終わったという考えを述べている。
Hillageは『You』の録音後にグループを離れた。
その後の『Shamal』には一部参加したものの、正式な中心メンバーとして活動していたわけではない。
Gongでの経験は、Hillageにとって単なるバンド活動ではなかった。
音楽と物語、精神性、即興演奏、音響技術を結びつける方法を学んだ時間だった。
> Gongで獲得した最大のものは、ギターを弾く技術だけではない。音そのものによって、ひとつの世界を作るという発想だった。
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## 4. 『Fish Rising』— Gongの宇宙からソロの世界へ
1975年、Hillageはソロアルバム『Fish Rising』を発表する。
この作品は、Gongでの経験を自分自身の音楽へと展開した重要なアルバムである。
Hillageは、Gongでの活動をひとつの時期として捉え、そこから自分の音楽へ戻ることを考えていた。
『Fish Rising』には、Gongのメンバーを含む複数の音楽家が参加している。
そのため、作品にはGongの音楽的な特徴が残されている。
一方で、Hillage自身の作曲やギター表現が中心に置かれており、ソロアーティストとしての方向性が明確になっている。
### 作品に残されたGongの影響
『Fish Rising』の魅力は、Gongの音楽をそのまま再現していないところにある。
長い演奏、複雑なリズム、ギターの即興的な展開、シンセサイザーの使用など、共通する要素は多い。
しかし、楽曲全体の方向性はHillage自身のものになっている。
彼はGongで得た経験を使いながら、自分の音楽を組み立てている。
また、この作品ではギターだけでなく、ボーカルや作曲の面でも新しい可能性が示されている。
### 『Fish Rising』の意味
このアルバムは、Hillageのソロキャリアの出発点であると同時に、Gong時代とその後をつなぐ作品でもある。
後年のインタビューでHillageは、『Fish Rising』がそれまでの自分の音楽とGongの影響を結びつけた作品だったと説明している。
つまり、Gongを離れたことで過去を切り捨てたのではない。
そこで得た経験を、自分の音楽の中に再構成したのである。
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## 5. 『L』— Todd Rundgrenとの出会いとアメリカ録音
1976年、Hillageはセカンドソロアルバム『L』を発表する。
この作品では、アメリカの音楽プロデューサーTodd Rundgrenが制作に参加している。
Rundgrenは、ソロアーティストとしての活動だけでなく、録音技術やスタジオ制作においても独自の発想を持つ人物だった。
Hillageは、Rundgrenの『A Wizard, A True Star』や『Todd』、そしてシンセサイザーを使用した作品『Initiation』に関心を持っていた。
音楽の構造や電子音の扱いに共通する部分を感じていたのである。
### アメリカでの制作
『L』はロサンゼルスで録音され、Rundgrenがプロデュースを担当した。
Hillageにとって、他人にプロデュースを任せることは新しい経験だった。
それまでの作品では、自分の音楽的な構想を自ら主導する場面が多かった。
しかし、『L』ではRundgrenの制作方法とアメリカの演奏家たちの感覚が加わる。
参加した音楽家には、Todd RundgrenのバンドUtopiaのメンバーや、トランペット奏者のDon Cherryらがいた。
Don Cherryの参加は特に重要である。
彼のトランペットや民族楽器的な音色は、Hillageの音楽に新しい色彩を与えた。
### ロックの枠を広げる試み
『L』は、Gong時代のサイケデリックな要素を引き継ぎながら、より洗練されたスタジオ作品となっている。
音の配置やリズム、楽器の組み合わせには、従来のプログレッシブ・ロックとは異なる感覚がある。
この作品を通じて、Hillageは自分の音楽をより広い制作環境の中で考えるようになった。
それは、後に電子楽器やコンピューターを使う方向へ進むための重要な経験でもあった。
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## 6. 『Motivation Radio』— ギターから電子音響へ
1977年、Hillageは『Motivation Radio』を発表する。
この作品は、彼のソロキャリアにおける大きな転換点のひとつである。
『L』の比較的重厚な音楽から方向を変え、よりファンキーでリズミカルな音楽を目指していた。
Hillageは、楽曲をより踊りやすいものにしたいと考えていたことを、1983年のインタビューで語っている。
### T.O.N.T.O.との出会い
『Motivation Radio』の制作では、Malcolm Cecilが関わった大型シンセサイザーシステムT.O.N.T.O.が使用された。
T.O.N.T.O.は、複数のシンセサイザーや電子機器を統合した大規模なシステムだった。
一般的なキーボードとは異なり、音色や信号の流れを複雑に組み合わせることができた。
Hillageはこの機材と出会い、電子音楽への関心をさらに深めていく。
アルバムにはギターシンセサイザーも使用されている。
また、シンセサイザーの音とギターの音を対立するものとしてではなく、同じ音楽の中で共存させようとしていた。
### リズムへの関心
『Motivation Radio』で注目したいのは、リズムの扱いである。
