【コラム】 Rokia Traoré — 音楽の伝統を定義する権利は、誰にあるのか?

Column Bambara Mali West African
【コラム】 Rokia Traoré — 音楽の伝統を定義する権利は、誰にあるのか?

Rokia Traoré — 誰が音楽の伝統を定義するのか?

文:mmr|テーマ:伝統を守ることと、伝統に従うことは違う。マリの音楽家Rokia Traoréが、文化的な境界や音楽家の資格という固定観念を越え、自分自身の表現を築いていった軌跡を追う

音楽の伝統について語るとき、私たちはしばしば、ある決まったイメージを思い浮かべる。

代々受け継がれてきた楽器。特定の家系に伝わる歌。地域ごとに異なるリズム。長い時間をかけて形成された演奏技術。そして、その文化を正しく受け継ぐ人々。

しかし、ここで一つの疑問が生まれる。

その伝統を受け継ぐ資格は、誰が決めているのだろうか。

マリ出身のシンガーソングライター、ギタリストであるRokia Traoréは、この問いを考えるうえで興味深い存在だ。

彼女の音楽には、バンバラ語による歌、マリの伝統楽器、アコースティックギター、エレクトリックギター、ベース、ドラム、さらには西洋クラシック音楽やロックの要素が共存している。

その組み合わせは、単純なジャンルの融合ではない。

彼女は、マリの音楽を海外の聴衆に分かりやすく紹介するために、自分の音楽を作ったわけではなかった。むしろ、既存のカテゴリーに自分の表現を押し込めることを避けながら、何が自分にとって自然な音楽なのかを探してきた。

その背景には、外交官の父とともに複数の国や文化を移動してきた幼少期がある。

また、マリの社会における音楽家の伝統的な役割と、自分自身の出自との関係も重要だった。

Rokiaは、代々音楽を職業としてきたグリオの家系に生まれたわけではない。彼女が音楽家として歩み始めたことは、単に新しいキャリアを選んだというだけではなく、文化のなかで誰が音楽を作り、誰が歌い、誰がその役割を担うのかという問題にもつながっていた。

1998年のデビュー作『Mouneïssa』から、2000年の『Wanita』、2003年の『Bowmboï』、2008年の『Tchamantché』、2013年の『Beautiful Africa』、そして2016年の『Né So』まで。

彼女の作品を追っていくと、音楽的な変化とともに、表現者としての立場も少しずつ変化していることが分かる。

これは、伝統を捨てて現代化する物語ではない。

伝統を自分の言葉で捉え直すことによって、音楽の可能性を広げていく物語なのだ。


音楽の境界線を越えるということ

Rokia Traoréの作品を聴くと、まず耳に残るのは、その声とギターの関係だ。

歌はバンバラ語を中心に展開され、ギターは単なる伴奏にとどまらない。旋律を支えながら、リズムを作り、曲全体の空気を形作っている。

そこにマリの伝統的な楽器が加わることで、音楽は一つの地域的な形式に固定されない。

彼女の作品は、アフリカ音楽という大きな分類にも、フォークやロックという西洋のジャンルにも、完全には収まらない。

その不安定さこそが、Rokia Traoréの音楽の重要な特徴である。

彼女の音楽を理解するには、どのジャンルに属するのかを考えるよりも、異なる音楽文化がどのように一つの表現のなかで共存しているのかを見る必要がある。


1. Katiで生まれた音楽家と、移動する幼少期

マリという出発点

Rokia Traoréは1974年、マリのKatiで生まれた。

Katiは首都バマコの近郊に位置する町である。彼女の両親は、マリのBélédougou地域にルーツを持っていた。

しかし、Rokiaの幼少期は、一つの土地に長くとどまる生活ではなかった。

父親が外交官だったため、家族は父親の赴任先に合わせて移動した。彼女は幼いころから、マリだけでなく、ヨーロッパや中東など複数の地域で生活することになる。

この経験は、後の音楽性を考えるうえで欠かせない。

多くの音楽家は、特定の地域や共同体のなかで育ち、その土地に根付いた音楽を身近なものとして学んでいく。

一方、Rokiaの場合は、異なる文化や生活環境を行き来することが日常だった。

一つの音楽文化だけを基準にして世界を見るのではなく、複数の文化が並んで存在する環境に身を置いていたのである。

父親の音楽コレクション

彼女の父親は外交官になる以前、教師や音楽家として活動した経験を持ち、サックスを演奏していた。

また、音楽に対する関心が強く、家庭にはさまざまな音楽のレコードがあった。

Rokiaは父親と一緒に音楽を聴くなかで、幅広いジャンルに触れていった。

その範囲は、アフリカの音楽だけに限られなかった。

ジャズ、クラシック、ロック、ブルース、ポップ、レゲエなど、異なる文化や時代に属する音楽が、同じ家庭のなかに存在していた。

彼女が後年、Billie HolidayやElla Fitzgerald、Louis Armstrong、Serge Gainsbourg、The Rolling Stonesなど、多様な音楽家や作曲家から影響を受けたと語っていることも、この環境と関係している。

