
音が建築になる瞬間がある
文:mmr|テーマ:フェスと都市、音と光、群衆とテクノロジー。EDMという現象は、21世紀の祝祭の形をどう変えたのか。
レーザーの閃光が夜空を裂き、ベースが身体の奥を震わせ、無数の腕が一斉に上がる。
「EDM」と呼ばれたその現象は、単なる音楽ジャンルではなく、デジタル時代の祝祭の形だった。
2010年代、世界中の都市がその音で再構築された。ラスベガスの砂漠も、ベルギーの森も、東京の湾岸も。
このコラムでは、EDMの誕生から変容、そして“その先”を、音・光・身体・テクノロジーの交点から見つめ直す。
Ⅰ. 光と音の建築物としてのEDM
それはクラブの延長ではなく、都市そのものの再設計だった。
数十万人が同時にジャンプする。ステージはまるで未来都市のゲート。
EDMは、21世紀の「祝祭建築」だったのだ。
もともとEDMという言葉は、ジャンル名というよりマーケティング用語だった。
しかし、その曖昧さこそが時代を象徴していた。
ハウスでもテクノでもトランスでもいい——重要なのは「体験」だった。
一音が世界を揺らす、そんな錯覚を誰もが一度は信じた。
Ⅱ. 起源:シカゴからラスベガスへ
物語の原点は1970年代のシカゴ「Warehouse」にある。
フランキー・ナックルズのプレイが、クラブという空間を共同体へと変えた。
80年代、デトロイトではテクノが生まれ、電子音が未来を語り始める。
やがて2000年代後半、ヨーロッパのクラブ・カルチャーがアメリカに“逆輸入”される。
Aviciiの《Levels》、Swedish House Mafiaの《Don’t You Worry Child》、David Guettaの《Titanium》。
それらは単なる曲ではなく、「光の言語」だった。
2010年代、EDMはポップの中心に躍り出る。アンダーグラウンドの夢は、アリーナの歓声に変わった。
Ⅲ. サウンド・デザインの進化
音の背後には、DAWとシンセの革命がある。
Ableton Live、FL Studio、Logic Pro。ノートPCひとつで作曲ができる時代。
Native Instrumentsの「Massive」、Xferの「Serum」、LennarDigitalの「Sylenth1」。
それらが生んだのは「音の武装化」だ。
特にサイドチェイン・コンプレッション——
キックに合わせて全体が呼吸するような、あの独特の“ポンピング”——
あれこそEDMの心拍だ。
クラブミュージックの技法が、マスへと拡張された瞬間だった。
Ⅳ. フェスティバル・カルチャーの誕生
Tomorrowland、Ultra、EDC。
この3つの頭文字を、いまや誰もが知っている。
ステージは単なるセットではなく、建築的インスタレーション。
スクリーンが森を包み込み、花火が空を編み上げる。
観客が「光の粒」と化し、音と映像がシンクロする。
EDMフェスは、テクノロジーが作り出した新しい共同体の儀式だった。
社会学者ならこう言うだろう。
「トランス状態の民主化」——
誰もが同じ瞬間に心拍を共有する、擬似的な宗教体験の時代。
Ⅴ. グローバル資本とSNSの時代
EDMは“流通の革命”とともにあった。
SoundCloud、YouTube、Beatport。
クリックひとつで世界中のDJが音を交換した。
2010年代後半、EDMはミーム化する。
ドロップがTikTokで切り取られ、リズムがGIFのように拡散する。
The Chainsmokersの《Closer》はその象徴だ。
DJはプロデューサーであり、ブランドでもある。
ロゴ、香水、NFT、ヘッドフォン——すべてが“音の周辺産業”に変わっていった。
Ⅵ. 分岐と変異:ポストEDMの地平
やがて、祝祭は疲れを見せる。
メインステージの眩しさに飽いた人々は、再び暗いクラブへ戻り始めた。
Porter RobinsonとMadeonが示した「内省的EDM」——
それはフェスではなく、個の感情を扱う音だった。
Future Bass、Trap、Tech House、Drumstep。
ジャンルは枝分かれし、もはや“EDM”という括りは意味を失う。
しかし、その中心にはいつもテクノロジーへの憧れがあった。
人間と機械の共鳴、その快楽こそがEDMの本質だった。
Ⅶ. 日本におけるEDM受容
日本でEDMが本格的に定着したのは2013年前後。
ULTRA JAPANが上陸し、ZEDDやHardwellが来日したとき、
湾岸の空が光に包まれた。
日本ではクラブよりも「フェス」としての導入が先だった。
それはまさに、“共同体への願望”の表れだったのかもしれない。
中田ヤスタカ、Perfume、Ado——
J-POPはEDMの構造を吸収し、より劇的で視覚的な音へと進化した。
TikTok世代にとって、“踊れる”とは身体ではなく指先の動作なのかもしれない。
デジタルの中で跳ねる光、スマートフォンの向こうの群衆。
日本のEDMは、内向的な祝祭という新しい形に辿り着いた。
Ⅷ. 技術と精神:マシンが描くユートピア
いま、AIがリアルタイムで音楽を生成する時代に入った。
それでも人は、依然として「ドロップ」を求める。
なぜなら、そこには身体が時間を感じる瞬間があるからだ。
DJは、もはや“選曲家”ではない。
リアルタイムで群衆の呼吸を読む、操作する作曲家だ。
照明、VJ、音響、ステージ構成——すべてが一つの総合芸術として同期する。
EDMはテクノロジーの祝祭であると同時に、
人間がテクノロジーを使って人間性を拡張する行為だった。
Ⅸ. 終章:EDM以後の音楽体験へ
“EDM”という言葉は、いまや過去の遺物に見えるかもしれない。
だがその遺産は、すでにすべてのジャンルに浸透している。
ポップも、ヒップホップも、ゲーム音楽も——
ドロップ構造と音圧の美学を引き継いでいる。
これからの祝祭は、もはや物理的なステージに限られない。
メタバース、AR、バーチャルDJ。
群衆はアバターとなり、光はコードとして流れる。
EDMは終わっていない。
ただ、形を変えているのだ。
デジタルの祝祭は、まだ終わらない。
付録A:年表 — EDM主要ムーブメント(1990–2025)
付録B:主要アーティスト・ディスコグラフィー
アーティスト | 代表作 | リリース年 | リンク |
---|---|---|---|
Avicii | True | 2013 | Amazon |
Swedish House Mafia | Until Now | 2012 | Amazon |
David Guetta | Nothing But the Beat | 2011 | Amazon |
ZEDD | Clarity | 2012 | Amazon |
Porter Robinson | Worlds | 2014 | Amazon |
The Chainsmokers | Memories…Do Not Open | 2017 | Amazon |
Madeon | Adventure | 2015 | Amazon |
付録C:主要DAW・シンセ/機材リスト
カテゴリ | 名称 | 備考 |
---|---|---|
DAW | Ableton Live | ライブ・パフォーマンスに最適化された設計 |
DAW | FL Studio | ビートメイキング志向、若手プロデューサー御用達 |
DAW | Logic Pro | 作曲/ミックスまでの統合環境 |
シンセ | Xfer Serum | 現代EDMの音色デザインを象徴 |
シンセ | NI Massive | 2000年代後半〜2010年代初期の主力 |
シンセ | Sylenth1 | クラシックなリード音に強い |
プラグイン | Waves L2/FabFilter Pro-L | ラウドネス戦争を支えたマスタリング定番 |
DJ機材 | Pioneer CDJシリーズ | グローバル標準のDJプレイ装置 |
モニター | KRK Rokit/Yamaha HS5 | ベッドルームプロデューサー必須モニター |