従来のHillageの音楽では、長い即興演奏やギターの浮遊感が重要な役割を果たしていた。
しかし、この作品ではファンキーなリズムや、より明確なグルーヴが前面に出ている。
これは単なる流行への対応ではなかった。
Hillageは、電子音とリズムが持つ可能性に興味を持っていた。
後年、彼は1978年頃にKraftwerkの『The Man-Machine』がクラブで流れているのを聴いた経験について語っている。
電子音楽が、座って聴くための実験的な音楽だけではなく、人々を踊らせる音楽として機能していることに強い衝撃を受けたという。
『Motivation Radio』の時点で、彼の中にはすでにその方向への関心が芽生えていた。
### 電子音楽への入り口
このアルバムは、後のSystem 7を直接予告するものではない。
しかし、ギターとシンセサイザー、リズムと空間、演奏と機械的な音の組み合わせという点で、後の活動につながる要素を多く含んでいる。
Hillageの音楽は、ギターを中心としたロックから、電子的な音響を積極的に取り入れる方向へ進んでいた。
> 『Motivation Radio』は、ギタリストSteve Hillageが電子音楽家へと変化していく過程を示す重要な作品である。
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## 7. 『Green』— サイケデリックな音響の完成
1978年、Hillageは『Green』を発表する。
『Motivation Radio』と同じ時期に準備されていた楽曲を、異なる方向性に分けてまとめた作品である。
Hillageは、より力強い楽曲を『Motivation Radio』に、空間的で浮遊感のある楽曲を『Green』に振り分けたと説明している。
当初は2枚組アルバムにする構想もあった。
### 音色の実験
『Green』では、シンセサイザー、ボコーダー、ギターシンセサイザーなどが使用されている。
特にEMS VocoderやRoland GR-500などの機材は、ギターの音と電子音の境界を曖昧にするために活用された。
当時のギターシンセサイザーには、音の追従性やノイズなどの技術的な問題もあった。
Hillageはそうした制約を理解しながら、機材を工夫して使用していた。
彼はギターの音が消えていく過程に、別の電子音を重ねる方法も試していた。
これによって、通常のギターでは難しい長いサステインを作り出すことができた。
### グリッサンド・ギターの発展
『Green』では、Hillageを象徴するグリッサンド・ギターが重要な役割を果たしている。
エコー装置、フィルター、リミッターなどを組み合わせ、金属棒で弦を擦ることで、独特の音色を作り出す。
彼は開放弦や倍音を利用しながら、ギターの音程を滑らかに変化させていた。
この演奏方法は、通常のロックギターの考え方から大きく離れている。
音を正確に区切って演奏するのではなく、音の変化そのものを音楽の中心に置いているからだ。
### パンクの時代における『Green』
1978年という発表時期も重要である。
英国ではパンク・ロックが大きな影響力を持ち、プログレッシブ・ロックや長大な演奏に対する批判も強まっていた。
その時代に、Hillageは再びサイケデリックで空間的なアルバムを発表した。
彼自身も後年、この作品を当時の音楽環境の中では大胆な選択だったと振り返っている。
『Green』は、過去のサイケデリック・ロックをそのまま繰り返す作品ではない。
シンセサイザーやボコーダー、ギターシンセサイザーを使い、1970年代後半の技術と結びつけて再構成した作品だった。
> 『Green』では、ギターが旋律を奏でるだけでなく、音響そのものを作り出す楽器として完成度を高めている。
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## 8. 『Live Herald』と『Rainbow Dome Musick』— 演奏から空間へ
1979年、Hillageは『Live Herald』と『Rainbow Dome Musick』を発表する。
この2作品は、彼の音楽的な関心が異なる方向へ広がっていくことを示している。
### 『Live Herald』とライブ演奏の記録
『Live Herald』は、ライブ演奏とスタジオ録音を組み合わせた作品である。
Hillageはライブアルバムの制作において、演奏の現場に存在する空気感を重視していた。
後年のインタビューでは、ライブの演奏を大きく修正してしまうと、実際のパフォーマンスが持っていた魅力が失われると考えていたことを説明している。
演奏の完成度だけではなく、その場で生まれた音の関係性を残すことが重要だった。
これは、彼が後にSystem 7でライブ演奏を行う際にも通じる考え方である。
### 『Rainbow Dome Musick』という実験
『Rainbow Dome Musick』は、Hillageのキャリアの中でも特に重要な作品である。
このアルバムは、1979年のFestival for Mind, Body and Spiritに関連して制作された。
会場に設置されたジオデシック・ドームの内部で、音楽を連続的に再生することが意図されていた。
通常のコンサートのように、観客がステージ上の演奏者を見るための空間ではない。
音楽が空間全体を満たし、聴く人がその中に身を置くための環境だった。
HillageとMiquette Giraudyは、それぞれのアイデアを持ち寄り、シンセサイザーやシーケンス、エコーを組み合わせて作品を制作した。
