パンデミック──封鎖、再開、そして音楽の再定義まで、すべての実録史
文:mmr|テーマ:ジャーマン・テクノが2020年代にどのように変化し、何を失い、何を獲得したのか
2020年代のジャーマン・テクノは、COVID-19パンデミック(2020–2022) を中心に劇的な地殻変動を経験した。
クラブが国によって完全閉鎖され、観光・経済・文化・音楽制作・社会の価値観まで、シーン全体が根本から揺さぶられたのである。
ドイツは世界で最も“クラブ文化の制度化”が進んだ国のひとつであり、クラブは文化施設として政治的に扱われ、都市政策の議題にも上るほどの存在である。
そのため、2020年代の変化は単に音楽ジャンルの変化ではなく、ドイツ社会の文化政策・都市計画・観光経済・サブカルチャー研究にも大きく記録されている。
第一章:パンデミック前夜(〜2020年3月)
● ベルリンは世界の「テクノ都市」という地位を確立していた
2020年3月より前、ベルリンは世界的に他の都市から抜きんでた存在だった。
- 週末ごとに長時間のレイヴ
- Berghain、Tresor、About Blank、Watergate などが国際的巡礼地
- EU圏内だけでなく南米・アジアからも観光客が集中
- 観光統計上、クラブは「経済効果が極めて大きい分野」として扱われていた
この時期、ベルリンのクラブは都市ブランドの核であり、市が公式にクラブ支援政策を発表していたことも特徴的だ。
文化政策の面では、クラブは劇場・ギャラリーに近い存在として、市の文化支援予算で一部保護されている。
● 音楽的には高速化の前兆があった
2018–2019年には、既に次のような傾向が出ていた:
- 135〜145 BPMの高速テクノの復権
- インダストリアル寄りの音作り
- EBM・レイヴ・トランスの再評価
- ハード・トランスの引用が増える
しかし—
2022年以降の「爆発的な高速化」ほどではなかった。
この“高速化の兆し”がパンデミックによって不意に中断されることになる。
第二章:2020年3月――史上初の「全国クラブ封鎖」
● ドイツ全土のクラブに営業停止命令
2020年3月、ドイツ政府は感染対策として、
クラブ・バー・レジャー施設の全閉鎖を発表した。
これは法的な措置であり、全クラブは即時閉鎖となった。
ベルリンだけで300を超えるクラブが一斉に沈黙し、
世界に名だたるテクノ都市は、歴史上初めて“完全停止”を経験した。
影響:
- 全クラブが営業停止(2020年3月〜2021年初頭)
- Berghain、Tresor を含む全てが閉鎖
- クラブ観光による収入はゼロ化
- DJ・スタッフ・照明・音響などの職業が収入喪失
- 政府が「Kurzarbeitergeld(短時間勤務手当)」で支援
クラブを収入源としていた数万人規模の労働者が影響を受けたことは、統計・報道によって確認されている。
第三章:オンライン時代と“United We Stream”(2020–2021)
パンデミックはクラブ文化をオンラインへと押し出した。
● “United We Stream”の始動
ベルリンの Clubcommission Berlin と Arte Concert は、
2020年3月、世界初の大規模オンライン・クラブ支援企画 United We Stream を開始。
事実として重要なポイント:
- ベルリンのクラブから無観客配信
- 寄付をクラブ維持に使用
- 数百万人が視聴
- 世界中の都市に同様のモデルが広がる
オンライン化は“クラブは物理空間で行う文化”という固定観念を揺るがし、
クラブ文化がデジタルメディアとしても機能し得ることを証明した。
● 観客不在のDJセットによる音楽の内向化
フロアが存在しないため、
DJセットは次のような傾向へ移行した:
- BPMが下がる
- アンビエント・ハーフテンポの増加
- IDM・実験寄りの音楽が増える
- 映像映えを意識した選曲
パンデミック初期は、音楽がより「家庭で聴くもの」「画面越しに体験するもの」へと変質した時期でもある。
第四章:テクノの“音響”が変わる(2020〜2021)
● 1) 内省的・実験的テクノの増加
DJをする場がない以上、アーティストは“踊らせるための音楽”の需要が消失した。
そのため、EP・アルバム制作は次の方向へ:
- アンビエントテクノ
- ダウンテンポ
- IDM
- ノイズ・ドローン
- ブレイクビーツ/エレクトロ
実際、2020–2021年にリリースされた作品は、クラブピーク向けのトラックよりもリスニング向けが多い。
● 2) SNSを介して高速テクノが逆に台頭する
興味深い逆転現象も起きた。
クラブは閉じていたが、高速テクノ(150〜160 BPM)がSNSでバズるようになったのである。
理由は以下の通り:
- 高速なビートは短尺動画で映える
- 無観客配信では“派手な盛り上がり”を作りやすい
- 若年層がTikTokでクラブ文化を疑似体験
つまり、
“物理クラブは閉じているのに、ネット上では高速テクノが広まる”
という奇妙な現象が2020–2021年に進行していった。
第五章:クラブの危機と制度の転換(2020–2022)
● クラブは「文化施設」として法的に格上げされる(2021)
