序章:ブラック・フラッグという事件
文:mmr|テーマ:商業的成功よりも、方法と態度を残したバンドについて
Black Flagは、単なるバンド名ではなく、1970年代後半から80年代初頭にかけてのアメリカ西海岸アンダーグラウンドを貫いた一種の構造変化そのものだった。彼らは速く、荒く、単純な演奏で知られる一方、その背後にはDIY精神、ツアーの自力運営、レコード制作の独立性といった、後続世代に決定的な影響を与える実践が積み重なっている。音楽的にも、初期の3コード・ハードコアから、後期の重く遅い実験的サウンドへと変貌を遂げ、単線的な「パンク像」を拒否し続けた存在だった。
南カリフォルニアという土地柄、郊外文化、抑圧的な日常、警察との緊張関係。Black Flagの音楽は、そうした具体的な環境から切り離せない。怒りや虚無は抽象的なものではなく、生活の延長線上にあった。彼らの楽曲、ツアー、レコードの一枚一枚は、その環境に対する実践的な応答として存在している。
Black Flagはスタイルではなく、方法論として機能したバンドだった。
結成以前と初期形成(1976–1978)
Black Flagの起点は、ギタリストのグレッグ・ギンにある。1976年、カリフォルニア州ハーモサ・ビーチ周辺で活動を開始した当初、バンド名はPanicだった。パンク・ロックがイギリスとニューヨークから波及し始めた時期であり、ラモーンズやセックス・ピストルズの影響は明確だったが、南カリフォルニアではまだシーン自体が未成熟だった。
Panicは短期間でBlack Flagへと改名する。この名前は、無政府主義的な象徴としての「黒旗」を指し、明確な政治主張というよりも、秩序や安定に対する否定の感覚を内包していた。ロゴとして採用された四本線のデザインは、シンプルで即座に識別可能な視覚記号として、後にパンク史上最も有名なアイコンの一つとなる。
初期メンバーの変動は激しく、ヴォーカル、ベース、ドラムは頻繁に入れ替わった。この不安定さは弱点であると同時に、バンドの音楽的方向性を固定化させない要因にもなった。グレッグ・ギンのギターは、当初から過剰な歪みと反復的なリフを特徴とし、後の展開の萌芽がすでに見られる。
初期Black Flagは、形を定める前の衝動そのものだった。
「Nervous Breakdown」と7インチ・シングルの衝撃
1979年に発表された7インチEP『Nervous Breakdown』は、Black Flagの存在を決定づけた最初の記録である。この作品は、後に設立されるSST Recordsからリリースされ、完全な自主制作として流通した。収録曲は短く、速く、直接的で、当時の西海岸において突出した攻撃性を持っていた。
タイトル曲「Nervous Breakdown」は、精神的崩壊をテーマにしながらも、内省的というよりは切迫したエネルギーに満ちている。歌詞は簡潔で、感情を説明するのではなく、むき出しの状態として提示する。このアプローチは、後のハードコア・パンクの基本形となった。
このEPにおけるヴォーカルはキース・モリスが担当している。彼の歌唱は、怒鳴り声に近く、技巧よりも即時性を優先していた。演奏全体は荒削りだが、構造は明確で、単なる混沌ではない。7インチというフォーマットもまた、短距離走のような集中力を要求し、Black Flagの初期美学に適していた。
『Nervous Breakdown』は、西海岸ハードコアの出発点として機能した。
キース・モリスの脱退と過渡期
『Nervous Breakdown』発表後、キース・モリスはバンドを脱退する。理由は音楽的方向性や内部の緊張関係にあったとされる。モリスは後にCircle Jerksを結成し、より即物的でスピード感のあるハードコアを展開することになる。
Black Flag側は、新たなヴォーカリストを探しながら活動を継続した。この時期には複数のシンガーが短期間参加し、音源も断片的に残されている。バンドは安定を欠いていたが、その分、音楽的な試行錯誤が続けられた。
この過渡期において重要なのは、グレッグ・ギンが主導権を完全に握り、バンドを長期的なプロジェクトとして維持しようとした点である。頻繁な人事変動にもかかわらず、Black Flagという名前と理念は失われなかった。