### 反復が生み出す空間
この作品では、ふたつのシーケンスを同じエコー装置に通し、わずかに異なるタイミングで重ねる方法が使用された。
その結果、音の反復が単純な繰り返しではなく、少しずつ変化する音響の層を作り出す。
これは、HillageがGong時代から探求してきたエコーの考え方を、より抽象的な音楽へと発展させたものだった。
ギターのフレーズが反復されるという発想から、シンセサイザーのシーケンスが空間を作るという発想へ。
音楽の中心は、演奏者の技術から音の配置へと移っていく。
### 音響空間としてのアルバム
『Rainbow Dome Musick』は、通常の楽曲構成とは異なる。
歌詞や明確なサビ、曲ごとの劇的な展開よりも、音の持続や変化、反復が重視されている。
その意味で、この作品はアンビエント・ミュージックの歴史を考える際にも興味深い位置にある。
ただし、単純に後のアンビエント作品と同じものとして扱うことはできない。
HillageとGiraudyは、1970年代の電子楽器と録音技術を使いながら、特定の場所で音楽を体験する方法を考えていた。
音楽を聴くという行為そのものを、空間の中に存在する経験として捉え直していたのである。
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## 9. 『Open』と『For To Next』— ロックバンドという形式から離れる
1979年、Hillageは『Open』を発表する。
『Open』では、再び歌やギターを中心とした音楽が展開されているが、これまでの作品とは異なる制作上の関心も見られる。
彼は他の演奏家と共同で音楽を作ることに関心を持ち、制作の方法を変えていった。
Curtis Robertson、Andy Anderson、Jean-Philippe Rykielらが参加している。
一方で、Hillageは自分のアイデアを他の演奏家に演奏してもらう立場に少し疲れを感じていたことも、後年のインタビューで語っている。
### 1970年代の終わり
1970年代末、Hillageはツアー活動を終了する。
本人は後年、当時の活動による疲労が大きかったことを説明している。
また、自分とMiquette Giraudyは、ロックバンドという形式に疲れ、新しい表現方法を探していたという。
ここで重要なのは、Hillageが音楽活動そのものをやめたわけではないことだ。
彼はレコード制作やプロデュースの仕事に関わりながら、新しい電子音楽の可能性を探していた。
### 『For To Next』
1982年、Hillageは『For To Next』を発表する。
この作品では、コンピューターやドラムマシン、シンセサイザーなどを積極的に使用している。
従来のギター中心のサウンドから、より簡素で電子的な音楽へと移行していた。
Hillageは1983年のインタビューで、複雑な音楽構造や歌詞が、より個人的な部分を隠すためのものだったと振り返っている。
そのため『For To Next』では、よりシンプルで、直接的な表現を目指した。
ここではギターの音に頼りすぎず、ドラムマシンやシンセサイザーを使いながら、声やリズムの存在感を強めている。
### 制作技術への関心
Hillageは音楽制作におけるコンピューターの可能性にも関心を持っていた。
初期のパーソナルコンピューターが登場し始めた時期に、その音楽的な利用方法を探っていた。
当時の機材は現在のコンピューターと比べると処理能力に大きな制約があった。
それでも、音楽の制作や編集、リズムの構築を機械に任せるという考え方は、彼にとって魅力的だった。
ギターの音をエコー装置で反復させていた1960年代末から、コンピューターやシーケンサーで音を組み立てる1980年代へ。
Hillageの音楽的な関心は、少しずつ電子音楽の方向へ進んでいった。
> 彼にとって新しい技術は、過去の演奏を置き換えるものではなく、これまで実現できなかった音楽を作るための道具だった。
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## 10. 1980年代のプロデューサー活動と電子音楽への準備
1980年代のHillageは、ソロアーティストとしての活動だけでなく、プロデューサーとしても仕事を行っていた。
この時期は、彼のキャリアの中で比較的目立たない時代かもしれない。
しかし、後のSystem 7を理解するには欠かせない時期である。
彼は他のアーティストの録音や制作に関わり、スタジオ技術への理解を深めていった。
ギタリストとしての活動を中心にしていた時代とは異なり、音楽全体をどのように構築するかという視点が強まっていく。
### 音楽制作の考え方の変化
Hillageは、録音技術を単に演奏を記録するためのものとは考えていなかった。
ミキシングや音響処理そのものが、音楽表現の一部になる。
彼が以前から使用していたエコーやディレイも、その考え方の延長にある。
演奏した音をどのように加工し、どのタイミングで重ね、どのような空間を作るか。
それらはすべて作曲や編曲と同じくらい重要な要素だった。
この発想は、後にダンスミュージックの制作に関わる際にも役立つことになる。
### Kraftwerkとの出会い
Hillageは1978年頃、Kraftwerkの『The Man-Machine』がクラブで流れているのを聴いた経験を、後年のインタビューで語っている。
彼にとって衝撃的だったのは、電子音楽が人々を踊らせる音楽として機能していたことだった。
当時の電子音楽には、実験的で抽象的な作品も多く存在していた。
しかし、Kraftwerkの音楽は機械的な反復と明確なリズムによって、身体的な反応を引き出していた。
Hillageはこの経験から、電子音楽の新しい可能性を感じ取った。