重要なのは、これらの音楽が後から意図的に組み合わされたわけではないという点だ。

彼女にとって、それらは幼少期から同じ生活空間に存在していた音楽だった。

移動が生んだ視点

異なる国で生活することは、必ずしも自由な経験ばかりではない。

住む場所が変わるたびに、言葉や人間関係、生活習慣も変わる。周囲の人々と同じ環境を共有していても、自分が完全にその共同体の一員になったと感じられるとは限らない。

Rokiaは後年、幼少期に頻繁に移動したことが、自分の人間関係や物事の見方に影響を与えたと語っている。

特定の場所に完全に属することの難しさは、同時に、異なる文化を比較する視点にもつながった。

ある場所では普通とされることが、別の場所ではそうではない。

ある文化では伝統とされるものが、別の文化から見ると異なる意味を持つ。

こうした経験は、彼女の音楽におけるジャンルや文化の境界に対する柔軟な姿勢を理解する手がかりになる。

12歳で始まった作詞

Rokiaは12歳ごろから文章を書き始めた。

初期の作品は、英語やフランス語で書いた文章をバンバラ語に翻訳するところから発展していった。

その過程で生まれたのが、後に彼女の初期レパートリーとなる楽曲である。

『Se』『Fatalité』『Finini』などは、彼女の初期の創作活動を示す作品として知られている。

ここには、言語と音楽の重要な関係がある。

彼女は、国際的な聴衆に理解されやすい言語だけを選んで歌うのではなく、自分自身の文化的な背景と結びついた言語で表現する道を選んでいった。

その選択は、後のキャリアを通して重要な意味を持つことになる。

複数の文化に触れて育ったことは、彼女から一つのルーツを奪ったのではない。むしろ、自分のルーツを外側から見つめ直す視点を与えていた。


2. グリオの家系ではないという出発点

西アフリカのグリオ文化

Rokia Traoréの音楽を理解するには、西アフリカのグリオ文化について知る必要がある。

グリオは、主に西アフリカのマンデ系社会において、歴史や系譜、物語、歌などを伝えてきた専門的な役割を担う人々を指す。

彼らは、共同体の記憶を音楽や言葉によって伝える存在でもある。

口承による歴史の継承は、書物による記録とは異なる仕組みを持つ。

歌や物語は、人から人へと伝えられ、演奏や語りのなかで生き続ける。

グリオの音楽には、コラやンゴニなどの弦楽器、歌、語りが深く関係している。

ただし、グリオという役割は単なる演奏技術の分類ではない。

歴史的には、家系や社会的な役割とも結びついてきた。

音楽家になることの意味

Rokiaは、伝統的な音楽家の家系に生まれたわけではなかった。

彼女の出自は、グリオの家系とは異なる社会的な位置にあった。

マンデ社会の伝統的な身分構造において、グリオは特定の世襲的な役割を担う集団として位置付けられてきた。

そのため、音楽を職業とすることは、すべての人に同じように開かれた選択ではなかった。

Rokiaの音楽活動は、このような社会的な背景とも関係している。

彼女は、家族から受け継いだ職業として音楽を始めたのではない。

自分自身の意思で音楽を選び、作品を作り、演奏活動を始めた。

ここで重要なのは、彼女がグリオ文化を否定したわけではないということだ。

彼女の作品には、マリの伝統音楽から受け取った要素が存在する。

しかし、その要素を扱うために、必ずしも伝統的な音楽家の家系に属している必要はないという立場を、自らの活動を通して示していった。

伝統の所有者は誰なのか

この問題は、現代の音楽文化を考えるうえでも重要だ。

伝統を守るという考え方は、文化を継承するために必要な側面を持っている。

長い時間をかけて形成された演奏技術や知識は、簡単に再現できるものではない。

しかし、伝統を特定の人々だけが扱えるものとして固定すると、文化が変化する可能性も狭まってしまう。

Rokiaの活動は、伝統的な役割を受け継ぐことと、自分自身の音楽を作ることが必ずしも同じではないことを示している。

彼女は、グリオとしての役割を演じるのではなく、自分の立場からマリの音楽文化と向き合った。

その結果、伝統的な楽器や言語を使用しながら、従来の枠組みとは異なる音楽を生み出していくことになる。

伝統を博物館に閉じ込めない

伝統は、過去の状態をそのまま保存することだけを意味しない。

音楽は、演奏する人間や聴く人間、社会の変化によって少しずつ姿を変えていく。

Rokiaの作品が興味深いのは、伝統的な要素を単なる装飾として使用していないことだ。

バンバラ語で歌い、マリの楽器を取り入れながら、現代的な作曲やアレンジを行う。

それは、伝統を現代音楽のために消費するというよりも、伝統が現在の生活のなかでも表現として機能することを示す試みだった。

伝統を本当に生きた文化として扱うなら、そこには新しい表現を生み出す余地が必要になる。


3. 1990年代のマリで始まった音楽活動

ヨーロッパでの学びとマリへの帰還

1990年代、Rokiaはヨーロッパで学んだ後、マリへ戻ることを決めた。

彼女が目指していたのは、既存の音楽ジャンルをそのまま再現することではなかった。

自身の言葉で語られている構想は、ポップでもジャズでもクラシックでも、単純なマリの伝統音楽でもないものだった。

伝統的な楽器を使用しながら、現代的な音楽を作る。

この考え方は、後の作品全体を貫く方向性となっていく。

当時の彼女には、自分が目指す音楽を実際に形にすることの難しさが十分に見えていたわけではなかったという。

しかし、彼女はその構想を実現するために、マリで音楽活動を始めた。

Ali Farka Touréとの関係

初期の活動で重要な存在となったのが、マリを代表する音楽家の一人、Ali Farka Touréだった。

Rokiaは1995年ごろ、バマコで初期の楽曲を録音し、その制作においてAli Farka Touréの指導を受けた。

『Finini』は、彼女の初期の楽曲として知られている。

Ali Farka Touréは、マリ北部の音楽文化を背景に、ブルースとの関係でも国際的に評価されていた音楽家である。

ただし、Rokiaの音楽がAli Farka Touréの延長線上にあると考えるのは正確ではない。

両者は同じマリの音楽文化に関係しているが、音楽的な方向性や表現方法は異なる。

Ali Farka Touréが伝統的な音楽とブルースの関係を独自の方法で発展させたのに対し、Rokiaはギター、バンバラ語、伝統楽器、異なる音楽文化の組み合わせを通じて、自分自身の表現を構築していった。

1997年の転機

1997年、RokiaはフランスのAngoulêmeで開催されたMusique Métissesフェスティバルに出演した。

この時期、Radio France Internationale(RFI)によるDécouverte Afriqueの評価を受け、彼女はアフリカ音楽の新しい才能として注目されるようになる。

