【コラム】 Chillstep / Liquid Dubstep

Column Chillstep Dubstep Liquid
【コラム】 Chillstep / Liquid Dubstep

序章 静けさに沈む低音:Chillstep / Liquid Dubstep とは何か

文:mmr|テーマ:静寂と低音のあいだに生まれた「感情のダブステップ」について

Chillstep(チルステップ)および Liquid Dubstep(リキッド・ダブステップ)は、2010年前後からインターネット上で急速に形を持ち始めた、ダブステップのメロディアスでアンビエントな側面を強調した派生ジャンルである。伝統的なダブステップが持つ攻撃的なワブルベース、荒々しいフィルター変調、ブロステップ以降の金属的リードとは異なり、Chillstep では「静かさ・透明感・輪郭の柔らかい低域」が前面に出る。

背景には以下のような流れがある。

  • 2000年代後半:UK ダブステップの深化(Skream、Benga、Digital Mystikz)
  • 2008–2010:メロディックなアプローチの台頭(Mt. Eden など)
  • 2010年代:YouTube による “Chillstep Compilation” の拡散
  • Blackmill、MitiS などのアーティストがメロディ特化型のスタイルを確立

結果として生まれたのは、アンビエント、トランス、ドラムンベースのリキッド要素を吸収した「感情表現としてのダブステップ」であり、EDM とローファイ、美しい映像編集文化とも深く結びつくジャンルへと成長した。


1. ルーツと成立:2000年代後半〜2010年代初頭

1-1 ダブステップの変遷とメロディ化

ダブステップは当初ロンドンのアンダーグラウンドに根ざし、重量級のサブベースと倚音感の強いスネアが特徴だった。しかし2008〜2010年にかけて、YouTube・SoundCloud と共にメロディアスなアプローチを持つトラックが拡散される。

特徴としては以下のようなものがある。

  • ベースのワブル幅を狭め、柔らかくモジュレーション
  • ピアノ・ストリングス・パッドの比率増加
  • サイドチェインを極端に深くせず、呼吸するようなダイナミクスを付与
  • ドロップよりも“ビルド〜メロディ”を中心に据える

Mt. Eden の影響などは大きいが、ジャンルとしての名称「Chillstep」はネット文化の中で自然発生した。


2. ジャンル特性:Chillstep / Liquid Dubstep の音響構造

ここでは、制作工程レベルで特徴を整理する。

2-1 BPM・構造

  • BPMは 140前後(ダブステップ基準)が最も一般的
  • ハーフタイムドラム(スネア2拍目)
  • ドロップは存在するが、攻撃性より「余白」を活かす

2-2 ベースデザイン

Chillstep の象徴は「滑らかなサブベース」である。

  • サイン波中心
  • わずかな歪み(soft clipping)で暖かさを調整
  • 軽いLFO(1/4、1/8 など)で呼吸するような揺らぎを演出
  • 過剰にフィルター・モジュレーションを行わず、音量変化で感情をつける

2-3 メロディとシンセ設計

  • リード:柔らかいソー波、またはアナログエミュレーション
  • パッド:広めのステレオ、倍音を抑えた高密度テクスチャ
  • ピアノ:残響の長いプリデレイ少なめのリバーブ
  • ストリングス:レガートを強め、トップラインを滑らかに接続

感情のピークはドロップではなくメロディの伸びに置かれる点が重要。

2-4 エフェクト

  • リバーブ:大きめ、ただしハイカットを強めに入れる
  • ディレイ:1/4、1/8 dotted の柔らかい反射
  • サイドチェイン:ドラムとパッドの距離を作る
  • ノイズレイヤー:風、雨、アナログヒスなどのアンビエンス

2-5 Liquid Dubstep との違い

Liquid Dubstep は Liquid Drum’n’Bass の感触を受け継ぎ、より「透明・水的」質感が強い。

  • ハイエンドを明瞭に残し、きらめく印象
  • ボーカルチョップの比率が高い
  • ベースはより滑らかで、揺らぎが少ない
  • 気泡のようなワンショットFXを使用することが多い

Chillstep が「夜の静けさ」なら、Liquid Dubstep は「水中の光」のような響きである。


3. Blackmill と MitiS:ジャンルの確立者

3-1 Blackmill — チルステップの象徴

Blackmill はメロディック・ダブステップの代表的存在であり、YouTubeによる拡散と共に国際的評価を得た。特徴は以下。

  • リリカルでエモーショナルなメロディ
  • きわめてクリーンなサブベース
  • トランス的アルペジオ
  • ストリングスの丁寧なレイヤー
  • ドロップも攻撃せず「包むように広がる」

Blackmill の作風は Chillstep の雛形となり、多くのフォロワーを生んだ。

Blackmill 風の制作工程

  1. ピアノでコードプロgressionを作る(シンプルな I–V–vi–IV 型など)
  2. ストリングスを重ね、アタックを遅めに設定
  3. 高域リードをアナログ風ソフトシンセで生成
  4. サブベースをサイン波で作り、1/4のLFOで軽く揺らす
  5. ドラムは控えめ、キックは深く短い
  6. パッドとリードに大きなリバーブ
  7. 風のようなホワイトノイズFXを背景に置く

