【コラム】 Glitch:ノイズが美に変わるとき

Column Experimental Glitch Noise
【コラム】 Glitch:ノイズが美に変わるとき

エラーという快楽

文:mmr|テーマ:エラーが美に変わる瞬間。デジタルのほころびから生まれたGlitch文化は、21世紀の“壊れた美学”を映し出す。音楽、映像、そして社会の断片をめぐる長編文化論

静まり返った深夜のPC画面。レンダリング途中の映像が突然、破片のように崩れ、ピクセルが暴走する。
ふと、その「壊れた瞬間」に、美しいと感じてしまう自分がいる。
それが、Glitch(グリッチ)の始まりだった。

かつて「エラー」は排除すべきものだった。だが今、エラーは“表現”になっている。
完璧なシステムの中で生じる小さなほころび——そこに、私たちはどこか懐かしい「人間らしさ」を見出してしまうのだ。
Glitchとは、テクノロジーが自らの限界を露呈する瞬間に生まれる詩であり、21世紀の美的言語である。


Sound of Glitch:ノイズが音楽になった日

1990年代初頭、ドイツのOvalは意図的にCDの表面を傷つけ、プレイヤーが読み取れなくなる瞬間を録音した。
その不規則なクリック音、データの欠損による断続的なリズム。
それは“エラーの音”でありながら、異様に有機的で、どこか温かかった。


同時期、Ryoji IkedaAlva NotoはDSP処理を通じて、サイン波やノイズの粒子を極限まで磨き上げた。
Max/MSPやSuperColliderといったプログラム環境は、偶発的なバグやランダム性を積極的に音楽に取り込む。
この潮流はClicks & Cutsムーブメントとして2000年代初頭に花開き、電子音楽の美学を刷新した。

Glitchは、デジタル機器が生む「偶然のゆらぎ」を、詩的なリズムへと変換する術だった。
音が“壊れる”ということは、もはや失敗ではない。
それは、新しい秩序の出現なのだ。


Glitch Visuals:ピクセルが壊れる瞬間

映像の世界でも、Glitchは静かに浸透していった。
データモッシュと呼ばれる技法は、動画の圧縮データを意図的に破壊し、フレームが溶け合うような奇妙な連続を生む。
失われたピクセルが流体のように形を変え、現実と非現実の境界を曖昧にする。

メディアアーティストRosa Menkmanは、『The Glitch Moment(um)』でこう書く。

“Glitchは、メディアの見えない構造を暴き出す美学である。”

彼女にとって、エラーとは単なる故障ではなく、システムが自己を暴露する一瞬の“自己開示”だ。
私たちは普段、完璧な画像を見慣れている。
だからこそ、JPEGの破損や信号ノイズが生む不安定な美は、どこか人間的に感じられる。

Glitchはファッションや広告にも浸透した。
ピクセルの乱れをそのままデザインに取り込む手法は、“壊れたデザイン”として2010年代後半のストリート文化を席巻した。
完璧ではないこと、デジタルにも“ノイズ”が宿ることを、私たちはようやく楽しめるようになったのだ。


哲学としてのGlitch

では、なぜ私たちは「壊れたもの」に惹かれるのか。
哲学的に見れば、それは制御不能なものへの憧れである。

ハイデガーは、テクノロジーの本質を「存在の開示」と呼んだ。
Glitchとはまさに、テクノロジーが自身の“限界”を暴露する瞬間——つまり、世界の裂け目だ。
その隙間から覗く“異なる秩序”に、人は美を感じる。

また、Glitchは生成(Generativity)の美学でもある。
完全な支配のもとで動くアルゴリズムの中に、予期せぬ偶然が介入する。
人間はその「不確定性」に、生命のようなリアリティを見いだすのだ。

制御を失うことでしか見えない風景。
そこにこそ、現代の創造性が宿る。


Glitch in Society:社会のシステムに走るノイズ

Glitchは芸術だけの問題ではない。
それは、社会の構造そのものを映し出す“比喩”でもある。

SNSのアルゴリズムが生む“バグ的現象”——突然の情報拡散、炎上、誤認識。
AIが生成する「幻覚」(hallucination)——現実と虚構が入り混じる世界。
これらはすべて、デジタル社会の構造的Glitchだ。