これは、国際的なキャリアの始まりとなる重要な出来事だった。

それまでマリで進めてきた音楽活動が、ヨーロッパの聴衆や音楽関係者に届き始めたのである。

ただし、彼女の成功は、既存のアフリカ音楽の形式を忠実に再現したことによるものではなかった。

むしろ、従来の分類では説明しにくい音楽を作っていたことが、彼女の個性として認識されていった。

Rokia Traoréの出発点には、伝統を再現することではなく、自分が生きてきた複数の音楽文化を一つの表現にまとめるという明確な意志があった。


4. 『Mouneïssa』——新しいマリ音楽の輪郭

1998年、最初のアルバム

1998年、Rokia Traoréはデビューアルバム『Mouneïssa』をLabel Bleuから発表した。

この作品は、彼女がそれまで構想してきた音楽を具体的な形にした最初の重要な記録である。

『Mouneïssa』の特徴は、伝統的なマリの音楽要素と、現代的なシンガーソングライターの形式が同じ作品のなかに存在していることだ。

中心にあるのは彼女自身の歌とギターである。

そこにンゴニやバラフォンなどの楽器が加わる。

ンゴニとバラフォン

ンゴニは、西アフリカのマンデ系音楽文化と深く関係する弦楽器である。

構造や地域によって違いはあるが、伝統的には弦を弾いて演奏する楽器であり、コラなどとともに西アフリカの弦楽器文化を形成してきた。

一方、バラフォンは、木製の音板を叩いて音を出す打楽器である。

音板の下に共鳴器を備える構造を持ち、地域によってさまざまな形態が存在する。

これらは、単に音色が異なる楽器というだけではない。

それぞれ異なる演奏技術や音楽的な役割、文化的な背景を持っている。

Rokiaが注目された理由の一つは、こうした楽器をアコースティックギターと同じ音楽的な空間に配置したことだった。

伝統楽器を曲の背景に置くだけではなく、ギターとともに楽曲の中心的な構造を作っている。

楽器の組み合わせが変える音楽

一般的に、伝統音楽を現代化する方法として、電子楽器や西洋のドラムを追加することが考えられる。

しかし、『Mouneïssa』におけるRokiaのアプローチは、もっと根本的なものだった。

異なる楽器を同じ曲のなかでどのように機能させるのか。

その関係そのものを作り直していたのである。

彼女は、マリの伝統楽器とアコースティックギターを、別々の文化を代表する音として対立させるのではなく、一つの作曲のなかで共存させた。

それによって、伝統音楽と現代音楽の間にあるとされる境界が曖昧になっていく。

歌い手であり、作曲家であること

『Mouneïssa』のもう一つの重要な特徴は、Rokia自身が作曲家として作品を組み立てていることだ。

彼女は単に伝統的な旋律を歌う存在ではない。

言葉を書き、メロディーを作り、楽器の組み合わせを考え、曲全体の構造を形成していく。

これは、彼女がグリオの伝統的な役割をそのまま引き継ぐのではなく、現代的なソングライターとして活動していたことを示している。

デビュー作は、彼女の音楽的な立場を明確にした。

マリの文化に根を持ちながら、特定の伝統的な形式だけに従うことはしない。

『Mouneïssa』は、伝統を現代音楽に置き換えた作品ではなく、両者を同じ作曲のなかで成立させようとした作品だった。


5. 『Wanita』——自分の音楽を自分で決める

2000年のセカンドアルバム

2000年、Rokiaはセカンドアルバム『Wanita』を発表した。

デビュー作で提示された音楽的な方向性は、この作品でさらに発展している。

『Wanita』は、彼女自身が作曲とアレンジを手がけたアルバムとしても重要だ。

ここで見えてくるのは、Rokiaが単にマリの伝統楽器を取り入れたシンガーではないということだ。

彼女は、自分の作品の音楽的な設計を自ら決めるソングライターだった。

共同制作と音楽的な対話

『Wanita』には、マリの音楽家Boubacar Traoréとの共演も含まれている。

同じ姓を持つが、二人に親族関係があるとする根拠はない。

この共演は、彼女が自分の音楽を閉じた個人表現として作るのではなく、他の音楽家との対話のなかで発展させていたことを示す。

ただし、共演は自分の音楽的な方向性を他者に委ねることとは違う。

Rokiaは、他の演奏家の個性を受け入れながら、自分自身の作曲とアレンジの軸を維持していた。

言葉を翻訳しないという選択

彼女の歌詞は、主にバンバラ語で書かれている。

国際的な活動を行う音楽家にとって、英語やフランス語で歌うことは、聴衆を広げる一つの方法になり得る。

しかし、Rokiaはバンバラ語による歌唱を重要な表現手段として維持した。

これは、言葉の意味が分からない聴衆に対して音楽を閉ざすこととは異なる。

言葉には意味があり、文化的な背景がある。

しかし、音楽の伝達は、歌詞の翻訳だけで成立するわけではない。

声の響き、発音、旋律、リズム、演奏との関係も、作品の重要な要素となる。

Rokiaは、歌詞を国際的に理解しやすい言語へ変換することよりも、自分が自然に表現できる言語で歌うことを選んだ。

バンバラ語が持つ音楽的な役割

バンバラ語は、マリで広く使用されている言語の一つであり、地域の生活や文化と深く結びついている。

Rokiaにとって、この言語は単なる歌詞の選択肢ではない。

自分の考えを表現するための言葉であり、音楽のリズムや旋律を生み出す基盤でもある。

言語によって音節の長さや発音、アクセントは異なる。

そのため、歌詞の言語を変えることは、単に意味を置き換えることではなく、メロディーの構造にも影響する。

バンバラ語で歌うことは、彼女の音楽の固有性を形作る要素の一つだった。

『Wanita』は、国際的な活動を進めながらも、自分の言語と作曲の主体性を手放さないアーティストの姿を明確にした。


6. 『Bowmboï』——マリの音楽と現代室内楽の接点

2003年の重要作

2003年、Rokia Traoréはサードアルバム『Bowmboï』を発表した。

この作品は、彼女のキャリアのなかでも大きな転機となった。

特に注目されるのが、アメリカの弦楽四重奏団Kronos Quartetとの共同制作である。

Kronos Quartetは、現代音楽、クラシック、世界各地の音楽、実験的な作品などを幅広く取り上げてきたアンサンブルだ。

伝統的な弦楽四重奏の編成を維持しながら、既存のクラシック音楽のレパートリーに限定されない活動を続けてきた。

異なる音楽文化が出会うとき

RokiaとKronos Quartetの共演は、異なる音楽文化がどのように同じ作品のなかで成立するのかを考えるうえで興味深い。

弦楽四重奏は、西洋クラシック音楽の歴史のなかで発展してきた編成である。

一方、Rokiaの音楽には、マリの伝統楽器やバンバラ語による歌唱が存在する。

この二つを組み合わせることは、単に異なる楽器を同じ録音に参加させることではない。