不安定さは解体ではなく、変化の前提条件だった。
ロン・レイスと『Jealous Again』
次に重要な局面となるのが、ロン・レイス(後にChavo Pederast名義でも知られる)の参加である。彼がヴォーカルを務めた時期に録音された音源の代表例が、7インチ『Jealous Again』である。この作品は、初期Black Flagの中でも特に評価が高い。
「Jealous Again」は、単純な嫉妬心を題材にしながら、攻撃的でありつつもどこか皮肉を帯びた表情を持つ。ロン・レイスのヴォーカルは、キース・モリスに比べてやや抑制されており、言葉の輪郭が明確だ。その結果、楽曲の構造とリズムがより際立つ形になっている。
この7インチは、Black Flagが単なる衝動の集合体ではなく、楽曲単位で完成度を高めつつあることを示していた。同時に、メンバー間の緊張は続き、ロン・レイスもまた長期的には定着しなかった。
『Jealous Again』は、初期衝動が洗練へ向かう過程を記録している。
ヘンリー・ロリンズ加入と転換点
1981年、Black Flagにとって最大の転換点が訪れる。ヴォーカルとして加入したヘンリー・ロリンズの存在である。彼はもともとワシントンD.C.のファンであり、バンドの熱心な支持者だった。参加当初から、その肉体的で威圧的なパフォーマンスは際立っていた。
ロリンズのヴォーカルは、それまでのシンガーとは異なり、怒りだけでなく執念や内省を強く感じさせるものだった。歌詞もまた、個人的な苦悩や孤立感を前面に押し出すようになる。この変化は、Black Flagの音楽をより重く、より複雑な方向へ導いた。
彼の加入後、バンドは全米ツアーを本格化させる。クラブやDIYスペース、時には非公式な会場での演奏は、警察との衝突やトラブルを頻発させたが、その経験が楽曲の質感に直接反映されていく。
ヘンリー・ロリンズの加入は、Black Flagを次の段階へ押し上げた。
SST RecordsとDIY流通網
Black Flagの活動を語る上で、SST Recordsの存在は欠かせない。もともとはグレッグ・ギンが経営していた電子機器会社の名前であり、レコード・レーベルとしては完全に独立した形で運営された。
SSTは、Black Flagの音源を出すだけでなく、他のアンダーグラウンド・バンドの作品も積極的にリリースした。これにより、西海岸を中心に独自の流通網が形成され、メジャー・レーベルに依存しないパンク経済圏が成立する。
このDIYモデルは、後のインディー・ロックやハードコア・シーンにとって現実的な前例となった。レコード制作、ジャケット印刷、流通、ツアー手配を自ら行うという姿勢は、音楽の内容そのものと不可分だった。
SSTはBlack Flagの音楽を支えるインフラだった。
音楽性の変化:速度から重量へ
初期Black Flagは、速さと短さを武器にしていた。しかし、ロリンズ期に入ると、楽曲は徐々に遅く、重くなっていく。リフは反復され、ノイズ的な質感が強調されるようになった。
この変化は、単なる実験ではなく、ツアー生活や身体的消耗、精神的緊張の反映でもあった。演奏時間が伸び、観客との関係も変質していく。暴力的なモッシュの中で、音楽は一種の耐久試験のような性格を帯び始める。
この時期のBlack Flagは、ハードコアの枠を拡張し、後のスラッジ、グランジ、オルタナティヴ・ロックに影響を与える基盤を築いた。
重さへの傾斜は、停滞ではなく進化だった。
年表:Black Flag主要動向
Black Flagの歴史は、連続した変化の連なりとして理解できる。
影響と遺産
Black Flagは、商業的成功よりも、方法と態度を残したバンドだった。彼らのDIY精神、過酷なツアー、音楽的妥協の拒否は、無数のバンドにとって参照点となった。
7インチ『Nervous Breakdown』や『Jealous Again』は、今もなおハードコアの基本形として語られる。一方で、後期の重く遅い楽曲群は、ジャンルの境界を溶かし、パンク以外の聴衆にも影響を与えた。
Black Flagは終わったバンドでありながら、その方法論は今も更新され続けている。
Black Flagは、終わらない問いとして残り続けている。