それは、1970年代に彼が『Motivation Radio』や『Rainbow Dome Musick』で探求していたことと、別々のものではなかった。
音の反復、シーケンス、電子的な音色、空間の構築。
これらはすでに彼の音楽に存在していた。
### アシッドハウスとの接点
1980年代後半、英国ではアシッドハウスの動きが広がっていく。
Hillageは、この新しいダンスミュージックの動きに強い関心を持つようになった。
彼は1990年代のインタビューで、1987年から1988年頃に起きたアシッドハウスの爆発的な広がりが、自分にとって非常に魅力的だったと振り返っている。
ここで、彼の音楽活動は再び大きな方向転換を迎える。
今度は、サイケデリック・ロックから電子音楽へという変化だった。
> 1970年代に作っていた音響的な実験が、1980年代末のダンスミュージックと出会うことで、新しい活動の基盤になっていく。
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## 11. System 7 — サイケデリック・ロックとテクノの融合
1990年頃、Steve HillageとMiquette GiraudyはSystem 7の活動を始める。
System 7は、ギターを中心としたロックバンドではない。
電子音楽、テクノ、アンビエント、トランスなどを基盤にしながら、HillageのギターとGiraudyのシンセサイザーを組み合わせるプロジェクトだった。
1990年8月に最初のSystem 7作品を発表している。
### Miquette Giraudyとの共同制作
Giraudyは、Hillageの音楽的なキャリアにおいて長く重要な存在だった。
Gong時代にも活動を共にし、その後のソロ作品や『Rainbow Dome Musick』でも協力している。
System 7では、ふたりの音楽的な関心の違いが、プロジェクトの特徴になった。
Hillageはトランス的な要素に関心を持ち、Giraudyはテクノ的な方向に強い関心を持っていたと、Hillageは後年のインタビューで説明している。
異なる感覚を持つふたりが共同で制作することで、System 7の音楽には幅が生まれた。
### ギターを残したテクノ
System 7の特徴のひとつは、電子音楽の中にギターを積極的に取り入れたことだ。
テクノでは、シーケンサーやドラムマシン、シンセサイザーなどが音楽の中心となることが多い。
しかしSystem 7では、Hillageのギターが電子的なリズムの中に配置されている。
そのギターは、従来のロックバンドにおけるリード楽器とは異なる役割を担っていた。
エコーやループを使用し、リズムと一体化しながら音楽の流れを作る。
ギターの音が、シンセサイザーのような音響素材として機能する。
これは、Gong時代から続くHillageの音楽的な考え方の延長でもあった。
### 『System 7』
1991年、System 7はセルフタイトルのアルバムを発表する。
この作品では、電子的なリズムと空間的な音響、Hillageのギターが結びついている。
従来のロックアルバムのように、ギターソロや歌を中心に展開するのではなく、反復するリズムや音色の変化が音楽の中心になっている。
このアプローチによって、System 7はロックとクラブミュージックの両方に接点を持つようになった。
### 『777』
1993年、System 7は『777』を発表する。
このアルバムは、プロジェクトの初期を代表する作品のひとつとなった。
テクノやアンビエントの要素を取り入れながら、サイケデリックな音響とトランス的な反復を発展させている。
Hillageにとって、テクノは過去の音楽から離れるためのものではなかった。
むしろ、Gongやソロ作品で探求してきた反復と空間の感覚を、新しいリズムの中で展開するためのものだった。
### 『Point 3』と『Power of Seven』
1994年の『Point 3』は、The Fire AlbumとThe Water Albumという異なる形で展開された。
ビートを強調した音楽と、ドラムを取り除いた音楽という対照的な構成は、System 7の幅広い音楽性を示している。
1990年代半ばには、デトロイト・テクノの影響も強くなっていく。
『Power of Seven』では、Carl CraigやDerrick Mayら、デトロイト・テクノに関係する音楽家との接点も生まれた。
System 7は、単に英国のプログレッシブ・ロック出身者がテクノを取り入れたプロジェクトではなかった。
当時のクラブミュージックのネットワークと交流しながら、電子音楽の中で独自の位置を築いていった。
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## 12. The Orbとの関係 — ロックのギターがアンビエント・テクノに入る
System 7の活動を語るうえで、The Orbとの関係は欠かせない。
The Orbは、Alex Patersonを中心に活動した英国のアンビエント・ハウス、電子音楽のプロジェクトである。
1990年代初頭、クラブミュージックの世界では、単純なダンスビートだけではない、長い音響的な展開を持つ作品が注目されていた。
The Orbは、ダブ、アンビエント、サンプリング、電子音楽などを組み合わせた音楽を展開していた。
### Alex Patersonとの接点
HillageはAlex Patersonと知り合い、The Orbの制作にも関わるようになる。
両者の関係は、単なるゲスト参加にとどまらなかった。