音楽の構造や演奏の考え方が異なるもの同士を、どのように一つの作品にまとめるのかという課題を伴う。

『Bowmboï』におけるKronos Quartetとの協働は、その課題に対する一つの回答だった。

BBC Radio 3 World Music Award

『Bowmboï』は2004年、BBC Radio 3 World Music Awardsで批評家賞を受賞した。

これは、Rokiaの音楽がマリ国内やヨーロッパの一部の音楽関係者だけでなく、国際的な音楽批評の場でも評価されたことを示している。

しかし、受賞歴以上に重要なのは、彼女が自分の音楽を他の文化圏の演奏家と共有する方法を見つけていたことだ。

彼女の音楽は、海外の演奏家と共演することで初めて国際的な価値を得たわけではない。

すでに存在していた自分の音楽的な方向性を、異なる編成や演奏家との協働によってさらに広げていったのである。

コラボレーションは文化の翻訳なのか

異なる文化の音楽家が共演するとき、しばしば「文化の融合」という表現が使われる。

しかし、その言葉だけでは、実際に何が起きているのかが見えにくい。

重要なのは、どちらか一方の音楽が、もう一方の音楽に従属していないかという点だ。

Rokiaの活動では、バンバラ語の歌やマリの音楽的な要素が、作品の中心から排除されていない。

Kronos Quartetの参加も、彼女の音楽を西洋クラシック音楽に変換するためのものではない。

それぞれの音楽的な特徴を残しながら、一つの作品として成立させる。

この姿勢は、後年の舞台作品や他のアーティストとの協働にもつながっていく。

『Bowmboï』は、異なる音楽文化を一つの形式に統一するのではなく、違いを残したまま対話させることの可能性を示した。


7. 『Tchamantché』——エレクトリックギターが開いた新しい方向

2008年、新しい音の領域へ

2008年、Rokiaは4枚目のアルバム『Tchamantché』を発表した。

これまでの作品で重要な役割を果たしてきたアコースティックギターに加え、このアルバムではエレクトリックギターが大きな存在感を持つようになる。

特に彼女が使用するGretschのエレクトリックギターは、この時期の音楽性を象徴する楽器の一つとなった。

また、ベースやドラムを含むバンド編成が、作品の音楽的な幅を広げている。

アコースティックからエレクトリックへ

エレクトリックギターを取り入れることは、単純に音を大きくしたり、ロックに近づいたりすることではない。

ギターの音色は、アンプやエフェクト、演奏方法によって大きく変わる。

音の持続、ノイズ、歪み、音の立ち上がりなど、アコースティックギターとは異なる表現が可能になる。

Rokiaにとって、この変化は新しい音楽的な語彙を手に入れることでもあった。

彼女は、マリの音楽的な背景を維持しながら、エレクトリックギターを自分の表現に組み込んでいった。

ロックを演奏することと、ロックの形式に従うこと

彼女の音楽にはロックの影響が存在する。

しかし、それは西洋のロックをそのまま再現することを意味しない。

後の『Beautiful Africa』について、Rokiaはロックから影響を受けていることを認めながらも、西洋的な伝統のロックを作りたかったわけではなく、マリの音楽であり、自分自身の音楽であるロックを目指したと説明している。

この考え方は、『Tchamantché』にもつながる。

彼女は、あるジャンルの楽器を使用することで、そのジャンルの規則に従わなければならないとは考えていなかった。

エレクトリックギターを使っても、マリの音楽的な背景を捨てる必要はない。

伝統楽器を使用していても、伝統的な形式だけを守る必要はない。

『The Man I Love』という選択

『Tchamantché』の最後には、George Gershwinの楽曲『The Man I Love』のカバーが収録されている。

この選曲は、彼女の音楽的な視野を象徴するものでもある。

バンバラ語を中心に歌ってきたアーティストが、英語によるスタンダード曲を自分の作品の最後に置く。

そこには、音楽のジャンルや言語によって自分の活動範囲を限定しない姿勢が表れている。

彼女は、マリの文化を代表するためだけに音楽を作っているわけではない。

同時に、西洋音楽の形式に合わせるために、自分の背景を隠すわけでもない。

2009年の評価

『Tchamantché』は2009年、フランスの音楽賞Victoires de la Musiqueでワールドミュージック部門の評価を受けた。

また、同年のSonglines Music AwardsでもArtist of the Yearに選ばれた。

この時期のRokiaは、マリの音楽家という枠組みを越えて、国際的なシンガーソングライターとして広く認識されるようになっていた。

エレクトリックギターの導入は、彼女が自分のルーツを離れたことを意味しない。むしろ、自分の音楽を作るために使える言葉を増やした出来事だった。


8. 音楽の外側へ——Mozart、Peter Sellars、Toni Morrison

アルバムだけでは説明できない活動

Rokia Traoréのキャリアをアルバムだけで追うと、彼女の活動の一部を見落としてしまう。

彼女は音楽作品の制作だけでなく、舞台芸術や演劇、文学と結びついたプロジェクトにも参加してきた。

その代表例が、演出家Peter Sellarsとの共同制作である。

New Crowned Hopeと『Wati』

2006年、Peter SellarsはMozartの生誕250周年に関連する芸術プロジェクトNew Crowned Hopeを企画した。

このプロジェクトは、Mozartの音楽を直接再現することだけを目的としたものではなかった。

異なる地域や文化の芸術家たちに新しい作品の制作を依頼し、音楽や舞台芸術の可能性を広げようとする試みだった。

Rokiaもこの企画に参加し、『Wati』という舞台作品を制作した。

この仕事は、彼女が従来のアルバム制作とは異なる条件のなかで音楽を作る経験となった。

作曲家としての新しい役割

アルバム制作では、作曲家は楽曲の構造や演奏、録音、アレンジを中心に考える。

しかし、舞台作品では、音楽は演劇や視覚表現、身体の動き、空間などと関係する。

音楽だけで完結しない作品を作るためには、他の芸術分野の表現者との協働が必要になる。

Rokiaにとって、この経験は自分の音楽を別の形式へと展開する機会だった。

『Desdemona』とToni Morrison

もう一つ重要なのが、Toni MorrisonとPeter Sellarsとの共同制作『Desdemona』である。

『Desdemona』は、William Shakespeareの『Othello』に登場するDesdemonaを中心に、物語の背景や登場人物の関係を別の視点から描き直す舞台作品だ。

