序章:Morton Subotnick とは何者か
文:mmr|テーマ:電子音楽の革新者が切り拓いた“コントローラブルな未来”について
Morton Subotnick(1933– )は、アメリカの現代音楽家、電子音楽作曲家であり、世界で初めてシンセサイザーのみで制作された商業レコード「Silver Apples of the Moon」(1967) を発表した人物として広く知られている。 この作品はクラシック専門レーベルである Nonesuch Records からリリースされ、当時としては前例のない形で電子音を“作品”として提示した点で画期的であった。
Subotnick の革新は単に電子音楽の作曲にとどまらず、Buchla の西海岸系シンセサイザー開発におけるキーパーソンとしても重要であり、現代のモジュラーシンセ文化まで連なる長期的な影響を持っている。
1. 幼少期と音楽教育
Morton Subotnick は 1933 年、ロサンゼルスに生まれた。 幼い頃からクラリネットを学び、10代で既に地域オーケストラで演奏するなど、高度な音楽教育を受けていた。 後に軍に入隊し、そこでの演奏経験を通じて音楽への専門的な姿勢を強めていく。
退役後、Subotnick はロサンゼルス音楽センターやダンサーとのコラボレーションを通して“新しい表現形式”への興味を強め、1950年代後半から前衛音楽へ傾斜していった。
2. 1950–60年代:The San Francisco Tape Music Center と電子音楽の胎動
Subotnick にとって転機となったのが、Pauline Oliveros、Ramon Sender らと共に設立した San Francisco Tape Music Center(1962) である。
この施設は、アメリカ西海岸の電子音楽の基礎研究の場であり、ライブ・パフォーマンス、テープ音楽、メディアアートの実験が常に行われていた。
● テープミュージックと即興
当時の Subotnick は、ミュージック・コンクレートやテープ編集技術を駆使しながら、電子音の構造化と“演奏可能性”の問題を探求していた。
● Don Buchla との出会い
Tape Music Center の仲間たちは、電子音響をもっと“演奏できるもの”へ変えるため、新たな楽器の必要性を認識し、技術者 Don Buchla に開発を依頼する。 この共同作業の中で誕生したのが Buchla Series 100、後の “West Coast Synthesis” の原点である。
3. West Coast Synthesis の誕生:Buchla と Subotnick の思想
Subotnick と Buchla の協働が生み出した最大の発明は、東海岸の Moog システムとは異なるアプローチを持つ電子楽器の方向性であった。
● 「鍵盤を捨てる」という思想
Subotnick は従来の音階や和声から離れた コントロール信号による“音の彫刻” を求めていた。 それに応える形で Buchla はキーボードを搭載せず、タッチ式のコントローラやランダム電圧源を搭載した。
● 音色とコントロールの優位
モジュレーションと複合的なコントロールが音楽構造を決定するという思想は、現代のモジュラーシンセ文化にそのまま受け継がれている。
4. 「Silver Apples of the Moon」(1967):電子音楽史を変えた作品
Subotnick の代表作かつ電子音楽史の象徴的作品が 『Silver Apples of the Moon』 である。
作品の特徴
- 全編が Buchla 100 による電子音のみで構成
- 当時としては珍しいリズミカルな要素を含む構造
- 商業レーベルから発売された初の電子音楽作品のひとつ
- 舞台芸術・マルチメディアと接続可能な作曲スタイル
この作品はアート作品として高く評価されただけでなく、電子音楽を“鑑賞対象となる商品”として成立させた最初期の事例でもあった。
5. 1970年代:ライブ・エレクトロニクスと教育活動
Subotnick は 1970 年代以降、電子音をリアルタイムに操作するライブ・パフォーマンスに重点を置いた。 特に「Ghost Electronics」と呼ばれる独自のシステムは、演奏者の音を外部処理し、複雑なモジュレーションを加える仕組みである。
● Ghost Electronics システムの基本的発想
- 演奏者の音 → 外部プロセッサへ送る