The OrbとSystem 7は、互いの作品制作に関わり、同時期に音楽を作ることもあった。
Hillageは後年、The Orbから正式メンバーとして参加する提案を受けたことがあったと語っている。
しかし、彼とGiraudyはSystem 7という自分たちの活動を維持することを選んだ。
そのため、両者の関係は共同制作を中心としたものになった。
### 『Blue Room』
The Orbの代表的な作品のひとつが、1992年のシングル『Blue Room』である。
Hillageはこの作品に関わり、ギターを提供している。
『Blue Room』は、長い尺のアンビエント・テクノ作品として知られる。
通常のポップソングのように、短い時間でサビや展開を繰り返すのではなく、音響の変化や反復によって聴き手を引き込んでいく。
ここでHillageのギターは、ロックバンドの主役として存在するのではない。
電子音楽の中に溶け込み、音の流れや空間を作り出す素材となっている。
### ギターとサンプリング文化
この関係は、1990年代の電子音楽を理解するうえでも重要である。
サンプリングやループによって、既存の音を新しい文脈に配置する方法が広がっていた。
ギターの演奏も、そのままの形で使われる必要はない。
加工され、反復され、別の音と組み合わされることで、新しい意味を持つ。
HillageがGong時代から取り組んでいたエコーの使い方は、こうした制作方法と相性がよかった。
ひとつの演奏から複数の音を生み出す。
時間差を使って音を重ねる。
演奏者の身体的な動きと、機械的な反復を結びつける。
こうした発想は、ロックとテクノの間にある距離を縮めていった。
> The Orbとの共同作業は、Hillageのギターがクラブミュージックの中でも自然に機能することを示した。
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## 13. Mirror SystemとSystem 7の継続
2000年代に入っても、HillageとGiraudyはSystem 7の活動を続けていく。
1990年代に築いたテクノやアンビエントの音楽的な基盤を維持しながら、さまざまな音楽家やDJとの共同制作を行った。
2005年以降には、Mirror Systemという関連プロジェクトも展開している。
Mirror Systemは、System 7の音楽から、よりチルアウトやダウンテンポの方向へ広がった活動として位置づけられる。
### ダンスミュージックの変化
1990年代から2000年代にかけて、電子音楽の世界は大きく変化した。
テクノ、トランス、ハウス、アンビエント、ブレイクビーツなど、さまざまなジャンルが発展し、クラブの外でも電子音楽が聴かれるようになっていった。
System 7は、そうした変化の中で活動を続けていた。
Hillageのギターは、電子音楽の中で常に同じ役割を担っていたわけではない。
作品によって、旋律を作る場合もあれば、音響の一部になる場合もある。
また、エコーを使った反復によって、リズムの一部として機能することもある。
この柔軟性が、System 7の音楽を長く続けるための重要な要素となった。
### 『Seventh Wave』『Encantado』『Phoenix』
System 7は2000年代以降も作品を発表し続ける。
『Seventh Wave』(2001)、『Encantado』(2004)、『Phoenix』(2008)などは、その活動を代表するアルバムである。
それぞれの作品では、テクノやトランス、アンビエント、サイケデリックな音響が組み合わされている。
Hillageの音楽は、1970年代のソロ作品から大きく変化しているように見える。
しかし、ギターのエコーや反復、音の持続、空間の構築という基本的な関心は変わっていない。
### 音楽的な境界を越える姿勢
System 7の公式な活動方針では、ジャンルや地域、音楽的な境界を固定しない姿勢が示されている。
他の音楽家やDJとのコラボレーションも、プロジェクトの重要な要素となっている。
この考え方は、HillageがGongで経験した自由な音楽制作にも通じる。
Gongでは、さまざまな音楽家の個性が混ざり合い、ひとつの独特な世界が作られた。
System 7では、DJや電子音楽家との共同制作によって、同じような交流が別の形で続いている。
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## 14. 2006年以降のGong再参加と過去の音楽の再発見
Hillageは2006年から2010年にかけて、Gongとの再共演を行った。
これは、彼のキャリアにおいて過去の音楽と再び向き合う重要な機会となった。
GongはDaevid Allenを中心に活動を続けながら、メンバーや音楽性を変化させてきた。
Hillageが再び参加したことは、初期のGongを知るファンにとっても重要な出来事だった。
ただし、1970年代のGongがそのまま復活したというわけではない。
長い時間の経過とともに、音楽家たちの活動や考え方は変化していた。
それでも、HillageのギターがGongの音楽に戻ることで、初期の作品にあった音響的な特徴を再び体験できる機会が生まれた。
### 『Searching for the Spark』
2016年には、Hillageの初期キャリアからソロ作品、Gong、その他の活動までをまとめた大規模なボックスセット『Searching for the Spark』が発売された。
この22枚組のボックスセットには、Uriel、Arzachel、Khan、Gong、ソロ活動など、幅広い時期の音源が収録されている。
