概要
文:mmr|テーマ:Glitchcore / Hyper-Glitch の成立過程、音響技法、文化的背景、代表的アーティスト、2020年代の発展、そして今後の展望について
Glitchcore(グリッチコア)および Hyper-Glitch(ハイパーグリッチ)は、2010年代後半以降のインターネット発生型ポップ/エレクトロニック音楽の中でも、とりわけ「破損」「断片」「過負荷」を美学の中心に据えた潮流である。 クリック、ノイズ、デジタル歪み、ピッチシフト、ボーカロイド的処理、急速すぎる曲展開、異様なテンポ変動──これらを高度にポップな文脈で融合させ、「過剰と崩壊のバランス」を表現しようとした点が最大の特徴と言える。
SOPHIE、A. G. Cook、100 gecs などの活動は、こうした「壊れたポップ」を国際的なレベルに押し上げ、多くのアーティストが DAW やサンプルパックを通じて「自室から世界的な音楽言語を作れる」ことを証明した。
1. 起源と背景
1-1 デジタル故障音の音楽化という前史
グリッチの発想自体は 1990年代後半のエレクトロニカ(Oval、Alva Noto、Ryoji Ikeda など)が提示した美学に遡る。CD の読み取りエラーやデジタル信号の誤作動を音楽素材として扱い、「故障の美学(Aesthetics of Failure)」を積極的に引用した。
この時代のグリッチは実験音楽寄りで、リズムよりもテクスチャ、空間、構造が重視された。一方、のちの Glitchcore は 大衆向けポップやインターネット文化と強く結びついた点 が決定的に異なる。
1-2 インターネット生態圏と過負荷の美学
2010年代後半、TikTok・SoundCloud・Discord・Bandcamp・YouTube の相互接続が、一人で制作・配信を行うアーティストを強烈に後押しした。スマートフォンによる即時消費・高速編集文化が普及するにつれ、リスナーは「断片」「短尺」「過剰」「爆速変化」に慣れていった。
この環境は、音楽にも「速度」「破壊」「情報量の増殖」を求める土壌となり、結果として Glitchcore が自然発生したと言える。
1-3 PC Music の革新
SOPHIE、A. G. Cook、GFOTY らが属していた PC Music(ロンドン発)は、2010年代前半からすでに「ハイパー・ポップ」(後に Hyperpop として語られる)を提示していた。極端なピッチ処理、人工的なテクスチャ、プラスチック的で非現実的なサウンドデザインは、Glitchcore に直接的影響を与えた。
SOPHIE の鋭角的なサウンド、シンセの物質感、破壊音とポップメロディの同居は Glitchcore の制作手法そのものの基礎となった。
2. Glitchcore / Hyper-Glitch の特徴
2-1 高速テンポと断片化
Glitchcore の BPM は固定されず、100〜180 BPM と広い範囲を行き来することが多い。さらに、曲の途中で BPM が急変したり、1曲のなかで複数ジャンルがめまぐるしく切り替わる構成が見られる。
特徴的な要素:
- 極端なテンポ変化
- 曲の途中で「突然別曲」へ移行するような編集
- 短いサビや断片的なメロディ
- TikTok 向けの 15〜30秒の強烈なフック重視
2-2 声の加工:ピッチシフト、フォルマント操作、加速・倍速
音声処理は Glitchcore の中核であり、人間的な歌声よりも、「デジタル的に歪んだ声」「不自然に速い声」が優勢である。
代表的処理:
- Extreme Auto-Tune
- ピッチの上下を高速で揺らす
- 倍速処理(sped-up)
- フォルマント操作によるキャラクター感付加
- ボカロ音源の混合使用
100 gecs のように「多重レイヤーの声を一斉に鳴らす」手法は Hyper-Glitch の象徴とされる。
2-3 歪み・破壊・クリッピングを前提としたミックス
通常の音楽制作では避けられるクリッピングや音割れを、Glitchcore では積極的に使う。音楽というより「画面が破裂するような体験」を与えることを目的とする場面も多い。
- ビットクラッシャー
- ハードクリップ
- デジタルディストーション
- ストッター(音を高速で刻む)
- グリッチ系プラグイン(Glitch2、Fracture など)
2-4 ポップ構造の再解釈
破壊的な音響にもかかわらず、メロディはしばしば「非常にポップ」で覚えやすい。ここが Glitchcore の本質であり、単なるノイズ音楽ではなく、「ポップの器に過負荷のエフェクトを流し込んだジャンル」である。
3. 代表的アーティスト
3-1 SOPHIE
SOPHIE は Hyper-Glitch の美学形成に強烈な影響力を持つ。独自のサウンドデザイン、破碎的打撃音、未来的なテクスチャは、後続の Glitchcore アーティストが模倣し、発展させた。
代表的特徴:
- プラスチックのような固い質感
- 超高域の金属音
- 立体感のある音像
- メロディの明瞭さと破壊音の同居
3-2 100 gecs
100 gecs(Laura Les & Dylan Brady)は Glitchcore の象徴的存在。エモ、スカ、メタル、トラップ、Bubblegum Pop を狂乱状態で混ぜ込み、「ジャンル崩壊」をポップ化した。
特徴:
- 過剰な Auto-Tune
- ハイスピードな編集
- ローファイとハイファイの混在
- メタルギター的歪みとポップメロディの併存
- ミーム文化と音楽の結合
3-3 Dylan Brady ソロ作品
