Ethio-Jazz(エチオピアン・ジャズ)はいかにして誕生したのか
文:mmr|テーマ:Ethio-Jazz の成り立ち、技法、歴史的背景、名盤、そして今日への影響について
アフリカ音楽史の中でも特異な存在として位置づけられる音楽ジャンル——Ethio-Jazz。 その象徴的存在が ムラトゥ・アスタトゥケ(Mulatu Astatke) である。
彼はエチオピアの伝統音階、黄金時代の音楽文化、西洋ジャズ教育、ラテン音楽、モダンなアレンジ技法を融合し、1960年代に独自のスタイルを確立した。
# 1. エチオピア音楽の基層:5音階(キネット)と独自の旋法文化
エチオピア正教の聖歌(ザーラ)、地方の吟遊詩人アズマリ文化、首都アディスアベバの都市音楽など、エチオピアには古くから多層的な音楽文化が存在していた。
特に有名なのが、エチオピア独自の「キネット(qenet)」という旋法体系である。 代表的なキネットは以下の4つ。
- Tizita(ティジタ):哀愁を帯びた旋法で、Ethio-Jazz の中心となるモード
- Bati(バティ)
- Ambassel(アンバッセル)
- Anchihoye(アンチホイエ)
これらは西洋のメジャー/マイナーとは異なる特有の音階運動を持ち、 後にムラトゥがジャズと融合させる重要な基盤となった。
# 2. 1950–60年代:ムラトゥ・アスタトゥケの海外修学と音楽的形成
ムラトゥ・アスタトゥケ(1943–)はエチオピアのジンマ出身。 若くして海外留学の道を選び、まずイギリスへ渡航し、当時のジャズやラテン音楽に触れる。 その後、アメリカへ移り、バークリー音楽大学でジャズとアレンジを学んだ最初期のアフリカ人学生の一人となる。
▼ 音楽的形成の要素
- エチオピアの伝統旋法
- ジャズ理論(特にモーダルジャズ)
- ラテン音楽のリズム
- アメリカのソウル/R&B
- ビブラフォンやコンガといった多彩な楽器経験
これらが、後の「Ethio-Jazz」という独自ジャンルを生む下地となった。
# 3. 1960年代後半:Ethio-Jazz の誕生
ムラトゥは自身の音楽を “Ethio-Jazz” と呼び始めた最初の人物として知られている。 彼は1960年代後半、エチオピアの音階(キネット)とジャズの即興・アレンジ手法を融合し、エチオピアの伝統音楽をモダン化する試みを進めた。
代表的な初期作品としては、
- 《Afro-Latin Soul(1966–67)》シリーズ
- 《Mulatu of Ethiopia(1972)》
などが挙げられる。
# 4. 黄金時代(1960–70年代):アディスアベバの都市文化と音楽産業
1960〜70年代、エチオピアは都市化と国際交流が進み、アディスアベバではクラブ、ホテル、軍楽隊出身のプレイヤーなどを中心とする音楽シーンが活性化した。
主な特徴:
- ビッグバンド編成のジャズ・オーケストラ
- 皇帝ハイレ・セラシエ時代の文化支援
- 数多くの歌手が登場し、録音産業が盛んに
- エチオピア軍楽隊(Imperial Bodyguard Band)などの演奏力向上
この時代の中心レーベルが Amha Records や Kaifa Records であり、 後に「Éthiopiques」シリーズとして世界的に再評価される音源の多くがこの時期に録られた。
Ethio-Jazz 音楽構造図
キネット(Tizita など)"] --> F["Ethio-Jazz"] B["ジャズ理論/モーダル"] --> F C["ラテン音楽リズム"] --> F D["ソウル/R&B"] --> F E["アディスの都市文化/録音産業"] --> F
# 5. 1970年代:社会変動と音楽シーンの衰退
1974年のエチオピア革命以降、政治状況の変化によりクラブ文化は停滞し、多くのミュージシャンが国外へ移った。録音環境も制限され、Ethio-Jazz は徐々に地下化していく。
しかしムラトゥ自身はその後も海外で活動を続け、断続的な録音を残した。
# 6. 1990年代後半:Éthiopiques シリーズによる国際的再評価
1997年より始まった 「Éthiopiques」シリーズ(Buda Musique) は、 エチオピア黄金時代の音源を世界に紹介した大規模アーカイブ企画である。