3-2 MitiS — ピアニスト的感性とエモーショナルな構築

MitiS はクラシックピアノの素養をバックグラウンドに持ち、Chillstep / Melodic Dubstep に独特の感情を持ち込んだ。

  • ピアノの主旋律
  • 透明感のある崩れないミックス
  • トランス的上昇感
  • ボーカルチョップを丁寧に加工
  • スタッカート気味のシンセリードとのレイヤー

MitiS の作品は Chillstep と Melodic Dubstep の境界を滑らかに跨ぎ、よりドラマティックな構造を示す。


4. Chillstep の映像文化とネット拡散

Chillstep は音楽と共に「映像文化」として広まったことが重要である。

  • 夜景・星空・霧・森
  • 低彩度の映画的トーン
  • スローモーションの水滴や波
  • シネマティックな被写界深度
  • Lo-Fi テイストの質感

YouTube のチルステップ・コンピレーションは、これらの映像美と音の透明感が融合した形で急増し、ジャンルのアイデンティティを視覚的にも補強した。

映像的構図

  1. 静止した湖面、遠くの光、ゆっくり動く霧
  2. その上に穏やかに広がるパッドサウンド
  3. 水面の反射がリードメロディの倍音と共鳴
  4. 夜の街の残照とともにベースが沈み込む
  5. 星の流れがアルペジオと同期する演出

Chillstep の視聴体験は、「音楽+視覚表現」が一体化したインターネット時代のジャンル特性を象徴する。


5. 制作工程:Chillstep / Liquid Dubstep を作る方法

ここではプロデューサー視点で、音作りとミックスを段階的に整理する。

5-1 アイデア構築

  • 深夜の静けさ
  • 水、霧、星といった自然モチーフ
  • メロディはシンプルで長く伸びるラインを中心に構築
  • ポジティブでもネガティブでもない“心の余白”を作る

5-2 コード進行

Chillstep では明快なコードが多い。

  • I–vi–IV–V
  • I–V–vi–IV
  • iii–IV–I–V など

転調や複雑化よりも「持続」と「余韻」を重視する。

5-3 シンセ設計

リードシンセ

  • ソー波+ノイズブレンド
  • アタック遅め、リリース長め
  • アナログ風の揺らぎ(drift)を加える

パッド

  • 4〜6レイヤー
  • フィルターはハイカット強め
  • リバーブのテイルは長く、プリディレイ短め

ボーカルチョップ

  • ピッチ補正
  • グラニュラー処理で伸ばす
  • エア感を出すため高域シェルフ

5-4 サブベース

  • サイン波中心
  • 必要に応じて三角波を混ぜて暖かさを追加
  • LFOは緩やか
  • サイドチェインは薄く
  • リリースは短めでタイトに

5-5 ドラム

  • キック:低域を絞りすぎない
  • スネア:深いリバーブを薄く
  • ハット:シャカつきを抑え、ハイエンドをスムーズに
  • パーカッション:水滴的FXが有効

5-6 ミックス

  • 5〜7kHz の刺激を抑えて滑らかに
  • 背景ノイズ(アナログヒス、風、雨音など)を微量に
  • リバーブのハイカットで霧のような質感
  • サイドチェインは抑制的、動きを作る程度

6. シーン別年表

Chillstep / Liquid Dubstep 発展史(簡略)

timeline title Chillstep / Melodic Dubstep History 2000s-UK : UK Dubstep の発展 2008-2010 : YouTube でメロディック Dubstep 拡散 2010 : Chillstep コンピレーションが急増 2011-2013 : Blackmill・MitiS などの台頭 mid-2010s : Liquid 要素の拡張・ボーカルチョップ文化 2020s : Lo-Fi、アンビエントとの融合が一般化

7. 図解:Chillstep 音響構造の概要

flowchart TD A["パッド(広域・静的)"] --> B["メロディリード(滑らか・透明)"] A --> C["サブベース(サイン波中心)"] B --> D["ボーカルチョップ(空気感)"] C --> E["ハーフタイムドラム"] D --> F["空間FX(大きめリバーブ)"]

8. ジャンルの現在地と今後の展望

Chillstep / Liquid Dubstep は、単なるダブステップの派生ではなく、インターネットと映像文化が音楽のジャンルを形成した代表的なケースと言える。2020年代に入ってからも、ローファイ文化、アンビエント、Melodic Bass、Future Garage などのジャンルと滑らかに融合し、より広い範囲で“静かなエレクトロニック”の一形態として受容されている。

また、近年では以下の傾向が見られる。

  • Lo-Fi aesthetic の取り込み
  • オーガニック系パーカッション(木、石、紙の音)
  • シネマティック音響との接続
  • VR・水中映像・自然散策映像などとの統合

「音楽+視覚+物語」としてのChillstepは、今後もメインストリームではなくとも、インターネット上の静かな居場所を保ち続けると考えられる。


9. まとめ

Chillstep / Liquid Dubstep は、ダブステップの攻撃的側面を削ぎ落とし、感情・風景・静けさを中心に再構築した音楽である。Blackmill、MitiS などのアーティストは、その叙情性と丁寧な音響処理によってジャンルの輪郭を明確にし、多くのフォロワーを生んだ。

その音楽性は「強さ」ではなく「温度・呼吸・余白」で成立する。 静かな深夜、映像の光、霧の広がる風景——そこに寄り添う形でChillstep は確かな存在感を持ち続けている。


Monumental Movement Records

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