Toni Morrisonがテキストを担当し、Peter Sellarsが演出を手がけた。

Rokiaは、この作品の音楽面で重要な役割を担った。

ここで注目したいのは、彼女が単に舞台のための音楽を提供したのではないということだ。

音楽は、物語の解釈や登場人物の感情、歴史的な背景と関係している。

彼女の声や音楽的な表現は、文学作品を別の角度から捉えるための要素になっている。

音楽は物語をどう変えるのか

演劇や文学に音楽が加わると、言葉だけでは表現できない時間や感情が生まれる。

同じ台詞でも、音楽の存在によって聴き手が受け取る印象は変化する。

Rokiaの活動は、音楽が単独の芸術形式として存在するだけでなく、他の芸術の意味を変える力を持つことを示している。

また、この経験は、彼女が単なる歌手ではなく、作曲家としての役割を広げてきたことも明らかにする。

Rokia Traoréの音楽は、アルバムの枠を越え、文学や演劇と対話することで、さらに広い表現領域へと進んでいった。


9. 『Beautiful Africa』——自分自身のロックを作る

2013年の新しい方向性

2013年、Rokiaは5枚目のアルバム『Beautiful Africa』を発表した。

この作品のプロデュースを担当したのは、イギリスの音楽家John Parishである。

John Parishは、PJ Harveyなどの作品に関わってきたプロデューサー、ミュージシャンとして知られる。

『Beautiful Africa』では、以前の作品よりもロックの影響が明確になっている。

ギターの存在感、バンドサウンド、楽曲の構成などに、その変化を見ることができる。

ロックという言葉の意味

ここで重要なのは、Rokiaがロックの影響を受けていることと、彼女の音楽が西洋のロックに従属していることを区別することだ。

ロックは、特定の国や地域だけに属する音楽ではない。

世界各地でロックの形式は受け入れられ、それぞれの文化や社会的な背景のなかで異なる表現へと変化してきた。

Rokiaは、ロックの音楽的なエネルギーや表現方法を取り入れながら、マリの音楽文化や自身の歌唱スタイルを維持した。

彼女が目指したのは、西洋のロックを模倣することではなく、自分自身のロックを作ることだった。

John Parishとの制作

John Parishとの協働は、作品の音楽的な方向性を考えるうえで重要である。

プロデューサーとの共同作業は、アーティストの音楽的な意図を別の視点から整理し、録音やアレンジの方法を発展させる機会になる。

『Beautiful Africa』では、RokiaのソングライティングとJohn Parishの制作的な視点が交わっている。

ただし、プロデューサーの存在によって彼女自身の音楽的な主体性が失われたわけではない。

作品の中心には、彼女の歌と作曲がある。

三つの異なる音楽的な側面

Rokiaは『Beautiful Africa』に関連する活動のなかで、異なる音楽的な方向性を示す三つの作品群にも取り組んだ。

それぞれの方向性は、次のように表現されている。

  • Damou(Dream):アコースティックな表現
  • Donguili(Sing):ブルースの要素を含む歌の表現
  • Donke(Dance):ロックの影響を受けたダンス的な表現

