序章:S.O.Aという名前が意味したもの
文:mmr|テーマ:時間構造そのものとして提示されている音楽について
S.O.Aは1980年、ニューヨークで結成されたハードコア・パンク・バンドである。活動期間は極めて短く、正式なディスコグラフィーも限られている。しかし、その存在は単なる前史や準備段階として片付けられるものではない。S.O.Aは、70年代パンクと80年代ハードコアの境界線上に現れ、都市ニューヨークが抱えていた緊張、暴力性、若者の閉塞感を、これ以上削れない形で音に封じ込めた。
バンド名である「State Of Alert」は、常時警戒態勢を意味する言葉である。これは政治的スローガンというより、当時のニューヨークに生きる若者たちの精神状態をそのまま言語化したものであった。経済不安、治安悪化、都市の荒廃、そしてパンク・シーン内部の断絶。S.O.Aは、それらを説明することなく、音速と短さで提示した。
S.O.A(State Of Alert)は、ニューヨーク・ハードコアが自らの輪郭を獲得する直前に存在した、短命でありながら決定的なバンドである。
ニューヨーク・パンクからハードコアへの転換点
1970年代後半のニューヨーク・パンクは、CBGBを中心に独自の文化圏を形成していた。Ramones、Television、Patti Smithといったバンドが提示したスタイルは、既に国際的な影響力を持っていた。一方で、その音楽的語彙や表現は急速に定型化し、若い世代にとっては既に「出来上がったもの」になりつつあった。
同時期、ロサンゼルスやワシントンD.C.では、より速く、より短く、より攻撃的な新しいパンク表現が生まれていた。後にハードコアと呼ばれるこの動きは、ニューヨークにも確実に浸透していく。その初期衝動を最も端的に体現した存在がS.O.Aであった。
S.O.Aが現れた1980年前後のニューヨークは、パンクが様式として固定され、同時に限界を露呈し始めていた時代であった。
メンバー構成と結成の経緯
S.O.Aの中心人物はヘンリー・ロリンズである。後にBlack Flagのフロントマンとして知られるロリンズは、この時点ではワシントンD.C.出身の若者であり、ニューヨーク滞在中にS.O.Aへ参加した。ボーカルとしての彼のスタイルは、後年の表現に比べれば未成熟であるが、既に極端な切迫感と直接性を備えていた。
ギター、ベース、ドラムのメンバーも、ニューヨーク・アンダーグラウンドのパンク・シーンと密接に結びついており、のちに他の重要バンドへ流動していく。この「短期間で解体し、別の形で再構築される」という構造自体が、80年代初頭のハードコア・シーンの特徴であった。
S.O.Aは複数の後続バンドを生む母体として機能し、その人脈的影響力は活動期間の短さと比例しない。
サウンドの特徴:速さと削減
S.O.Aの音楽は、演奏技術や複雑さを志向しない。楽曲の多くは1分前後で終わり、イントロや展開といった要素はほとんど存在しない。ドラムはビートを刻むというより、前方に押し出す役割を担い、ギターはリフというよりノイズとリズムの境界に位置している。
この音楽性は、後のニューヨーク・ハードコアにおける「重さ」や「グルーヴ」とは異なり、むしろD.C.ハードコアの初期衝動に近い。しかし、S.O.Aの音には都市ニューヨーク特有の乾いた緊張感があり、政治性よりも即時的な感情の噴出が前面に出ている。
S.O.Aの楽曲は、構築というより切除の結果として存在している。
歌詞と表現のスタンス
S.O.Aの歌詞は短く、直接的であり、比喩や物語性はほとんど用いられない。そこに描かれるのは、抑圧、怒り、自己防衛といった断片的な感覚である。特定の政治思想や社会運動を明確に指示することはなく、むしろ個人が置かれた状況への反射的な反応が中心となっている。
この姿勢は、後年のストレートエッジや政治的ハードコアとは異なる。S.O.Aは、思想を構築する前段階に存在し、まだ言葉にならない不安や暴力性を、そのまま音として放出していた。
S.O.Aの歌詞はメッセージを説明せず、感情の圧力だけを残す。
No Policy E.P.:唯一の公式音源
S.O.Aが残した公式音源は、7inch盤としてリリースされた No Policy E.P. のみである。この作品には、S.O.Aの音楽的特徴が凝縮されている。全曲が極めて短く、録音も粗削りで、装飾は一切ない。
No Policy E.P.は、完成度や音質で評価される作品ではない。その価値は、当時のニューヨークにおけるハードコアの初期状態を、加工されていない形で保存している点にある。この7inchは、後年のハードコアがどれほど構造化され、制度化されていったかを考える上で、重要な基準点となっている。
No Policy E.P.は、S.O.Aの存在を現在に伝える唯一の確定した記録である。
ライブ活動と解散
S.O.Aのライブ活動は短期間で、会場も限られていた。主に小規模なクラブやDIY的なスペースで演奏し、当時のニューヨーク・パンク・シーン内部でのみ知られる存在であった。ライブでは、音楽的完成度よりも衝突のエネルギーが重視され、観客との距離は極端に近かった。
バンドは1981年頃に解散する。解散理由は特定の事件というより、メンバーの移動と関心の変化による自然消滅に近い。だが、この解散によってS.O.Aは終わるのではなく、別の形で拡散していく。
S.O.Aはライブ・バンドであり、記録よりも現場に存在した。
S.O.Aから派生した流れ
ヘンリー・ロリンズはS.O.A解散後、Black Flagへ加入する。そこで彼は、より持続的で構造化された表現を獲得していく。一方、ニューヨーク側のメンバーや周辺人物は、Agostic FrontやCro-Magsへと連なるシーン形成に関与していく。
S.O.A自体はニューヨーク・ハードコアの代表格として語られることは少ない。しかし、その「何者でもない段階」の記録として、後続のバンドが何を引き継ぎ、何を捨てたのかを理解するための重要な手がかりを提供している。
S.O.Aは終点ではなく分岐点として機能した。
ニューヨーク・ハードコア史における位置付け
ニューヨーク・ハードコアは、1980年代半ば以降、明確なスタイルと美学を持つようになる。しかしS.O.Aは、その前段階に存在し、まだ名称すら定着していない状態の音楽を体現していた。
そのため、S.O.Aを単独で評価することは難しい。しかし、ハードコアが「こうでなければならない」という規範を持つ以前に、何が起きていたのかを知る上で、S.O.Aは欠かせない存在である。
S.O.Aはジャンルの定義が固まる前の、最も不安定な瞬間を切り取っている。
年表
1980年 ニューヨークにてS.O.A結成 1980年 ライブ活動開始 1981年 7inch盤 No Policy E.P. リリース 1981年 活動停止・事実上の解散 1981年以降 メンバーが各地のハードコア・バンドへ分散
S.O.Aの活動は短いが、時代の変化と密接に重なっている。
S.O.Aを中心とした関係図
結語:警戒態勢のまま残された音
S.O.Aは完成された作品ではなく、警報音そのものであった。
S.O.Aは、成功も持続も目指していない。だが、その一瞬の存在は、ハードコアという音楽がどのような切迫感から生まれたのかを、最も直接的に示している。No Policy E.P.に刻まれた数分間の音は、ジャンルが制度化される以前の、生身の衝動を今も保ち続けている。