Dylan Brady のソロ作品はさらにトラップ寄りで、超低域のベースと極端なクリッピングを組み合わせることで Hyper-Glitch のより攻撃的側面を広げた。
3-4 Laura Les(ソロ名義)
Laura Les の声は Glitchcore の「高ピッチ声の象徴」となり、sped-up 系の音楽文化にも影響した。
3-5 その他の重要アーティスト
- osquinn / p4rkr
- glaive
- Ericdoa
- underscores
- blackwinterwells
これらは SoundCloud を中心に急速に注目され、「10代の音楽発信者が世界的シーンをつくる」という現象を証明した。
4. 制作技法
4-1 素材の切断と再構築
Glitchcore の制作は、DAW 上で音を細かく切り刻み、時間軸を破綻させながら再接続していく作業が中心となる。
手法例:
- 数ミリ秒単位でサンプルを分割
- ノイズ断片をランダム配置
- トランジェントを意図的に破壊
- リバース、タイムストレッチの多用
4-2 「過負荷のミックス」としての美学
Hyper-Glitch の場合、ミックスは「整える」ものではなく「破壊しながら構築する」ものになる。
ポイント:
- ステムの同時発火
- 高密度レイヤーの重ね合わせ
- 低域の盛りすぎ
- 音圧リミッターの極端な使用
4-3 視覚文化との結びつき
音の「過負荷」はビジュアル面でも反映される。 MV・アートワークは以下のような特徴がある。
- サイバー的・蛍光色・飽和した色彩
- ノイズテクスチャ
- キャラクター・アバター文化
- ミーム画像の高速編集
- 低解像度グラフィックの再利用
5. 年代史(年表)
6. Glitchcore の文化的背景
6-1 Z世代の時間感覚と「高速化社会」
インターネットネイティブ世代は、コンテンツを秒単位で消費し、複数の画面・アプリ・タブを同時に扱う。Glitchcore の断片性とスピード感は、この時間感覚と自然に一致している。
6-2 自己表現としての「破壊」
Glitchcore の破壊音・歪み・混乱は、しばしば感情表現や個人のアイデンティティにも結び付く。 osquinn や glaive の作品には、繊細さや孤独感が「壊れた音」として提示される。
6-3 サブカルチャー、アニメ、ネットミーム
アニメ調の表現、ボーカロイド文化、インターネットミーム、ゲーム音などが積極的に引用される点も大きな特徴である。
7. 作品分析
7-1 100 gecs の編集構造
- 圧倒的速度でジャンルが切り替わる
- サビで急にメロディが可愛くなる
- ミックスが「冗談か本気かわからない」レベルで限界まで攻める
- しかしキャッチーさを失わない
7-2 SOPHIE のテクスチャ研究
- 固い、弾力のある音像
- 金属音と電子音を融合
- 「物質性」を持つ電子音
- 音がフィジカルに感じられるほどの立体感
7-3 SoundCloud派の個性
osquinn や glaive はエモ的なコード進行、ギターテイスト、軽やかなボーカルを Glitchcore に持ち込んだ。これは Hyperpop の「尖り」に対し、より内向的でメロディックな方向性を示す。
8. 地域性:アメリカ・UK・オンライン共同体
Glitchcore は国境的な地域性よりも、Discord・SoundCloud などの「オンライン共同体」で形成された点が非常に重要である。
アメリカの 100 gecs や glaive、UKの PC Music 勢が互いに影響し合い、国境という概念が希薄化したジャンルと言える。
9. 2020年代中盤の動向
9-1 sped-up(倍速)文化との融合
TikTok で普及した sped-up 版楽曲は Glitchcore と親和性が高く、2020年代中盤には双方の技法が自然に混ざり合った。
9-2 AIボーカルと Glitchcore の接近
AI による歌声合成、キャラクターボイス生成は、Glitchcore の「非人間的な声」の延長線にある。 AI声のピッチ揺れや不自然さは美学的に受容されている。
9-3 視覚プラットフォームの役割
短尺動画編集アプリが、音楽そのものの構造にも影響を与えている。
- 一瞬で印象を与える必要
- 時間軸の高速編集
- 断片を組み合わせる表現法
これらは Glitchcore の技法と完全に一致する。
10. 将来の展望
10-1 さらに加速する断片化
音楽が短尺化し、アルバム単位よりも断片単位で流通する傾向が強まるにつれ、Glitchcore 的発想はより広範囲に浸透すると考えられる。
10-2 「壊れたポップ」は標準化するか?
Hyper-Glitch のような破壊的処理は、すでにメインストリームのポップでも一部採用され始めている。今後はジャンルとしての境界よりも、「制作アイデアとしてのグリッチ」が標準的なツールになる可能性が高い。
10-3 AI時代の不可逆変化
AIは「大量の断片」「高速生成」「異常値的編集」を容易にしており、Glitchcore が理想としてきた「過負荷の音」を技術的にさらに推し進めるだろう。
11. まとめ
Glitchcore / Hyper-Glitch は、単なるノイズ系ジャンルではなく 「破壊の中にポップを宿す」革新的な音楽潮流 である。
- PC Music の革新
- 100 gecs によるジャンル突破
- TikTok・SoundCloud 発の加速文化
- sped-up、AIボイスとの融合
これらが連鎖し、2020年代の音楽文化を特徴づけている。 デジタル社会の速度、断片化、混乱、過負荷を最もダイレクトに体現するジャンルの一つと言えるだろう。