
序章:なぜ「クラウトロック」なのか
文:mmr|テーマ:ドイツから生まれた実験音楽・電子音楽・ポストロック・テクノなど後世の音楽に深く影響を与えた重要な潮流ークラウトロック
“クラウトロック”——。それはもともとイギリスの音楽誌が付けた揶揄的な呼び名だった。
「クラウト(Sauerkraut=ザワークラウト)」、つまりドイツ人を指す俗語。
だが1960年代末の若者たちは、そのレッテルを反転させ、自らの音楽を創造するための旗印にした。
戦後ドイツ。敗戦の記憶、米英文化の洪水、そして「自分たちの声がない」という虚無。
クラウトロックは、この“無”の中から生まれた。
それは単なる音楽運動ではなく、戦後世代のアイデンティティの再構築であり、
やがてロックの歴史を再発明する“音の哲学運動”となっていく。
第1章:無からの創造 ― 戦後ドイツと音の再構築
1968年。学生運動がベルリンとパリを覆い、文化は政治と結びつき始めていた。
同時に、ケルン放送局ではカールハインツ・シュトックハウゼンの電子音楽が鳴り響いていた。
その抽象的で数学的な音響構築は、後の若者たちに「音をゼロから設計する」感覚を植えつけた。
CANの創設者、ホルガー・シューカイとイルミン・シュミットはその弟子だった。
クラシック教育を受けた彼らは、「ロック=反芸術」ではなく、「ロック=現代音楽の延長」と捉えた。
彼らの実験精神は、学生運動後のコミューン文化と結びつき、スタジオは“社会の実験場”へと変貌する。
「我々にはブルースがない。我々の音を作るしかない。」
— ホルガー・シューカイ(CAN)
この“自国の音”を探す姿勢こそ、クラウトロックの原点だった。
第2章:CAN ― リズムの哲学と即興の科学
ケルン郊外の古い城館“インナー・スペース・スタジオ”。
ここで生まれたのがCANの神話だった。
ヤキ・リーベツァイトのメトロノームのようなドラム、
ミヒャエル・カローリのギター、
そして日本から流浪してきたヴォーカリスト、ダモ鈴木。
1970年、偶然ケルンのストリートで歌っていた日本人ヒッピー、ダモ鈴木に出会う。
その日の夜にはすでにステージに立ち、アルバム『Tago Mago』が誕生する。
「君、ステージに立ってみないか?」——即座に即興の夜が始まり、
そのままバンドのメンバーになってしまったという。
彼らの音楽は、構成を拒否した“流動するリズム”。
特にアルバム『Tago Mago』(1971)は、編集によって曲が再構成され、
“録音テープそのものが楽器”という概念を生んだ。
シューカイの編集術は、のちのヒップホップのサンプリングにも通じる発想だった。
「リズムは時間を支配する。だが即興は時間から自由になる。」
— ヤキ・リーベツァイト
CANのサウンドは“聴く旅”である。静と動、偶然と秩序の間を泳ぐ、終わりなきグルーヴ。
それは後のRadioheadやThe Fall、さらにはAphex Twinにも影響を与えることになる。
第3章:NEU! ― ミニマリズムと未来への疾走
クラフトワーク初期メンバーだったクラウス・ディンガーとミヒャエル・ローターが脱退して結成したNEU!。
その音は、すべての余計な装飾を削ぎ落とした“純粋な運動”だった。
ディンガーのドラムは、まるで止まらぬコンベアのように一定の速度で刻み続ける。
このビートはやがて“モーターリック”と呼ばれる。
ローターのギターとベースは流線形のように滑り、
音楽は“前へ進む”ことそのものを目的化した。
NEU!はスタジオでの録音を資金不足の中で行った。
テープを逆回転させ、スピードを変え、音を切り貼りしながら、
「生」と「機械」の境界を揺さぶった。
「モーターリックとは、機械ではなく“人間の持続”の音だ。」
— クラウス・ディンガー
このシンプルなリズム構造は、デヴィッド・ボウイのベルリン三部作や
ブライアン・イーノのアンビエント作品にも多大な影響を残す。
聴く者は、NEU!の音の中で、時間が直線ではなく円環であることに気づく。
第4章:Faust ― コラージュと破壊の芸術
ヴュンメの田舎にあった農家を改造したスタジオ。
そこに引きこもり、テープ、ノイズ、ラジオの断片、サンプル、すべてを混ぜ合わせた集団——それがFaust。
彼らは「ロックの形式」を徹底的に破壊することで、新しい音楽を作った。
メンバーのジャン・エルムラーは語る。
「私たちは、ロックを信じなかった。信じたのは“録音テープ”だけだった。」
1971年のデビュー作『Faust』は、ジャケットが透明ビニールに脈打つ心臓のようなプリントを施され、