ムラトゥの作品、エチオピアのシンガー(Mahmoud Ahmed、Tilahun Gessesse 等)、 軍楽隊音源などが再発され、世界的な Ethio-Jazz 再評価のきっかけとなった。
# 7. 2000年代:映画『ブロークン・フラワーズ』と再ブレイク
2005年、ジム・ジャームッシュ監督の映画 『Broken Flowers』 の劇中音楽として ムラトゥの曲が多数使用され、大きな注目を集めた。
この出来事以降、ヨーロッパや北米のアーティストとのコラボレーションが増え、 Ethio-Jazz は再び国際的な音楽ジャンルとして認識されるようになる。
# 8. 音楽理論:Ethio-Jazz のサウンドを構成する技法
ここでは事実に基づいたサウンド構造を整理する。
■ 8.1 旋法(モード)
代表例:
- Tizita minor(哀愁モード/Ethio-Jazzの象徴)
- Ambassel, Bati major/minor など
西洋のドリアンやミクソリディアンと似ているが、 特有の半音進行や旋法転換がある。
■ 8.2 リズム
- 6/8 系
- ラテン的シンコペーション
- 軍楽隊由来のマーチ要素
- アムハラ地方のダンスリズム
■ 8.3 編成
- ビブラフォン(ムラトゥのシグネチャー)
- ホーン・セクション(トランペット、テナーサックス)
- コンガ/ボンゴ
- エレキベース
- オルガン/エレピ(特にFarfisaやRhodes)
▼ Mermaid:Ethio-Jazz 編成フロー
# 9. 主要アーティスト紹介
■ Mulatu Astatke
Ethio-Jazz の創始者。1960年代後半〜70年代に代表作を発表。 ビブラフォン奏者、作編曲家として世界的に認知され、近年はハーバード大学などで音楽研究にも関与。
■ Mahmoud Ahmed
1960~70年代のアディスアベバを代表する歌手。 Éthiopiques シリーズで国際的に再評価される。
■ Tilahun Gessesse
「エチオピア音楽の王」と呼ばれた歌手。軍楽隊出身で高い歌唱技術を持つ。
■ Hailu Mergia
アコーディオン、オルガン奏者。1970年代に Walias Band と共に活動し、 後にワシントンD.C.で再発見されて世界ツアーを行う。
# 10. 名盤ガイド
- Mulatu of Ethiopia(1972) / Mulatu Astatke
- Éthiopiques Vol. 4: Ethio Jazz & Musique Instrumentale
- Hailu Mergia & the Walias Band – Tche Belew(1977)
- Alemayehu Eshete – Éthiopiques Vol. 22
# 11. Ethio-Jazz が世界へ与えた影響
■ ジャズ/ファンク/ヒップホップ
- ジャズのモード解釈の拡張
- ヒップホップのサンプリング素材として頻繁に使用
- アフロビート/アフロフュージョンへの影響
■ 映画音楽
『Broken Flowers』以降、映画・TV での使用が増加。
■ ヨーロッパの新世代バンド
- The Heliocentrics
- Black Flower(ベルギー) などが Ethio-Jazz を参照した音楽を展開。
# 12. 年表
# 13. 現代 Ethio-Jazz の継承と未来
現在、Ethio-Jazz は
- ヨーロッパの先鋭ジャズ
- アフロフューチャリズム
- グローバル・ビート
- ローファイ/ビートミュージック文化
などと交わり、新たな広がりを見せている。
ムラトゥ本人も音楽研究・教育活動を継続し、 伝統音階とモダン音楽を架橋する取り組みは今なお進行している。
# 14. まとめ:Ethio-Jazz が残したもの
Ethio-Jazz は単なる「民族音楽+ジャズ」ではない。 エチオピア音楽の深い歴史、西洋ジャズ教育、都市文化、政治的変動、国際的再評価 ——それらすべてが交差して生まれた複合的な音楽現象である。
そしてその中心にあるのが、ムラトゥ・アスタトゥケの革新的ビジョンであった。