これらは、彼女が一つの音楽的なスタイルに固定されることを避けていたことを示す。

アコースティックな表現も、歌を中心にした作品も、ロックの影響を受けた作品も、それぞれ異なる自分の側面を表現する方法だった。

アフリカを美しく描くとは何か

『Beautiful Africa』というタイトルにも注目したい。

アフリカという言葉は、しばしば外部から一つの地域としてまとめられ、単純化される。

しかし、実際には多様な言語、歴史、社会、音楽文化が存在している。

このアルバムのタイトルを、アフリカを単純に理想化した表現として理解するべきではない。

Rokiaの音楽活動全体を見れば、彼女は自分の出自を一つの固定されたイメージに変えることを避けてきた。

マリの音楽を演奏しながらロックを取り入れ、文学や舞台芸術と協働する。

その活動は、アフリカの音楽文化が現代の世界のなかで多様な表現を生み出せることを示している。

『Beautiful Africa』は、ロックの影響を受けながらも、マリの音楽家としての自分を失わないという彼女の姿勢を明確にした作品である。


10. 2009年のバマコ帰還とFondation Passerelle

マリに戻るという選択

2009年、Rokiaはマリのバマコに戻り、Fondation Passerelleを設立した。

彼女のキャリアにおいて、これは音楽活動とは異なる重要な出来事だった。

Fondation Passerelleは、芸術や文化産業の発展を支援することを目的とした組織である。

また、教育や芸術を通じた社会的なつながりにも関心を持っている。

芸術を支える仕組み

音楽家の活動は、作品を作ることだけでは成立しない。

演奏する場所、制作するための設備、技術者、教育、資金、観客との接点など、さまざまな条件が必要になる。

特に、音楽産業の基盤が十分に整っていない地域では、アーティストが活動を続けるための環境そのものが課題になる。

音楽家が国際的に成功しても、その成功が自動的に地域の音楽産業全体の成長につながるわけではない。

RokiaがFondation Passerelleを設立したことは、個人の音楽活動だけでなく、芸術を支える環境にも関心を向けていたことを示している。

音楽家から文化の担い手へ

音楽家が社会に対してどのような役割を持つのかという問いは、Rokiaのキャリアを通して繰り返し現れる。

彼女は、自分の作品を発表するだけでなく、マリの文化的な活動を支えるための取り組みにも関わってきた。

これは、音楽家が単に文化を表現する存在ではなく、文化が生まれ、継承される環境にも関わることができるという一つの例だ。

もちろん、芸術家一人の活動だけで、地域の文化産業が抱える問題を解決できるわけではない。

しかし、作品を作ることと、その作品が生まれる環境を支えることを別々に考えない姿勢には、大きな意味がある。

音楽を作ることと、音楽が生まれ続ける場所を支えることは、必ずしも別の活動ではない。


11. 『Né So』——帰る場所を問い直す

2016年、6枚目のアルバム

2016年、Rokiaは6枚目のアルバム『Né So』をNonesuch Recordsから発表した。

『Né So』はバンバラ語で「家」を意味する。

この作品は、彼女がそれまで歩んできた音楽的な道のりを振り返るうえでも重要な作品となった。

アルバムの制作には、前作『Beautiful Africa』に続いてJohn Parishが関わっている。

家とは何か

『Né So』というタイトルは、彼女の人生経験を考えると特別な意味を持つ。

幼少期から複数の国を移動してきたRokiaにとって、家という概念は、単純に一つの場所を指すものではない。

家族と過ごした場所、マリの文化、生活の記憶、言語、そして自分自身のアイデンティティ。

それらが重なり合って、家という概念を形成している。

移動を繰り返してきた人間にとって、帰る場所は必ずしも地理的な一点とは限らない。

音楽や言語が、場所を越えて自分の帰属意識を支えることもある。

個人的な経験と社会的な現実

『Né So』の制作時期には、彼女の個人的な生活と、マリの社会状況が大きく交差していた。

Rokiaは2009年にバマコへ戻った後、2012年に深刻化したマリの紛争を経験した。

マリ北部を中心とした武力衝突や政治的不安定化は、国全体に大きな影響を及ぼした。

彼女自身も、戦争の影響を受けて生活の場所を変えることになったと語っている。

その経験は、音楽を続ける意味について改めて考えるきっかけになった。

音楽家として何を作るのか。

自分の作品は、どのような社会的な状況のなかで存在するのか。

そして、自分が音楽を続ける理由は何なのか。

こうした問いは、『Né So』の背景を理解するうえで重要になる。

『Kenia』と目的についての問い

アルバムの冒頭に置かれた『Kenia』では、目的や成功、失敗についての言葉が歌われる。

ここで表現されているのは、成功そのものを追い求める姿勢ではなく、何のために行動するのかを問い直す姿勢だ。

Rokiaは、これまでのキャリアでも、音楽を続ける理由を自分自身に問いかけてきた。

『Né So』は、単純に過去の作品を総括するアルバムではない。

自分の経験と向き合い、これからどのような音楽を作るのかを考える作品でもある。

アーティストとしての成熟

『Mouneïssa』の時点で、彼女はすでに伝統と現代音楽の境界を越える表現を追求していた。

しかし、『Né So』では、その問題がより個人的で社会的な意味を持つようになっている。

家族、生活、故郷、戦争、音楽産業、女性としての立場。

これらは、音楽とは無関係な背景ではない。

アーティストがどのような環境で生き、何を経験し、なぜ作品を作るのかという問題と直接結びついている。

『Né So』は、家という言葉を通じて、自分の居場所と音楽を続ける理由を問い直した作品だった。


12. Rokia Traoréの音楽を支える五つの要素

ここまでの作品を振り返ると、Rokia Traoréの音楽には、繰り返し登場するいくつかの特徴がある。

それらを整理すると、彼女の音楽がなぜ特定のジャンルに収まりにくいのかが見えてくる。

1. バンバラ語による歌唱

彼女の音楽の中心にあるのは、バンバラ語による歌唱である。

これは単に出身地の言語を使用しているというだけではない。

言葉の響きやリズム、歌詞の意味が、楽曲の構造そのものに関係している。

国際的な活動を行いながら、自分の言語を中心に据え続けたことは、彼女の音楽的な個性を形成する大きな要素となった。

2. アコースティックギター

初期の作品では、アコースティックギターが重要な役割を果たしている。

彼女は、ギターを単なる西洋音楽の伴奏楽器として使用したのではない。

マリの伝統楽器と並ぶ存在として配置し、旋律やリズムを構成する中心的な楽器として扱った。

3. マリの伝統楽器

ンゴニやバラフォンなどは、彼女の初期作品の音楽的な基盤を作っている。

それらの楽器は、伝統的な音楽を象徴するためだけに使用されているのではない。

現代的な作曲のなかで、それぞれの音色や演奏方法が新しい役割を与えられている。

4. エレクトリックギターとバンドサウンド

『Tchamantché』以降、エレクトリックギターやベース、ドラムなどが重要な役割を持つようになる。

この変化によって、彼女の音楽はロックの影響を受けた表現へと広がった。

ただし、ロックの形式に自分を合わせるのではなく、自分の音楽にロックの要素を取り入れるという姿勢が維持されている。

5. 他の芸術分野との協働

Kronos Quartetとの共演、Peter Sellarsとの舞台制作、Toni Morrisonとの『Desdemona』など、彼女は音楽の外側にある芸術分野とも関わってきた。

これらの活動は、彼女が音楽を一つの完成されたジャンルとして閉じ込めていなかったことを示している。

音楽的特徴の整理

要素 主な役割 関連する作品・活動
バンバラ語 言語と歌唱の個性 全作品を通じた中心的要素
アコースティックギター 作曲と旋律の基盤 Mouneïssa、Wanita
ンゴニ マリの弦楽器文化との接続 初期作品
バラフォン 伝統的な音色とリズム 初期作品
エレクトリックギター 音色と表現領域の拡張 Tchamantché、Beautiful Africa
ベース・ドラム バンドサウンドの構築 Tchamantché以降
弦楽四重奏 現代室内楽との対話 Bowmboï
舞台音楽 文学・演劇との協働 Wati、Desdemona

彼女の音楽は、一つのジャンルを中心に他の要素を加えたものではなく、異なる文化や表現方法が互いに影響し合う構造を持っている。


13. ディスコグラフィーから見る表現の変化

Rokia Traoréの6枚のスタジオアルバムを並べると、作品ごとに音楽的な重点が変化していることが分かる。

ただし、これは初期作品から後期作品へ一方向に進化したという単純な話ではない。

初期の音楽的な特徴が失われたわけではなく、新しい要素が加わることで、表現の幅が広がっていったと考える方が適切だ。

『Mouneïssa』(1998)

デビュー作。

バンバラ語による歌唱とアコースティックギターを中心に、マリの伝統楽器を組み合わせた作品。

Rokiaが目指していた現代的なマリ音楽の方向性が明確になった。

『Wanita』(2000)

セカンドアルバム。

自らの作曲とアレンジを軸に、ソングライターとしての個性を発展させた。

他の音楽家との共演も含め、作品としての幅が広がっている。

『Bowmboï』(2003)

サードアルバム。

Kronos Quartetとの協働によって、マリの音楽と西洋の現代室内楽との接点を探った作品。

2004年にはBBC Radio 3 World Music Awardsの批評家賞を受賞した。

『Tchamantché』(2008)

4枚目のアルバム。

エレクトリックギターを大きく取り入れ、ベースやドラムを含む編成へと展開。

2009年にはフランスの音楽賞やSonglines Music Awardsで評価された。

『Beautiful Africa』(2013)