この作品は、Hillageのキャリアをひとつの流れとして振り返るための重要な資料となった。
彼の音楽が、単純にジャンルを移動してきたわけではないことも見えてくる。
初期のプログレッシブ・ロックから、サイケデリックなギター表現、電子音響、テクノまで、さまざまな時代の作品がひとつの音楽的な関心によってつながっている。
### 過去のライブ音源の発掘
Hillageは長年、自分のライブ録音を保管していた。
1970年代後半のライブ録音は、当時のPAミックスをカセットに記録したものが中心だった。
そのため、音源を公開するには、録音状態を確認し、適切な処理を行う必要があった。
2023年のインタビューでは、1979年のグラストンベリー公演の録音についても語っている。
この公演は、当時の本人にとって必ずしも良い記憶ではなかった。
演奏時間が予定を超過し、最後には演奏を打ち切られた経験があったからだ。
しかし、長い時間を経て録音を聴き直すと、演奏そのものには強いエネルギーが残っていることに気づいた。
その結果、過去のライブ音源を公開することになった。
こうした活動は、Hillageの音楽が現在も過去とつながっていることを示している。
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## 15. Steve Hillageのギターを理解するための5つの要素
Hillageの音楽を理解するためには、作品のジャンルだけでなく、彼がどのように音を作っていたのかを考える必要がある。
ここでは、彼の演奏や制作を特徴づける5つの要素を整理する。
### 1. エコーとディレイ
Hillageの音楽を特徴づける最も重要な技術のひとつ。
演奏した音を時間差で繰り返し、複数の音が同時に存在するような効果を作る。
彼は1969年頃からエコー装置を使用していた。
後にEchoplexなどを活用し、ギターの演奏とエコーの反復を組み合わせた独特のスタイルを発展させた。
### 2. グリッサンド
金属棒などを使って弦を滑らせ、音程を連続的に変化させる演奏方法。
Hillageのグリッサンド・ギターは、通常のギターソロとは異なる浮遊感を持つ。
Gongや『Green』などで重要な役割を果たした。
### 3. シンセサイザー
Hillageは1970年代からシンセサイザーやギターシンセサイザーに関心を持っていた。
『Motivation Radio』や『Green』では、電子楽器が作品の音響設計に大きく関わっている。
その後のSystem 7では、シンセサイザーが音楽の中心的な要素となった。
### 4. ループとシーケンス
ひとつの音やフレーズを繰り返し、音楽の構造を作る方法。
Hillageはエコーによる反復から、この発想を発展させてきた。
『Rainbow Dome Musick』では、シンセサイザーのシーケンスを重ね合わせ、長い時間の中で変化する音響を作り出している。
### 5. 空間の設計
Hillageの音楽は、単に旋律やリズムを組み合わせるだけではない。
音がどのように広がり、どのような距離感を生み出すかも重要な要素となっている。
Gongでのグリッサンド・ギター、『Rainbow Dome Musick』の連続再生、System 7のアンビエントな音響は、この考え方の異なる表れである。
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## 16. 主要作品から見る音楽的変化
| 年 | 作品 | 音楽的な位置づけ |
|---|---|---|
| 1969 | Arzachel | 初期サイケデリック・ロック |
| 1972 | Space Shanty | Khanでのプログレッシブ・ロック |
| 1975 | Fish Rising | Gongの経験を取り込んだソロ作品 |
| 1976 | L | Todd Rundgrenとの共同制作 |
| 1977 | Motivation Radio | ファンキーなリズムと電子音響 |
| 1978 | Green | サイケデリックな空間表現 |
| 1979 | Live Herald | ライブ演奏の記録 |
| 1979 | Rainbow Dome Musick | アンビエント的な音響空間 |
| 1979 | Open | バンド形式の再検討 |
| 1982 | For To Next | コンピューターとドラムマシンの導入 |
| 1991 | System 7 | テクノとサイケデリックの融合 |
| 1993 | 777 | アンビエント・テクノの発展 |
| 1994 | Point 3 | ビートとアンビエントの対照 |
| 1995 | Power of Seven | デトロイト・テクノとの接点 |
| 2001 | Seventh Wave | System 7の継続的な展開 |
| 2004 | Encantado | 電子音楽とサイケデリックの融合 |
| 2008 | Phoenix | 2000年代のSystem 7を代表する作品 |
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## 17. Steve Hillageの音楽が示すもの — ジャンルは変わっても、問いは変わらない
Steve Hillageのキャリアを振り返ると、いくつもの異なる音楽ジャンルが登場する。
初期のサイケデリック・ロック。
カンタベリー周辺のプログレッシブ・ロック。
Gongの幻想的なサウンド。
ソロ作品におけるギターと電子音響の融合。
『Rainbow Dome Musick』のアンビエント的な空間。