NFTアートの登場もまた、デジタル複製時代の「所有」の概念に走ったノイズである。
データは無限にコピーできるはずなのに、「一点もの」としての希少性を再定義する。
矛盾が矛盾のまま存在し続ける——それこそがGlitch的である。

社会はますます“最適化”されていく。
だが、最適化された世界はどこか息苦しい。
だからこそ、意図せぬバグやノイズに、私たちは自由の匂いを感じてしまうのだ。


日本におけるGlitch文化の受容と変奏

日本におけるGlitchの受容は、独特の感性を伴っていた。
クラブカルチャーの中でSeihoTatsuro Kojimaらが展開したグリッチポップは、
ノイズをポップの構造へと取り込む試みだった。
一方、真鍋大度evalaらメディアアーティストは、音響空間そのものを“可視化されたGlitch”として設計した。

アニメや映像作品にも、この美学は深く浸透している。
『電脳コイル』『攻殻機動隊 SAC_2045』『EVA:3.0+1.0』に見られるバグ演出——
それは、情報過多社会における「認知のゆらぎ」を象徴する装置となっている。

そして今、東京の夜のクラブでは、
壊れたサンプルが織りなす音の断片が、まるで都市そのものの心拍のように鳴り響いている。
Glitchはもはや、アートの枠を超え、私たちの「日常の音」になった。


未来:Post-Glitchのゆくえ

もはや“壊れる”ことは特別ではない。
AIが自ら「模擬的なバグ」を生成し、ノイズをデザインする時代。
完璧に制御されたシミュレーションの中で、人間はどのように“偶然”を創造するのか。

Post-Glitchとは、壊れることすらデザインされる時代の美学だ。
そこでは、エラーもまた一つの言語であり、生成AIが奏でる「虚構のノイズ」は、新たな詩となる。

おそらく、私たちはこの“バグだらけの世界”に、
ますます愛着を抱いていくのだろう。
なぜなら、Glitchとは私たち自身の姿だからだ。
完璧でありえない存在。矛盾とノイズを抱えながら、なお動き続ける存在。
人間そのものが、最大のGlitchなのだ。


結語:バグの中にある希望

世界は壊れ続けている。 ネットワークも、都市も、私たち自身も。 それでもその断片の中に、確かなリズムと色彩が息づいている。

Glitchとは、壊れることを恐れない勇気の記録である。 ノイズを抱えたまま、美しく存在しようとする現代の詩なのだ。


付録:Glitch文化アーカイブ

年表 — Glitchの音楽・映像・思想史(1990–2025)

flowchart TD A1990["1990:CDノイズを素材にした実験音楽(Oval)登場"] A1995["1995:Ryoji Ikeda『+/-』発表 — デジタル音響美学の確立"] A2000["2000:Clicks & Cutsムーブメント始動(Mille Plateaux)"] A2004["2004:Alva Noto & Ryuichi Sakamoto『Vrioon』リリース"] A2010["2010:Rosa Menkman『The Glitch Moment(um)』刊行"] A2013["2013:Arca『&&&&&』発表 — Glitchと身体性の融合"] A2020["2020:AIアート時代の“模擬的バグ”表現拡大"] A2025["2025:Post-Glitch時代へ——エラーの哲学が日常化"] A1990 --> A1995 --> A2000 --> A2004 --> A2010 --> A2013 --> A2020 --> A2025

Glitch必聴ディスコグラフィー

アーティスト 作品名(Amazonリンク) 備考
1995 Oval 94diskont “CD傷音”の金字塔
1996 Ryoji Ikeda +/- ミニマル音響の頂点
2000 Various Artists Clicks & Cuts Vol.1 Glitchムーブメントの起点
2004 Alva Noto + Ryuichi Sakamoto Vrioon ピアノとデジタルの共鳴
2013 Arca &&&&& バグと肉体の融合
2022 Seiho CAMP 日本的グリッチ・ポップの進化
Monumental Movement Records

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