5枚目のアルバム。

John Parishがプロデュースを担当。

ロックの影響をより明確に取り入れながらも、Rokia自身の音楽的な背景を維持した作品。

『Né So』(2016)

6枚目のアルバム。

家を意味するタイトルを持ち、個人的な経験やマリの社会状況とも関係する作品。

John Parishとの共同制作が続き、これまでの音楽的な経験を踏まえた表現となっている。

作品の変化を整理する

年 アルバム 音楽的な特徴
1998 Mouneïssa アコースティックギターとマリの伝統楽器
2000 Wanita ソングライティングとアレンジの発展
2003 Bowmboï Kronos Quartetとの協働
2008 Tchamantché エレクトリックギターとバンドサウンド
2013 Beautiful Africa ロックの影響とJohn Parishのプロデュース
2016 Né So 家、帰属意識、社会的経験をめぐる表現

6枚のアルバムは、伝統から現代へ進む単純な変化ではなく、自分の音楽を作るための選択肢を増やしていく過程として読むことができる。


14. Rokia Traoréが示した、アフリカ音楽の別の可能性

アフリカ音楽を一つのジャンルにしない

世界の音楽市場では、アフリカの音楽が一つの大きなカテゴリーとして扱われることがある。

しかし、アフリカ大陸には多様な言語、歴史、民族、宗教、社会構造が存在する。

その音楽も、地域や時代によって大きく異なる。

マリの音楽だけを見ても、マンデ系の音楽、ソンガイ系の音楽、トゥアレグの音楽など、異なる文化的な背景を持つ表現が存在する。

そのなかでRokiaの音楽は、マリの音楽を一つの固定された形式として提示するものではなかった。

彼女は、自分の文化的な背景を持ちながら、世界のさまざまな音楽と対話してきた。

伝統と現代性を対立させない

音楽について語るとき、伝統と現代性が対立するものとして扱われることがある。

伝統は過去のもの、現代音楽は新しいものという単純な分類だ。

しかし、Rokiaの作品を見ると、その二つは必ずしも対立していない。

マリの伝統楽器を使用しながら、現代的な作曲を行うことは可能だ。

バンバラ語で歌いながら、ロックやクラシック音楽の演奏家と協働することも可能だ。

伝統的な文化のなかに生まれた表現が、現在の社会や国際的な音楽環境のなかで新しい意味を持つこともある。

文化を説明するだけの音楽家ではない

海外で活動するアフリカ出身の音楽家には、自分の文化を外部の聴衆に説明する役割が期待されることがある。

その結果、アーティストの個人的な表現よりも、出身地域や文化的な背景が前面に出てしまうこともある。

Rokiaの活動は、そうした期待に単純には従わない。

彼女はマリの音楽文化を背景に持ちながら、同時に個人的な作曲家でもある。

文学作品に参加し、ロックの影響を受けた作品を作り、弦楽四重奏団と協働する。

それらは、アフリカの文化を説明するための活動ではなく、自分自身が関心を持つ音楽や芸術を追求する活動でもあった。

女性の音楽家としての立場

彼女のキャリアには、女性として音楽活動を続けることの難しさも関係している。

『Né So』の制作時期について語った内容では、女性のアーティスト、特にアフリカで活動する女性が、母親としての立場と音楽家としての活動を両立させる際に、社会的な偏見に直面する問題にも触れている。

この問題は、単なる個人的な事情ではない。

音楽産業のなかで、女性がどのように評価され、どのような役割を期待されるのかという構造的な問題にもつながっている。

Rokiaは、音楽を作ることだけでなく、自分の人生の選択についても向き合ってきた。

音楽家の自由とは何か

Rokia Traoréのキャリアを通して見えてくるのは、音楽家の自由が単純に好きな音を作ることだけではないということだ。

どの言語で歌うのか。

どの楽器を使うのか。

どの文化的な伝統と関係するのか。

どのような人々と協働するのか。

そして、音楽家としてどのような生活を選ぶのか。

それらの選択を、自分自身で決めることが重要になる。

彼女の音楽は、その自由を具体的な作品として表現してきた。

Rokia Traoréの重要性は、マリの伝統を海外へ紹介したことだけではない。マリの音楽家が、自分の文化を持ちながら、どこまでも自由に表現できることを示した点にある。


15. Rokia Traoréのキャリア年表

年 出来事
1974 マリのKatiで生まれる
幼少期 外交官の父とともに複数の国や地域で生活する
12歳ごろ 作詞を始め、バンバラ語による初期の楽曲を生み出す
1990年代前半 ヨーロッパでの学びを経てマリへ戻る
1995年ごろ バマコで初期の楽曲を録音。Ali Farka Touréの指導を受ける
1997 Musique Métissesに出演。RFI Découverte Afriqueの評価を受ける
1998 デビューアルバム『Mouneïssa』を発表
2000 セカンドアルバム『Wanita』を発表
2003 『Bowmboï』を発表。Kronos Quartetと協働
2004 『Bowmboï』がBBC Radio 3 World Music Awardsの批評家賞を受賞
2006 Peter SellarsのNew Crowned Hopeプロジェクトに参加し、『Wati』を制作
2008 4枚目のアルバム『Tchamantché』を発表
2009 『Tchamantché』がフランスの音楽賞で評価される。Songlines Music AwardsでもArtist of the Yearを受賞。同年バマコへ戻り、Fondation Passerelleを設立
2010年代初頭 Toni Morrison、Peter Sellarsとの舞台作品『Desdemona』に参加
2013 5枚目のアルバム『Beautiful Africa』を発表。John Parishがプロデュースを担当
2015 カンヌ国際映画祭のコンペティション部門審査員を務める
2016 6枚目のアルバム『Né So』をNonesuch Recordsから発表

キャリアの流れ

flowchart TD A["1974 — Katiで誕生"] --> B["外交官の父と各地で生活"] B --> C["12歳ごろから作詞"] C --> D["1990年代 — マリへ戻る"] D --> E["Ali Farka Touréとの初期録音"] E --> F["1997 — 国際的な注目"] F --> G["1998 — Mouneïssa"] G --> H["2000 — Wanita"] H --> I["2003 — Bowmboï"] I --> J["2008 — Tchamantché"] J --> K["2013 — Beautiful Africa"] K --> L["2016 — Né So"] L --> M["音楽・舞台・文化活動の展開"]