音楽もまた断片化されていた。
楽曲はメロディを持たず、むしろラジオ番組を聴いているような錯乱。
しかしそれは、ポップミュージックの“枠組みそのもの”への挑戦だった。
彼らはポップ・アートやダダイズムに強く影響を受けていた。
その後のパンク、インダストリアル、サンプリング文化は、まさにFaustの遺伝子上にある。
「破壊こそが創造の始まりだ。」
— ジャン・エルムラー(Faust)
第5章:Kraftwerk ― テクノの起源と無機質の美
デュッセルドルフ。
工業都市の直線的な道路と、冷たい鉄の質感が音楽になった。
ラルフ・ヒュッターとフローリアン・シュナイダーによるクラフトワークは、
最初期はフルートとオルガンを駆使した即興ロックだった。
しかし1974年、『Autobahn』で彼らは突然、音楽を“設計”し始める。
電子音とリズムマシン、そして「機械としての人間」。
彼らはステージでも感情を排し、無表情のまま演奏した。
この徹底した匿名性は、当時のロックシーンでは異端だった。
だがそこには、「ドイツ人の新しい主体」を模索する姿勢があった。
過去(戦争)を否定し、未来(テクノロジー)に救いを見出す。
「私たちは人間の手で作られた機械。そして音楽はその反映だ。」
— フローリアン・シュナイダー
クラフトワークのミニマルで直線的な音は、デトロイト・テクノ、シンセポップ、
ヒップホップ、ハウスのすべてに影響を与えた。
彼らが見つめた“未来”は、いま私たちの現在の音楽風景にある。
第6章:Cluster ― 無音と電子の境界
静けさの中の革命
ディーター・メビウス と ハンス=ヨアヒム・ローデリウス によるユニット Cluster(クラスター)。
彼らはCANやFaustと異なり、ほとんど「ノイズ」でも「ロック」でもない。
無機質な電子音と沈黙の間に、都市の残響や呼吸を漂わせた。
デビュー作『Cluster 71』(1971)は、実験的なテープ・サウンドの連続だが、どこか瞑想的でもある。
続く『Zuckerzeit』(1974)では、Neu!のクラウス・ディンガーがプロデュースを担当し、ミニマルで心地よいリズムを導入。
電子音が「生活の音」になっていく――それはのちのAmbientやElectronicaの原点の一つだ。
「音の間にある“無”こそ、われわれが作曲する空間だ」 ― Hans-Joachim Roedelius
第7章:Harmonia ― ClusterとNeu!の出会い
1973年、Clusterの二人にNeu!のギタリスト ミヒャエル・ローター が加わり、Harmonia(ハルモニア) が誕生する。
舞台はドイツ北部の田舎村、Forst。電車もほとんど来ない場所に、彼らはスタジオを構えた。
「田園電子音楽」の誕生
Harmoniaの音は、Clusterの静寂とNeu!のリズムの中間。
『Musik von Harmonia』(1974)では、穏やかな電子のうねりが緑の風景のように広がる。
続く『Deluxe』(1975)は、Brian Enoが「世界で最も重要なバンド」と評した作品であり、後に彼自身もForstを訪れ共作を録音している。
「彼らの音は、未来の田園音楽だった」 ― Brian Eno
Forstで生まれた音の精神は、Ambient、Post-rock、さらには現代の環境音楽にまで受け継がれた。
第8章:Popol Vuh ― 霊性と映像の中の音
クラウトロックの中でも異彩を放つのが、Popol Vuh(ポポル・ヴー)。
リーダーの フロリアン・フリッケ は宗教音楽と哲学に深く傾倒し、早くからモーグ・シンセを導入した。
だが、彼の目指したのは電子の冷たさではなく、神秘と内面の音だった。
ヘルツォークとの共鳴
映画監督 ヴェルナー・ヘルツォーク は、その霊的なサウンドに惚れ込み、『アギーレ/神の怒り』『ノスフェラトゥ』『フィツカラルド』など多くの映画に彼らを起用。
『Aguirre』(1975)の音楽は、アンデス山中で響く幻聴のように観客の意識を揺さぶった。
「ポポル・ヴーの音は、魂が聴く祈りの言葉だった」
クラウトロックが示した「精神の実験」は、ここで宗教的な頂点に達したといえる。
第9章:Klaus Schulze ― シンセサイザーの孤独な旅人
元Tangerine Dreamのドラマーにして、電子音楽の求道者 クラウス・シュルツ。
彼は集団ではなく孤高のスタジオ・ワークでクラウトロックを拡張した。
1曲30分を超える長大なトラックを構築し、時間を音で“彫刻”するように制作した。