そしてSystem 7によるテクノとトランス。
これだけ異なる音楽を作ってきた人物を、ひとつのジャンルに分類することは難しい。
しかし、彼の音楽には一貫した関心が存在する。
それは、音の反復と空間、そして音楽を作るための技術への関心である。
### ギターという楽器の境界を越える
Hillageのギターは、常に同じ役割を担っていたわけではない。
Khanでは、プログレッシブ・ロックの中心的な旋律楽器として機能した。
Gongでは、エコーとグリッサンドによって音響空間を作り出す楽器になった。
ソロ作品では、シンセサイザーやボコーダーと共存しながら、音楽の構造を支えた。
System 7では、電子的なリズムの中に溶け込み、テクノの一部として機能するようになった。
ギターの音を変化させることで、ギターの役割そのものを変えてきたのである。
### ロックとテクノの間にある共通点
ロックとテクノは、一般的には異なる音楽として扱われる。
ロックは演奏者の身体的な動きや楽器の音を重視する。
テクノは電子楽器やシーケンサー、機械的な反復を重視する。
しかしHillageの音楽を聴くと、このふたつの間に共通する部分があることに気づく。
エコーによる反復は、ループと似た構造を持つ。
ギターの音を加工して重ねることは、サンプリングによる音楽制作にも通じる。
演奏者が生み出した音を、機械によって別の形に変えるという考え方は、ロックにもテクノにも存在している。
Hillageは、こうした共通点を早い時期から探求していた音楽家のひとりだった。
### 音楽と空間の関係
『Rainbow Dome Musick』が示したように、Hillageにとって音楽は、単に楽曲を再生するだけのものではなかった。
音が流れる場所、聴き手がいる場所、音が反響する環境も音楽体験の一部になる。
この考え方は、アンビエントやクラブミュージックとも深く関係している。
クラブでは、音楽はステージ上の演奏者だけによって成立するわけではない。
DJ、スピーカー、会場の音響、照明、観客の身体的な動きが組み合わさり、ひとつの空間が作られる。
Hillageが1979年に試みたドーム内での音楽再生は、こうした音楽体験の考え方を先取りするものとして捉えることができる。
ただし、特定の後続ジャンルを彼ひとりが生み出したと考えるべきではない。
彼の仕事は、同時代のさまざまな音楽家や技術者たちとの交流の中で発展してきたものだからだ。
### Miquette Giraudyとの共同作業
Hillageのキャリアを語るとき、Miquette Giraudyの存在を忘れることはできない。
Gong時代から続く音楽的な関係は、ソロ作品や『Rainbow Dome Musick』、System 7へとつながっている。
System 7では、ふたりの異なる音楽的な感覚が、作品の方向性を作る重要な要素となった。
これは、ひとりのアーティストが新しいジャンルへ進出したという単純な物語ではない。
長い時間をかけて共同制作を続けてきた音楽家たちが、新しい技術や音楽文化と出会いながら、表現方法を変えていった歴史でもある。
### 音楽を変えることは、過去を捨てることではない
Hillageのキャリアで特に興味深いのは、ジャンルを変えるたびに過去の経験を捨てていないことだ。
Gongでのエコーは、ソロ作品へと引き継がれた。
ソロ作品での電子音響は、System 7の制作へとつながった。
1970年代のサイケデリックな感覚は、1990年代のテクノの中にも残っている。
彼の音楽は、過去と未来を切り離すのではなく、過去に得た技術や発想を新しい環境の中で再利用することで発展してきた。
そのため、1970年代の作品を聴いた後にSystem 7を聴くと、まったく別の音楽に聞こえながら、共通する音響的な考え方が見えてくる。
> Steve Hillageのキャリアは、ジャンルを移動した歴史というより、ひとつの音楽的な問いを異なる時代の技術で探り続けた歴史なのである。
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## 18. 年表 — Steve Hillageの活動と音楽的変化
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1951 | ロンドンのチンフォードで生まれる |
| 1967 | Mont Campbell、Dave Stewart、Clive BrooksとUrielを結成 |
| 1968 | 大学進学のためUrielを離れる |
| 1969 | UrielのメンバーとArzachel名義のアルバムを制作・発表 |
| 1969頃 | Watkins Copicatなどを使ったエコー奏法を発展させる |
| 1971頃 | Khanの活動を開始 |
| 1972 | Khanが『Space Shanty』を発表 |
| 1972頃 | Kevin Ayersのバンドで活動し、Gongとの関係を深める |
| 1973 | Gongの『Flying Teapot』『Angel's Egg』に参加 |
| 1973 | Mike Oldfieldの『Tubular Bells』発売記念公演に出演 |
| 1974 | Gongの『You』に参加 |
| 1975 | Gongを離れ、ソロアルバム『Fish Rising』を発表 |
| 1976 | Todd Rundgrenプロデュースの『L』を発表 |
| 1977 | Malcolm Cecilらと制作した『Motivation Radio』を発表 |
| 1978 | 『Green』を発表 |