音楽的な発展の構造

flowchart TD A["マリの音楽文化"] --> D["Rokia Traoréの作曲"] B["バンバラ語と歌唱"] --> D C["アコースティックギター"] --> D E["ンゴニ・バラフォン"] --> D F["ジャズ・クラシック・ロック"] --> G["音楽的な対話"] D --> G G --> H["Bowmboï — 弦楽四重奏との協働"] G --> I["Tchamantché — エレクトリックギター"] I --> J["Beautiful Africa — ロックの再解釈"] H --> K["ジャンルを越える表現"] J --> K K --> L["Né So — 個人と社会をめぐる表現"]

主要作品と協働の関係

flowchart TD A["Rokia Traoré"] --> B["Mouneïssa"] A --> C["Wanita"] A --> D["Bowmboï"] A --> E["Tchamantché"] A --> F["Beautiful Africa"] A --> G["Né So"] D --> H["Kronos Quartet"] E --> I["Gretsch Electric Guitar"] F --> J["John Parish"] G --> J A --> K["Wati"] K --> L["Peter Sellars"] A --> M["Desdemona"] M --> N["Toni Morrison"] M --> L

16. なぜ今、Rokia Traoréを聴く必要があるのか

Rokia Traoréの音楽を、アフリカ音楽の歴史のなかの一つの成功例としてだけ捉えると、その本当の面白さを見落としてしまう。

彼女のキャリアには、現代の音楽文化を考えるうえで重要な問題がいくつも含まれている。

一つ目は、文化的な出自と創作の自由の関係だ。

ある文化に生まれたからといって、その文化の決まった形式だけを演奏しなければならないわけではない。

Rokiaは、マリの文化を自分の表現の基盤にしながら、クラシック、ロック、ジャズ、演劇など、異なる分野へ活動を広げてきた。

二つ目は、音楽家の役割についての問題だ。

音楽家は、伝統を保存する人なのか。

それとも、新しい音楽を作る人なのか。

Rokiaの作品を見ると、この二つの役割は対立するものではないことが分かる。

伝統的な音楽の要素を理解しながら、新しい表現を作ることは可能なのだ。

三つ目は、音楽と社会の関係である。

『Né So』に見られるように、音楽は個人の生活や社会的な状況から切り離されているわけではない。

故郷、家族、戦争、移動、女性としての立場。

これらの経験は、彼女が音楽を続ける理由や、作品の方向性に影響を与えている。

そして四つ目は、ジャンルという分類の限界だ。

Rokiaの作品は、マリの伝統音楽、フォーク、ロック、ワールドミュージックなど、さまざまな言葉で説明することができる。

しかし、そのどれか一つだけでは、彼女の音楽を十分に説明できない。

彼女は、特定のジャンルの代表者になることよりも、自分自身の音楽を作ることを優先してきた。

伝統は完成されたものではない

伝統という言葉には、変わらないものというイメージがある。

しかし、実際の文化は、人々の生活とともに変化する。

新しい楽器が登場し、別の地域の音楽が伝わり、異なる世代の演奏家が新しい表現を生み出す。

その過程で、文化は過去の要素を残しながら新しい形を獲得していく。

Rokiaの音楽は、その変化を具体的に示している。

彼女は、マリの音楽を過去の遺産として扱うのではなく、自分が生きている現在の音楽として表現してきた。

音楽家になる資格を自分で決める

グリオの家系に生まれなかった彼女が音楽家として活動を始めたことは、文化的な役割と個人の選択について考えるきっかけになる。

伝統的な役割や社会構造には、長い歴史がある。

それを理解することは重要だ。

しかし、文化の歴史を尊重することと、個人の表現を制限することは同じではない。

Rokiaは、特定の家系やジャンルに自分の可能性を限定しなかった。

その結果、マリの音楽文化に根ざしながら、世界のさまざまな芸術分野と関係する独自のキャリアを築いた。

自分の文化を持ったまま世界へ出る

国際的な音楽活動を行うために、出身地の文化を薄める必要はない。

英語で歌わなくても、海外の聴衆に届く音楽は作れる。

西洋の音楽ジャンルをそのまま再現しなくても、国際的な音楽家と協働できる。

自分の文化を説明するためだけに音楽を作らなくても、その文化を背景に持つ作品は世界に届く。

Rokia Traoréのキャリアは、こうした可能性を示している。

彼女の音楽が問いかけているのは、アフリカの音楽がどこまで世界に通用するかではない。自分の文化を持つ人間が、どこまで自由に音楽を作ることができるのかという問題なのだ。


Conclusion — The Right to Create Beyond Tradition

Rokia Traoréのキャリアを振り返ると、一つの共通した姿勢が見えてくる。

それは、自分が何者であるかを、他人が用意したカテゴリーだけで決めないということだ。

マリで生まれ、外交官の父とともに世界を移動し、さまざまな音楽を聴いて育った。

グリオの家系ではなかったが、音楽家になることを選んだ。

バンバラ語で歌いながら、アコースティックギターを演奏し、ンゴニやバラフォンを取り入れた。

その後、Kronos Quartetと協働し、エレクトリックギターを導入し、John Parishとロックの影響を取り入れた作品を制作した。

さらに、Peter SellarsやToni Morrisonとともに、音楽と演劇、文学の境界を越える活動にも取り組んだ。

これらの活動を一つの言葉でまとめることは難しい。

しかし、彼女の音楽を通して見えてくるものは明確だ。

文化的なルーツは、表現の限界ではない。

伝統は、過去の形式をそのまま繰り返すことだけではない。

そして、音楽家の役割は、既存のジャンルを代表することだけでもない。

Rokia Traoréは、マリの文化を背景に持ちながら、自分自身の音楽を作り続けてきた。

彼女の作品が示すのは、伝統と現代性のどちらかを選ぶ必要はないということだ。

両方を理解し、必要なものを選び、新しい表現を作ることができる。

それは、マリの音楽だけに関係する話ではない。

世界中のあらゆる音楽文化に共通する問題でもある。

伝統を受け継ぐことと、伝統に従うことは同じではない。

Rokia Traoréの音楽は、文化を守るために表現を止めるのではなく、表現を続けることによって文化が生き続ける可能性を示している。


Monumental Movement Records

Monumental Movement Records