代表作『Timewind』(1975)、『Moondawn』(1976)は、リズムとシーケンサーが果てしなく続く電子の瞑想。
後のJean-Michel JarreやVangelis、さらにはTechnoの作家たちにとって、彼は「電子の哲学者」としての原点となった。
「シンセサイザーは私の宇宙だ。孤独は、創造の燃料だ。」 ― Klaus Schulze
第10章:クラウトロックの遺伝子 ― 次世代へ
1970年代後半、ドイツの若者たちは再び変化の中にあった。
クラウトロックの実験精神は、PunkやNew Waveの中に姿を変えて現れる。
ベルリンでは、デヴィッド・ボウイとブライアン・イーノが「ベルリン三部作」を制作し、まさにKrautの美学を吸収していった。
- Bowieの『Low』(1977)は、Neu!とClusterの融合。
- Joy DivisionやThe Fallは、モーターリックのリズムをロックに再注入。
- 90年代にはStereolabやTortoiseが、クラウトロックをポップと融合させた。
クラウトロックとは単なるジャンル名ではない。
それは「自分たちの音を見つける」という精神そのものなのだ。
クラウトロック主要バンド年表
都市マップ(地理的拠点)
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ケルン:CAN, Popol Vuh
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デュッセルドルフ:Kraftwerk, Neu!
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ヴッパータール:Faust
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ベルリン:Tangerine Dream, Klaus Schulze
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ニーダーザクセン:Cluster, Harmonia
各都市の距離は近いが、音の思想は驚くほど異なっていた。 クラウトロックとは、都市ごとの「音の哲学地図」である。
用語集(Glossary)
用語 | 意味 |
---|---|
モーターリック(Motorik) | Neu!が確立した一定の4/4ビート。直線的でトランス的なリズム。 |
コズミック・ミュージック(Cosmic Music) | Tangerine DreamやKlaus Schulzeらによる宇宙志向の電子音楽。 |
コンチネンタル・ロック(Continental Rock) | 英米中心のロックに対し、ヨーロッパ的視点からの音楽表現。 |
クラウト(Kraut) | 元はイギリスのスラング。侮蔑語だったが、のちに誇りとして再定義された。 |
Motorik Groove | 「Ein-zwei-drei-vier…」のリズム感。ミニマルと陶酔の象徴。 |
ディスコグラフィー・ガイド
アーティスト | 代表作 | 年 | リンク |
---|---|---|---|
CAN | Tago Mago | 1971 | Amazon |
Kraftwerk | Autobahn | 1974 | Amazon |
Neu! | Neu! | 1972 | Amazon |
Faust | The Faust Tapes | 1973 | Amazon |
Tangerine Dream | Phaedra | 1974 | Amazon |
Cluster | Zuckerzeit | 1974 | Amazon |
Harmonia | Deluxe | 1975 | Amazon |
Popol Vuh | Aguirre | 1975 | Amazon |
Klaus Schulze | Timewind | 1975 | Amazon |
終章:音の自由を求めて
クラウトロックとは、国家の復興期に「自由とは何か」を音で問うた運動だった。 そこにあったのは、既存の文化をなぞることへの拒絶、そして自らの未来を創る意志。
それは“ドイツ発”というより、“普遍的な創造の精神”の物語だ。 テープ、リズム、電子の波――それらは今も地下スタジオで鳴り続けている。
「クラウトロックは終わっていない。それは今も、あなたの耳の中で進行している。」