| 1978頃 | Kraftwerkの『The Man-Machine』をクラブで聴き、電子ダンス音楽への関心を深める |
| 1979 | 『Live Herald』『Rainbow Dome Musick』『Open』を発表 |
| 1979末 | ロックバンドとしてのツアー活動を終了 |
| 1982 | 『For To Next』を発表 |
| 1980年代 | レコード制作やプロデュース、電子音楽の研究を続ける |
| 1987〜1988頃 | アシッドハウスの広がりに強い関心を持つ |
| 1990 | Miquette GiraudyとSystem 7の活動を開始 |
| 1991 | System 7のセルフタイトル作品を発表 |
| 1992 | The Orbの『Blue Room』に関わる |
| 1993 | System 7の『777』を発表 |
| 1994 | 『Point 3』を発表 |
| 1995 | 『Power of Seven』を発表 |
| 2001 | 『Seventh Wave』を発表 |
| 2004 | 『Encantado』を発表 |
| 2005 | Mirror Systemの活動を展開 |
| 2006〜2010 | Gongとの再共演を行う |
| 2008 | System 7の『Phoenix』を発表 |
| 2016 | 22枚組ボックスセット『Searching for the Spark』を発売 |
| 2023 | 1979年グラストンベリー公演などのライブ音源についてインタビューで語る |
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## 19. 音楽的な系譜 — UrielからSystem 7まで
Steve Hillageの音楽的な歩みは、複数のグループやプロジェクトを通じて発展してきた。
その流れを整理すると、次のようになる。
flowchart TD
A["1967 Uriel"]
B["1969 Arzachel"]
C["1971 Khan"]
D["Kevin Ayers Band"]
E["Gong"]
F["Fish Rising"]
G["L"]
H["Motivation Radio"]
I["Green"]
J["Rainbow Dome Musick"]
K["For To Next"]
L["1980年代 制作・電子音楽研究"]
M["1990 System 7"]
N["The Orbとの共同制作"]
O["Mirror System"]
P["2000年代以降の電子音楽活動"]
A --> B
A --> C
C --> D
D --> E
E --> F
F --> G
G --> H
H --> I
I --> J
J --> K
K --> L
L --> M
M --> N
M --> O
N --> P
O --> P
Z[""]
Z --- M
この系譜で注目したいのは、Gongからソロ作品への移行と、1970年代末から1990年代への変化である。
Gongでの活動によって、Hillageはエコーやグリッサンドを使った独自のギター表現を確立した。
ソロ作品では、その音楽的な特徴を維持しながら、シンセサイザーや電子楽器を取り入れた。
そしてSystem 7では、ギターの音を電子的なリズムやシーケンスと組み合わせることで、まったく異なる音楽を作り出した。
この流れを見ると、彼の音楽が単なるジャンル変更ではなかったことが理解できる。
---
## 20. まとめ — ギターの可能性を時間と空間へ広げた音楽家
Steve Hillageのキャリアは、1960年代後半の英国アンダーグラウンド・ロックから始まった。
UrielやArzachelでは、サイケデリック・ロックと複雑な演奏構造に関わり、Khanではプログレッシブ・ロックの方向へ進んだ。
Gongでは、Daevid Allenの音楽的な世界観と出会い、エコーやグリッサンドを使った独自のギター表現を発展させた。
その後のソロ作品では、ギターを中心にしながらも、シンセサイザーやボコーダー、電子的なリズムを積極的に取り入れた。
『Rainbow Dome Musick』では、音楽を空間全体に広げるという発想を追求し、1980年代にはコンピューターやドラムマシンを使った制作へと進んでいく。
そして1990年代、Miquette GiraudyとのSystem 7によって、テクノやアンビエントの世界へ本格的に進出した。
この変化は、単にロックミュージシャンが電子音楽に転向したという話ではない。
彼が長年取り組んできた音響的な実験が、新しい音楽文化と結びついた結果だった。
Hillageのギターは、常に変化してきた。
時にはロックの主役となり、時にはサイケデリックな空間を作り、時には電子音楽の中に溶け込んだ。
その音は、演奏者の指先から生まれた後、エコーやシンセサイザー、シーケンサー、録音技術によって別の形へと変化していく。
彼の音楽を聴くことは、ひとりのギタリストの歴史をたどることだけではない。
ロックが電子音楽と出会い、演奏が音響へと変化し、音楽が空間を作るようになっていく過程を聴くことでもある。
1970年代のGongと1990年代のSystem 7は、一見すると遠く離れた音楽に聞こえるかもしれない。
しかし、その両方に存在しているのは、音を反復させ、変化させ、聴き手を別の場所へ連れていこうとする同じ発想である。
> Steve Hillageは、ギターの可能性をロックの枠内に閉じ込めず、時間、空間、電子音響へと広げ続けた音楽家だった。
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