2021年、ドイツ連邦議会は歴史的決定を下した。
クラブを“文化施設(Kultureinrichtung)”として法的に保護する
これは事実として大きな転換点である。
それまでクラブはナイトライフ産業として扱われ、
都市計画上は“騒音問題を起こす存在”という扱いだった。
しかし2021年の決定により、
- 劇場やコンサートホールと同じ「文化施設」枠
- 開発計画での保護が強化
- 税制面での優遇
- 公共政策の対象に
パンデミックでの危機によって、
クラブが「文化資産」として制度的に認められたのである。
● Berghain の休業と“ギャラリー化”
Berghain は長期休業中、内部をギャラリースペース “Studio Berlin” として公開した。
テクノクラブが美術館的に扱われた事例として注目を集めた。
● Tresor などの老舗も深刻な影響
Tresor、Watergate、://about blank などのクラブは入場収入が途絶え、
政府支援・寄付・オンライン企画で維持を図った。
第六章:2022年の再開――高速テクノの爆発
● 再開後、BPMが急上昇
2022年、クラブがドイツ全土で再開。
ここから音楽は大幅に変わる。
再開後の特徴:
- 150〜170 BPM が一般的に
- トランス要素が強まる
- 90年代レイヴ風の音色が復活
- インダストリアル×トランスのハイブリッドが定着
- “高速4つ打ち”が世界的に主流化
パンデミック中にSNSで台頭した高速テクノの美学が、
実際のクラブの音に上書きされた格好だ。
● 若年層の来訪が爆発的に増える
2022–2023年は、特にEU圏からの若い観光客が増加した。
パンデミック後の“解放感”と、SNSによるクラブ文化の可視化が理由とされる。
ベルリンの週末イベントは、
30〜40時間連続のパーティがより一般化した。
● 周辺都市でも高速テクノが拡大
- フランクフルト:ハード寄りイベントの増加
- ライプツィヒ:IfZ に高速テクノ客層が流入
- ハンブルク:PAL での若手DJの台頭
- ドレスデン:地元レイヴが復活
2022–2024年のテクノは、完全に“アフターパンデミック世代の美学”に更新された。
第七章:2020年代ベルリンの文化政策・都市問題
● 1) ジェントリフィケーションとクラブ存続問題
都市再開発により、クラブの立地が危機にさらされてきたベルリンだが、
パンデミック後はクラブが都市政策の議題に上ることが増えた。
クラブは文化資産として保護するべきという考えが定着しつつある。
● 2) 観光依存の脆弱性が露呈
パンデミックで国際観光が消失し、
ベルリンは観光に依存しすぎた都市構造の脆弱性を露呈した。
以後、市は地元住民向け文化施策を強化し始めた。
● 3) デジタル化・アーカイブ化が進む
パンデミックを契機に、クラブの歴史資料・映像・音源がオンライン化。
2023年以降はアーカイブ事業が文化政策としてサポートされている。
第八章:制作技術と音作りの変化
● 1) 在宅制作の常態化
外出制限時期に、アーティストは制作時間が増えた。
その結果:
- DAW主体の制作が加速
- ハードウェア→ソフトウェアへの移行
- Bandcamp 等でのセルフ配信増加
● 2) 音響的傾向の変化
パンデミック前後で音作りは以下のように変化した:
2020–2021:
- ドローン
- 自宅録音の環境音
- ナレーション/ポエトリー
- フィールドレコーディングの増加
2022–2024:
- 150–170 BPM
- デジタルクリップ感を強調
- 超高域まで伸びた歪み
- 90年代トランスのコードワーク
つまり、
静寂→爆発 のサイクルが、わずか数年で起きた。
第九章:2020年代のジャーマン・テクノ年表
第十章:2025年以降の未来予測
● 1) 高速化は続くのか?
2024年時点では150〜170 BPMが主流。
これが続くかどうかは未確定だが、以下の要因で継続する可能性もある:
- SNSでの視覚的演出が高速音楽と相性が良い
- 若年層の美学が“情報密度の高さ”を好む
- ハードテクノの国際市場が拡大している
● 2) クラブは都市の文化資源として守られる
既にドイツはクラブを“文化施設”として制度化しているため、
2025年以降はより保護政策が進むと予測されている。
● 3) 地方都市の台頭
ライプツィヒ・ドレスデン・ハンブルクなどで、パンデミック後に若手シーンが健在化。
2020年代後半はベルリン一極集中が緩和される可能性が高い。
結論:パンデミックはジャーマン・テクノを「壊し」、そして「作り変えた」
2020年代のジャーマン・テクノは、パンデミック前後で完全に別物になった。
- クラブ文化は制度的に格上げされた
- 音楽は高速化し、新世代が登場した
- オンライン文化がクラブの境界を広げた
- ベルリンは再び国際的レイヴ都市として復権した
パンデミックは破壊をもたらしたが、同時に“文化の再定義”を引き起こし、
2020年代後半のジャーマン・テクノは、以前よりも多様で国際的で、スピード感を増した文化となっている。
この変化は今後の電子音楽史において“2020年代=断絶の時代”として記録されるだろう。