- フィードバックや制御電圧によって変調
- 生演奏と電子処理が不可分の一体表現になる
このシステムは多くの作品に使用され、クラシック演奏家と電子音楽を結びつける重要な役割を果たした。
6. メディアアート、子ども向け音楽教育ソフトへの応用
1980 年代以降、Subotnick は音響とインターフェイスの関係に関心を持ち、コンピュータを利用したインタラクティブな音楽教材づくりに取り組んだ。 代表的なプロジェクトに 「Making Music」シリーズ(1980年代) がある。 これは子どもが操作しながら音と構造を学べるソフトウェアで、アメリカの教育現場で広く使用された。
7. 90年代以降:電子音楽の長期的影響とモジュラー文化の再興
21世紀に入り、モジュラーシンセの再評価が進むと、Subotnick の作品と思想は再び注目を集める。 特に West Coast 系モジュラー(複雑発振器、関数ジェネレーター、ランダム電圧など)の普及に伴い、Subotnick を“祖”として位置づける動きが強まった。
8. 主要作品と特徴分析
下記は Subotnick の主要作品の構造的観点からの要点である。
● Silver Apples of the Moon(1967)
- Buchla 100 のための作品
- 電圧制御によるリズム的構造
- 電子音のレイヤー構成が特徴
● The Wild Bull(1968)
- 電子音のみで構築
- 操作性と音響構造のバランスを探る作品
● Sidewinder(1971)
- ライブ処理を重視
- 電子音の持続と変形が焦点
● Until Spring(1975)
- 季節の変化を構造化した電子音作品
- Buchla システムの操作記録を元に制作
9. Morton Subotnick 年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1933 | ロサンゼルスに生まれる |
| 1950年代 | クラリネット奏者として活動、前衛音楽へ関心を深める |
| 1962 | San Francisco Tape Music Center を Oliveros、Sender らと共に設立 |
| 1963–65 | Don Buchla とともに Buchla Series 100 の開発に関与 |
| 1967 | 『Silver Apples of the Moon』発表 |
| 1968 | 『The Wild Bull』発表 |
| 1970年代 | Ghost Electronics システムを利用した作品シリーズ |
| 1980年代 | 子ども向け音楽教育ソフト「Making Music」シリーズ制作 |
| 1990–2000年代 | 作品の再評価が進む |
| 2010年代以降 | 世界各地で回顧コンサート、ドキュメンタリー制作が進む |
10. Subotnick の思想:電子音楽における“演奏”とは何か
Morton Subotnick が一貫して追求してきた中心概念は以下である:
- 電子音は単なる素材ではなく、構造そのものになり得る
- コントロール電圧は作曲の“筆跡”である
- 演奏と作曲の境界が電子音楽には存在しない
- インターフェイスは創造性の条件を規定する
Subotnick の考え方は、今日の Eurorack モジュラー文化において当たり前となっている設計思想(複雑発振器、ランダム、ウェーブフォルダ等)の基礎となっている。
11. Subotnick の影響:現代への連接
影響の領域
- モジュラーシンセの設計思想
- ライブ・エレクトロニクスの構造
- コンピュータ音楽の教育
- メディアアートのインタラクションデザイン
- IDM/実験音楽/サウンドアートへの連鎖的影響
結語:Subotnick の功績は何を遺したのか
Morton Subotnick の功績は、電子音楽の枠組みそのものを刷新した点にある。 彼は電子音を“音色の操作”から“構造の生成”へ引き上げ、Buchla と共に創り出したシステムは、今日のモジュラーシンセ文化の土台となっている。
“電子音楽は未来のクラシックとなり得る” この言葉を Subotnick 自身が発したわけではないが、その活動の軌跡はまさにそれを示している。
電子音楽の歴史を語るとき、Morton Subotnick の名前は必ず最初の段階で現れる。 そしてその影響は、半世紀以上経った現在も衰えるどころか、むしろ拡大し続けている。